「私、他者、世界、生 ―現実を超える現実―」展

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 箕面市にあるコンテンポラリーアートギャラリーZONE( http://art-gallery-zone.com/ )で12月10日〜27日の日程で開催されていた「私、他者、世界、生 ―現実を超える現実―」展。詩人の京谷裕彰氏のキュレーションで、OKA、川崎瞳、松平莉奈、松元悠、百合野美沙子という五人の女性画家の平面作品が展示されていました。

 「現実を超える現実」というサブタイトルから容易に類推できるように、シュルレアリスムが主題として前面に押し出されていた感があるこの展覧会ですが、実際に作品に接してみると、シュルレアリスムという語が喚起させるイメージや(ブルトンやダリ、ミロ、デ・キリコマン・レイ瀧口修造etc.といった固有名によって語られる)アーカイヴの現在をなぞることよりも、「超現実主義」という訳語が当てられることしきりなこの語における「超現実」の、絵画における現在地の一角を五人の画家の作品を通して走査することに重きが置かれていたと、さしあたっては言えるでしょう。そこでは「超現実」とは非現実的なイメージ群の中に閉じこもることというより、(一見するとそういう行為に耽っているように見えているとしても)別種の現実を絵画によって構築し、もって生活世界の中でそれと対峙する行為にほかならないわけです。ですからそこでは他者や世界から遊離することよりも、それらへの関わりを改めて自己の中に繰り入れることが改めて主題化されることになる。京谷氏がシュルレアリスムの本義として提示する――「非現実ではなく現実を超える現実」としての――〈強度の現実〉とは、それ以外ではない。ところで、このような形で自己と他者・世界との関わり方を押し出す哲学は、通例「実存主義」と呼ばれます。ですからこの展覧会において試みられているのは、シュルレアリスム実存主義が端的に同じ実践である/ありうることを、絵画というもの/行為によって示すことにあるのではないだろうかと、個人的には思うところ。それはフランスにおいてサルトルブルトンを激しく批判していたとしても、そうなのである。

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 当方が見に行った12月12日には出展作家+京谷氏が勢揃いしてのアーティストトークが開催されまして、彼女たちがどのようなことを考えながら作品に向かっているのかを聞きながら出展作品に接することができました。そこでどのような言葉が発せられたかについてはいずれ当人たちが改めて言葉にするでしょうからここでは多くは語りませんが、カタツムリという象徴(西洋では「不滅」の象徴とされることが多いという)へのこだわりを追求し続けているというOKA女史、指をモティーフとしたイメージたちが乱雑に存在するユートピアディストピアを細密なペン画で描く川崎女史、檻のような中に閉じこもりながら味噌汁をすする青年(画像参照)を描いた松平女史、自身の身の回りの個人的な出来事やメディアで接したことから想を得てコラージュ的に描いていく松元女史、様々な虫が女性の周りを飛び回る幻視的な光景を描いている百合野女史と、シュルレアリスム美術においてまま見られる表現技法や発想法を用いつつも、それらを〈強度の現実〉へと差し向ける指向性がきわめて強い作品が揃ってまして、非常に見応えがありました(この文脈で見た場合、管見の限りにおいて日本画のヴィルトゥオジティの文脈でしか接することがなかった松平女史の作品が全く異なる相貌を見せていたのは、個人的には大きな発見でした)。

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 出展作はどれも印象的な作品でしたが、とりわけ個人的には百合野女史の絵画(上画像参照)に瞠目することしきり。上述したように様々な虫が女性の周りを飛び回るという幻視的な光景が描かれていたわけですが、そこでは女性の腕がくりぬかれて本来骨があるべきところに蛍光灯が埋め込まれており、虫はそれに誘われてやって来ているという筋立てになっている。ですから、虫を厭わしく思うとともにしかし寄ってきてしまうという、相反するイメージの流れ、ストーリーの流れが画面の中に描きこまれているわけですね(しかも作品タイトルは《うるさい》ですから、これはもう)。今日、絵画において何らかの形で象徴性を主題にするときに必要とされているのは、おそらくはこのようなイメージをめぐる実践でしょう。それによって、画家が幻視するものは、単なる幻想絵画と異なった位相に置かれることになるだろうから。

