小川万莉子について

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 西天満にあるOギャラリーeyesでは時折「tourbillon」(フランス語で「渦巻」の意)と題する企画展が開催されています。基本的には若手〜中堅の画家二人展を週替わりで二セットという形式で行なわれていますが、第14弾となる今回、前半として8月22〜27日の日程で開催されていた小川万莉子+寺脇さやか両女史の二人展が、個人的になかなか気になることしきりでした。

 とりわけ小川万莉子(1987〜)女史の作品は、彼女いわく窓からの風景をモティーフにしているとのことでしたが、絵を描く際に自身が抱いた感覚の推移を描くことを主眼としている様子でして、結果として彼女の絵画は単なる風景画ではなく、風景と外在化された自分自身の感覚とがないまぜになった状況ないし心象が描かれたものとして観者の前に現われてくることになる(画像参照)。もちろん、かかる態度自体は、セザンヌ以降現在に至る絵画という営みの中においてはむしろありふれてはいるのですが、小川女史の場合、そこに絵具ないしメディウムの物質性という位相が効果的に差し挟まれていることに注目すべきでしょう。

 メディウムの物質性は、今回の出展作においては、薄く塗られたり線的な描写が導入されているところと厚く塗られたところとが、遠景が厚く塗られたり近景が薄く塗られたりしているという形で画面内における遠近法と異なる遠近法をなしていたり、あるいは観る側に「窓」を連想させるようなストロークが描かれつつ、それが「窓の外の風景」にも同時になっている――そもそも「窓」めいたストロークと「窓の外の風景」めいたストロークとは、画面の中において固定的な関係を取り結んではいない――といったところに、如実に現われていました。「メディウムの物質性」を恃みにした作品というと、1950年代〜60年代におけるアクションペインティングが思い出されるところですが、それが遠近法による空間を破壊する方向性を取っていったことと較べると、彼女の作品は違った方向性を志向している。風景による空気遠近法と絵具の濃淡によってなんとなく形づくられる遠近法とが打ち消し合う形になっているわけです。そういったところに小川女史の、メディウムの物質性に対する考察の巧みさがよく現われていると考えられます。

 ところでもう一人の出展者であった寺脇さやか女史の作品は、言ってしまえばゲルハルト・リヒターの《抽象絵画》シリーズとサイ・トゥオンブリの線画作品を容易に連想させるような画面の中に具象的なモティーフが浮かび上がっているといった趣の作品でしたが、参照先(?)の選択や、メディウムの物質性と具象的モティーフへの目配せと折衷の仕方の巧みさにおいて、現在の絵画におけるベンチマーク的な作品ではあるなぁと、観る側に思わせることしきりな作品でした。