 「シュルレアリスム絵画というのは存在しない。正確に言えば絵を描くシュルレアリストがいるだけだ」――今回の展覧会に接して反射的に思い起こしたのは、このアンドレ・マッソンのアフォリズムでした。五人の作品はそれぞれの流儀で「シュルレアリスム絵画」ならぬ「「絵を描くシュルレアリスト」としての実存」への思考/指向を表現していたわけで、彼女たちの今後の探求や実践がどのような成果をもたらすことになるか、注目していかなければいけないなぁと思わされることしきりでした。

「見えてる風景/見えない風景」展

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 高松市美術館で開催中の「見えてる風景/見えない風景」展。当方は今回初めて訪問したので知らなかったのですが、高松市美術館は「高松コンテンポラリー・アニュアル」なる企画展を定期的に開催してまして、今回の「見えてる風景/見えない風景」展はその第5弾となるそうです。

 さておき、今回は流麻二果(1975〜)、ドットアーキテクツ、谷澤紗和子(1982〜)、伊藤隆介(1963〜)、来田広大(1985〜)という面々が出展していました。「風景」を俎上に乗せていることや〈見えてる〉/〈見えない〉という対立軸が展覧会タイトルに限らず前面化されていることなど、グループ展としては展覧会を成り立たせているフレームワークの点において新しさよりもむしろ懐かしさを感じさせる――それはとりわけ〈見えてる〉/〈見えない〉という対立軸という設定に顕著である――ところもないではなかったわけですが、実際に上記の面々の作品に接してみると、〈見えない〉という要素をめぐる各出展作家間における設定の仕方の違いが如実に現われていて、なかなか面白かったです。全てが過剰に可視化されている今日においては、〈見えないもの〉についても、単に見せないこととも「「見えないもの」として見せる」こととも異なったやり方で扱うことが求められているものです。

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 そういう観点から見たとき、個人的に最も興味深かったのは、ドットアーキテクツの作品(画像参照)でした。2004年に建築事務所として創業し、現在は家成俊勝(1974〜)、赤代武志(1974〜)、土井亘(1987〜)、寺田英史(1990〜)の四人で北加賀屋を拠点にして建築にとどまらない活動をしているそうですが、そんな彼らの今回の出展作は展示室にパイプやワイヤーを用いて超簡単な構造物を作り、そこに美術館のバックヤードから持ってきたという椅子やコーン、傘、コンクリートブロックといった日用品や廃物などを置いたり組み込んだり吊るしたり、というインスタレーション感あふれるものでした。一見するといろいろなモノを加工せずに乱雑に配置するという、日本ではとりわけゼロ年代以降多く見られる傾向を建築家らしい構築性の高さをともないながらなぞっているように見えますが、置かれたモノを一個でも動かしてしまうと全体が崩壊してしまうそうで――実際、備えつけられたモニターには搬入中に発生したその模様が映し出されてました――、見た目に違わずというか、見た目以上に繊細な構造となっている。

 この作品においてミソなのは、〈見えないもの〉が構造物によって直接的に可視化されているのではなく、構造物を成り立たせる力学的諸関係として、それ自体としては依然として可視化されずにあるということです。観客は監視員とかの説明を聞いて、あるいはその上で件の動画を見ることではじめて、構造を成り立たせている〈見えないもの〉の位相が逆説的に主題となっていることを知ることになる。実際、当方もたまたま遭遇したボランティアによる展示説明会に混ざって話を聞いたことで初めて知ったし。ともあれ、こういったことごとによって、〈見えないもの〉を構造に対する潜勢力の位相にとどめておくという姿勢で一貫していたわけで、そこは個人的にきわめてポイント高。

 あと、個人的には来田広大氏による、(滞在先のメキシコで)空き地に線を引き、街とスラム街の境界線を描き出すという映像作品がなかなか良かったです。風景を反映するのではなく風景に介入するという、きわめて政治的でもある姿勢をミニマルな手つきで行なっていたわけで、上手いことやりよったなぁと感心しきり(でも出展されていた、チョークで描かれた風景画が映像作品ほど鋭くなかったのがなぁ……)。

 

早瀬道生「表面/路上/その間」展

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 KUNST ARZTで9月13〜18日の日程で開催されていた早瀬道生「表面/路上/その間」展。京都造形芸大の大学院に通っているという早瀬道生(1992〜)氏の、同所では初めての個展です。

 今回出展されていたのは、今年7月に沖縄本島に赴いて撮影した写真作品と、特定の日の各紙の紙面データをひたすら重ねて引き伸ばしたフォトモンタージュ系作品でしたが、個人的には前者の写真作品に瞠目することしきりでした。米軍用のヘリパッド建設問題で今に至るまで大揺れな――その割に現地の動向がマスコミレベルで報じられることが少ない――沖縄県東村高江地区に赴き、現地でうち続く反対デモに参加しながら、彼らに対峙している機動隊員を撮影したというポートレイト写真が出展されていましたが、そのジャーナリズム的なフットワークもさることながら、写真には機動隊員個々人の顔がバッチリ写されていたわけで、それが整然と並んでいるのを見るにつけ、こういう展示はこれまでもあぶない展覧会を仕掛けてきたKUNST ARZTでしかできないよなぁと謎に感心してしまうところ(一見すると肖像権に抵触しそうですが、法的には一応問題ないようです)。

 とは言え、在廊していた早瀬氏から撮影裏話を聞きながらより仔細に見てみると、そのようなジャーナリスティックな、あるいはスキャンダラスな位相にとどまらない問題意識のもとに撮影されたものであることが感得されるのも、また事実である。氏曰く、これらのポートレイトは盗撮ではなく、その場で機動隊員たちに事前に伝えた上で撮影されたとのことで、道理で真正面からストレートに撮影された写真が多かったわけだと、納得しきり。で、かような、突然闖入してきたカメラマンによって撮影されるというイレギュラーな事態に際会してもなお、少なくとも表面的には動ずる様子もなく概ね無表情で写真に収まったというところに、個々人の個性が消去された状態、さらに言えば個々人を超えた存在の不気味さを見出したそうです。そういう意味では、これらの写真作品においては機動隊員個々人がというより、彼らの形を取って現前するものが撮影されていると言えるかもしれません。言うまでもなくそれは、ドイツ写真におけるベッヒャー・シューレについてしばしば語られる「タイポグラフィ」に通ずる態度である。

 個人的には、かようなポートレイト写真を見て連想したのは、2013年に大阪で開催され、その後東京と金沢に巡回したMOBILIS IN MOBILI展に出展されていた河西遼氏の写真作品でした。河西氏が東日本大震災後に一時的に盛り上がった反原発デモに参加し、デモ隊の内側からそれを遠巻きに眺める路傍の人たちのポートレイトを撮影するというものでしたが、そこでの被写体たちの表情は一様に何か奇妙で不気味な事態に出くわしてしまったというような、困惑とも何ともつかないものだった。そのような画一的なリアクションを写し出すことで、河西氏のカメラは彼/彼女たちの表情にではなく、個々の彼/彼女たちを超えたところに措定される「市民」の姿にフォーカスされていたと言えるでしょう。デモ隊を不気味なものとして見つめる「市民」たちが反転した形で不気味なものとして立ち現われてくる――そのような奇妙さをこそ河西氏のカメラは雄弁に切り取っていたわけです。彼の写真作品が提示しているのは、今日において「市民」とはある種の市民運動が無邪気に設定するようなヒューマニズム的な理念ではなく、単にそこにあるモノに過ぎないという現実である(で、このような、モノとしての市民を撮影するという態度の一つの起源として、例えば阿部淳氏の《市民》シリーズをあげることができるでしょう)。

 「表面/路上/その間」展に戻りますと、早瀬氏の行為は、デモ隊の側から撮影するというところに河西氏との共通点が見出されるわけですが、タイポグラフィ的な視線によって、早瀬氏の写真もまた、機動隊員の不気味さの向こう側にある「市民」の不気味さが写し出されていると見ることができるでしょう。それによって、現地で起こっていることとともに、あるいはそれ以上にと言うべきでしょうか、「沖縄における米軍基地問題」と私たちが呼ぶことの基底をなす前提条件が写し出されていると見ることも、あるいは不可能ではない。機動隊員の不気味さは、「(沖縄県民視点からの)本土の人」である私たちの不気味さでもあるわけです。戦後日本における「理念としての「市民」」の限界としての「沖縄における米軍基地問題」は、これまで多くの写真家(東松照明森山大道氏など)によって向けられてきた沖縄への視線に対する批評としてもある。

「辰野登恵子の軌跡 イメージの知覚化」展

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 BBプラザ美術館で7月5日〜9月19日の日程で開催されていた「辰野登恵子の軌跡 イメージの知覚化」展が俺得過ぎてもう何も怖くない。画家の辰野登恵子(1950〜2014)の回顧展といった趣の展覧会でしたが、彼女の最初期の作品から晩年の絵画や版画までまんべんなく網羅されており、そのどれもがマスターピースクラスの作品だったこともあって、見応えが大いにありました(しかもその全てが大阪の某大コレクター氏の個人蔵という……(驚))。個人的には、2012年に国立新美術館で行なわれた写真家の柴田敏雄(1949〜)氏との二人展「与えられた形象」展で辰野の作品には多く接したものですが、今回はそんなに広くないスペースで各年代のエッセンスとなる作品に絞って見る形となったわけで、彼女の作品の持つクリティカルな側面がよりダイレクトに伝わってくるように思うことしきり。

 絵画における色彩やフォルムの諸問題に対して、絵画が本質的に「描かれたもの」をめぐるイリュージョンであるという一点をそれまでの画家たち以上のテンションで支えにした上で様々なアプローチをかけていったところに辰野の画業の特徴があり、それは版画やデザインといった周辺領域の問題系を絵画に躊躇なく描きこむことでなされていったと、現在の観点から超乱暴に整理することができるでしょう。ことにポストもの派の近傍に位置するような作品から具象的・具体的なフォルムやパターンを(抽象化された形でではあれ)描くようになるという――折からのニューペインティングのムーヴメントとの平行性も指摘できるであろう――作品に変わっていくという超展開は、辰野における絵画の歴史/論理の交錯について考える上で依然として問題含みであるように思われます。

 彼女がかような超展開を見せた1980年代は、先ほど述べたニューペインティングもその一局面とするような、欧米におけるいわゆる「絵画の復権」現象と、前時代において大きなインパクトをもたらしたもの派が反芸術の圏域から絵画の圏域へと移動していく(ex.李禹煥、高松次郎)という日本における過程(それはしばしば「ポストもの派」と呼ばれる)とが強くシンクロするという二つのムーヴメントによって、絵画をめぐる環境が変容を見せた時期であったと超乱暴に整理することができますが、この過程において関東/関西関係なく生じた日本現代絵画における1980年代問題は、それが今日未だにほとんど回顧されていないというお寒い現実も込みで、相当根深いものがあるわけです。例えば、このような辰野の超展開とほぼ同時期に、記号論の知見を導入することによって諸フォルム間の示差的関係を描く方向に転換していった中村一美氏や、80年代問題の圏域の全面的な影響下において、描かれたフォルムの平面性・記号性をさらに突出させた絵画を描くことから画家としてのキャリアをスタートさせた石川順恵女史との比較において見ることが早急に求められている……

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 ところで今回は、1993年にギャラリー16で建畠晢氏のキュレーションによって開催されたグループ展「アブソリュート・ビギナーズ」展(1993.4.13~30 出展作家:辰野登恵子、丸山直文、村岡三郎、森村泰昌)に出展されたという彫刻作品(画像参照)が出展されてまして、この作品自体「与えられた形象」展では出てなかっただけに、ヲタ的にテンション爆上がりでした。こんな作品があったのかという驚きもさることながら、この作品が出ていたことで、彼女がフォルムに対して具体的にどのような考察を行なっていたかを別角度から考察する手がかりが展覧会の中にセッティングされていたわけで、この作品だけでも十分に元は取れた。個人蔵なので再展示は難しいかもしれませんが、辰野の画業について考える上でクリティカルポイントになる作品であると言っても、あながち揚言ではありません。

レイチェル・アダムスの近作について

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 現在佐藤美希女史の個展「DIVER」展を開催中(9.16〜10.9)のYoshimi Artsですが、そういった企画展の合間にときおり開催される「Flexible Exhibition」は、オープンするかどうかを当日にSNS上で告知したり積極的に展示替えを行なったりするなど、常設展でありながら一般的な画廊のそれとは異なった攻めの姿勢が際立った展覧会となっています。いささか旧聞に属する話ですが、7月下旬から約一ヶ月間断続的に開催されていた今夏のFlexible Exhibitionは館勝生(1964〜2009)の最晩年の絵画を中心に、所属作家や取扱い作家の小品を並べるという形で二期にわたって構成されており、オーナー氏の趣味の良い作品選定もあいまって、通常の常設展をはるかに超えたクオリティを見せていました。

 ◯今回の出展作家
第一期:柿沼瑞輝、笹川治子、佐藤未希、館勝生、西山美なコ
第二期:レイチェル・アダムス、柿沼瑞輝、興梠優護、笹川治子、館勝生、西山美なコ

 上記の面々の作品を概ね一人一点ずつという形で展示作品の数を絞りこむことで、涼しげながらも緊張感と知的強度の高い空間を作り上げていた今回のFlexible Exhibitionですが、とりわけ今回、個人的にクリティカルヒットだったのは、第二期に出展されていたレイチェル・アダムス(1985〜)の小品でした。グラスゴーに拠点を構え、主に立体作品を作り続けている彼女、Yoshimi Artsでは一昨年に開催されたグループ展「Material and Form in a Digital Age」展(出展作家:レイチェル・アダムス、上出惠悟、笹川治子)で初めて作品が出展され、昨年には日本初個展となる「Open Studio」展を開催しましたが、前者では紙や布を用いて抽象彫刻のようにも花と花瓶or大理石製の台座のようにも見える作品が、後者では「20世紀のある時期におけるとある彫刻家のアトリエ」をモティーフに、中に散乱していたであろう工具などをプラスティックで再現(?)するという作品が出展されていました。少なくともこれらの作品に接する限り、表現したい質感と実際の材質とのギャップを作中に導入することで立体作品と様々な文脈に開いて架橋していくというところに、彼女の作品の美質が存在すると言えるでしょう。

 で、それらを受けて、Flexible Exhibitionで出展されていたのは、アクリル板をひし形にカットして切れ込みを入れ、表面に毛皮の写真をプリントした作品でした(画像参照)。新作ではなく、数年前に作られたシリーズのうちの一つだというこの作品、上述したようなこれまでの作品以上に謎めいた作品に見えますが、表面にプリントされている毛皮の写真は実際の動物のものに直接由来するのではなく、一部のイームズチェアの表面に施されているものに由来するそうで、してみるとここでも表現したい質感と実際の材質とのギャップが導入されており、しかもイームズチェアをリソースにしているというところに、デザインとのコンセプチュアルな架橋が意図されているわけで、小品ながら彼女の作品の持つエッセンスや潜在的な射程が余すところなく詰め込まれていると言えるでしょう。しかも作品自体は(相反するように見えますが)決して説明的ではない形で、ある種の洗練を帯びた形で提示されているわけですから、これはもう。

 その意味で、彼女が表現したいのは、作品自体というより、作品に内在するギャップや架橋行為それ自体であると見ることが必要なのかもしれません。それを可能にする知的フレームワークミニマリズムと呼ぶと雑駁に過ぎるでしょうけど、非物質的な位相における人間的かつ物資的な営みという、現代美術――というか欧米における美術という行為全体――におけるミッションが現在においてどのように機能し、いかなる成果を生み出し続けているかを思いながら彼女の作品に接してみると、震撼することしきりです。

小川万莉子について

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 西天満にあるOギャラリーeyesでは時折「tourbillon」(フランス語で「渦巻」の意)と題する企画展が開催されています。基本的には若手〜中堅の画家二人展を週替わりで二セットという形式で行なわれていますが、第14弾となる今回、前半として8月22〜27日の日程で開催されていた小川万莉子+寺脇さやか両女史の二人展が、個人的になかなか気になることしきりでした。

 とりわけ小川万莉子(1987〜)女史の作品は、彼女いわく窓からの風景をモティーフにしているとのことでしたが、絵を描く際に自身が抱いた感覚の推移を描くことを主眼としている様子でして、結果として彼女の絵画は単なる風景画ではなく、風景と外在化された自分自身の感覚とがないまぜになった状況ないし心象が描かれたものとして観者の前に現われてくることになる(画像参照)。もちろん、かかる態度自体は、セザンヌ以降現在に至る絵画という営みの中においてはむしろありふれてはいるのですが、小川女史の場合、そこに絵具ないしメディウムの物質性という位相が効果的に差し挟まれていることに注目すべきでしょう。

 メディウムの物質性は、今回の出展作においては、薄く塗られたり線的な描写が導入されているところと厚く塗られたところとが、遠景が厚く塗られたり近景が薄く塗られたりしているという形で画面内における遠近法と異なる遠近法をなしていたり、あるいは観る側に「窓」を連想させるようなストロークが描かれつつ、それが「窓の外の風景」にも同時になっている――そもそも「窓」めいたストロークと「窓の外の風景」めいたストロークとは、画面の中において固定的な関係を取り結んではいない――といったところに、如実に現われていました。「メディウムの物質性」を恃みにした作品というと、1950年代〜60年代におけるアクションペインティングが思い出されるところですが、それが遠近法による空間を破壊する方向性を取っていったことと較べると、彼女の作品は違った方向性を志向している。風景による空気遠近法と絵具の濃淡によってなんとなく形づくられる遠近法とが打ち消し合う形になっているわけです。そういったところに小川女史の、メディウムの物質性に対する考察の巧みさがよく現われていると考えられます。

 ところでもう一人の出展者であった寺脇さやか女史の作品は、言ってしまえばゲルハルト・リヒターの《抽象絵画》シリーズとサイ・トゥオンブリの線画作品を容易に連想させるような画面の中に具象的なモティーフが浮かび上がっているといった趣の作品でしたが、参照先(?)の選択や、メディウムの物質性と具象的モティーフへの目配せと折衷の仕方の巧みさにおいて、現在の絵画におけるベンチマーク的な作品ではあるなぁと、観る側に思わせることしきりな作品でした。

加藤巧「ARRAY」展

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 the three konohanaで開催中の加藤巧「ARRAY」展。主に海外でアーティスト・イン・レジデンスなどの活動を続け、昨年のはならぁとではメイン会場の一つだった今井町奈良県橿原市)でキュレーターも担当するなど、近年は日本国内でも活動の機会を増しつつある加藤巧(1984~)氏の、関西では初めてとなる個展です。

 

 加藤氏が表現手段として主に用いているのは、(中世ヨーロッパにおいてポピュラーな技法だった)テンペラ画とのことで、今回は新作のテンペラ画が十数点ほど出展されていました。具体的な制作過程についてはギャラリーのHP上で紹介されているので詳細はそちら( http://thethree.net/exhibitions/3613 )に譲りますが、いずれも自ら水彩ドローイングを描いた上でそれを模写する形でテンペラ画に置き換えていくという形で描かれているそうで、元となるドローイングは展示されていなかったものの、作風的には置き換えの妙味を観ていくという趣で統一されていました。よく知られているように、テンペラ画とは顔料を何か(卵黄を使うのが最もポピュラーだという)で接着して支持体(石膏)の上に乗せていくという手法ですが、現代の絵の具と違ってワンストロークで描くことができずすぐに乾いてしまうため、少しづつ色を置いていくような描き方にならざるを得ないという。かような、現在普通に使われている絵の具を用いることでは出てこない種類の不自由さを厭わず描くことによって、絵画に対して間接的・分析的な姿勢が前面に押し出されていたわけで、その意味で加藤氏の作品は、少なくとも出展作を見る限りにおいては、絵画というもの/行為自体に対する反省的態度から出発していることが観る側にも容易に感得できるようなものとなっていたと言えるでしょう。「ARRAY」(配置・配列)という展覧会タイトルは、――展示区間自体も作品の配置・配列にかなりこだわりを持ってしつらえられていたこととあわせて――確かに言い得て妙である。

 

 管見の限りにおいて、かかる「絵画というもの/行為自体に対する反省的態度」が最も先鋭的に立ち現われていたのが、「色彩」についてでした。実際、出展作を見てみると、ドローイングの段階ではワンストロークで描かれたであろう描線や色面が――(複数の)色彩の微妙なグラデーションの変化をともないながら――たどたどしく置かれた色の集積として描き直されていた。ここで加藤氏が試みているのは、先に触れたテンペラ画の制作過程と併せて見てみると、色彩を色彩としてという以上に存在として取り扱うという態度で絵を描くということであり、さらに言うなら絵画を構成要素や素材といった諸存在が並列されたモノとして扱うことである。絵を描くことは、そこでは諸存在をしかるべき形に再配列することと同じことになる――氏は「方程式」と言ってましたが、絵画を(マルクス風に言うと)下部構造において、あるいは下部構造として扱うことが、ここできわめてラディカルな形で行なわれているわけです。「存在は意識を規定する」。

 

 ところで7月10日には、国立国際美術館で研究員をしている(加藤氏とほぼ同年代の)福元崇志氏を招いてトークセッションが行なわれていました。福元氏が加藤氏の作品について様々な角度から訊ねたり解釈したりするという形でおよそ90分間にわたって展開されたこのトークセッションにおいて、やはり集中的に話題になっていたのは上述したような加藤氏の制作態度であった――トークにおいては、それは加藤氏自身によって〈描き〉という言葉によって改めて定位されていました。〈描き〉とは、絵画における「何かを描く」という行為から「何かを」が差し引かれている状態ないしそういう状態をもたらす前-行為として提示されていた(少なくとも当方はそう受け取りました)わけですが、この、目的語を欠いているがゆえに座りの悪さを聞く側に与え、さらには発話者の行為が何がしかの不安定感や手探りでやっている感をも想起させるような動詞・動名詞の周囲をぐるぐる回るような趣でトーク全体が進行していたと言っても、あながち揚言ではないでしょう。

 

 そんな〈描き〉という言葉のクリティカルさは、なぜ自作のドローイングをモティーフにしているのかという福元氏からの質問に始まる問答において、最も如実に現われていた。加藤氏いわく、それは他のモティーフだと対象を描くことの巧拙という他の評価基準が入りこんでしまうからだと返答してまして、〈描き〉が行為を通した/行為による分析や観察という側面を持っている以上、それらにのみ集中する上で自作のモティーフを用いることは不可欠だった、という。氏は他の評価基準が入りこんでしまうことを「逃げ場ができてしまう」と表現していましたが、それは〈描き〉という行為について考える上で、示唆的です。

 

 以上のようなやり取りを通して、福元氏は〈描き〉について自己言及的な作業であると言い、一方それに対してフロアから、それは自己言及というより現象学における基本的な態度としてのエポケー(判断停止)と言った方がより相応しいのではないかと応答があったりと、このあたりについては対談者/フロア関係なく白熱した議論が(いささかイレギュラーに)交わされていました。〈描き〉が、絵画に対する自意識のループとしての自己言及に由来するものなのか、そうしたループ構造が発動する手前に措定されるエポケーに由来するものなのかについてはにわかには即断できませんが、おそらくどちらの要素もそれなりに含みこんでいるとは言えるかもしれません。とは言え、ここでそういった問い以上に重要なのは、どちらを採るにしても不可避的に浮かび上がってくるであろう独在論的なニュアンスを〈描き〉は払拭しえているということではないかとということです。言い換えるなら、かかる自己内省的なプロセスと重なりつつも、〈描き〉はそこに他性=「モノ」の位相を導入することに成功しているのではないか。加藤氏は大学時代彫刻科に在籍していたそうで、それは「周りに「そこにモノがある」という環境で絵画を試したかった」という動機からだったという。

 

 いずれにしましても、福元氏とのトークセッションは、言うなればこれからの「モノ」の話をしようという態度で一貫していたわけで、それは絵画についての論議が昔も今もそのイリュージョン性をめぐってなされてきたことと好一対となっていたと言えるでしょう。それは絵画をめぐる議論に新たな豊穣さを与えることになったのではないでしょうか。加藤氏の「「モノ」としての絵画」をめぐる探究は始まったばかりである。