「見えてる風景/見えない風景」展

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 高松市美術館で開催中の「見えてる風景/見えない風景」展。当方は今回初めて訪問したので知らなかったのですが、高松市美術館は「高松コンテンポラリー・アニュアル」なる企画展を定期的に開催してまして、今回の「見えてる風景/見えない風景」展はその第5弾となるそうです。

 さておき、今回は流麻二果(1975〜)、ドットアーキテクツ、谷澤紗和子(1982〜)、伊藤隆介(1963〜)、来田広大(1985〜)という面々が出展していました。「風景」を俎上に乗せていることや〈見えてる〉/〈見えない〉という対立軸が展覧会タイトルに限らず前面化されていることなど、グループ展としては展覧会を成り立たせているフレームワークの点において新しさよりもむしろ懐かしさを感じさせる――それはとりわけ〈見えてる〉/〈見えない〉という対立軸という設定に顕著である――ところもないではなかったわけですが、実際に上記の面々の作品に接してみると、〈見えない〉という要素をめぐる各出展作家間における設定の仕方の違いが如実に現われていて、なかなか面白かったです。全てが過剰に可視化されている今日においては、〈見えないもの〉についても、単に見せないこととも「「見えないもの」として見せる」こととも異なったやり方で扱うことが求められているものです。

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 そういう観点から見たとき、個人的に最も興味深かったのは、ドットアーキテクツの作品(画像参照)でした。2004年に建築事務所として創業し、現在は家成俊勝(1974〜)、赤代武志(1974〜)、土井亘(1987〜)、寺田英史(1990〜)の四人で北加賀屋を拠点にして建築にとどまらない活動をしているそうですが、そんな彼らの今回の出展作は展示室にパイプやワイヤーを用いて超簡単な構造物を作り、そこに美術館のバックヤードから持ってきたという椅子やコーン、傘、コンクリートブロックといった日用品や廃物などを置いたり組み込んだり吊るしたり、というインスタレーション感あふれるものでした。一見するといろいろなモノを加工せずに乱雑に配置するという、日本ではとりわけゼロ年代以降多く見られる傾向を建築家らしい構築性の高さをともないながらなぞっているように見えますが、置かれたモノを一個でも動かしてしまうと全体が崩壊してしまうそうで――実際、備えつけられたモニターには搬入中に発生したその模様が映し出されてました――、見た目に違わずというか、見た目以上に繊細な構造となっている。

 この作品においてミソなのは、〈見えないもの〉が構造物によって直接的に可視化されているのではなく、構造物を成り立たせる力学的諸関係として、それ自体としては依然として可視化されずにあるということです。観客は監視員とかの説明を聞いて、あるいはその上で件の動画を見ることではじめて、構造を成り立たせている〈見えないもの〉の位相が逆説的に主題となっていることを知ることになる。実際、当方もたまたま遭遇したボランティアによる展示説明会に混ざって話を聞いたことで初めて知ったし。ともあれ、こういったことごとによって、〈見えないもの〉を構造に対する潜勢力の位相にとどめておくという姿勢で一貫していたわけで、そこは個人的にきわめてポイント高。

 あと、個人的には来田広大氏による、(滞在先のメキシコで)空き地に線を引き、街とスラム街の境界線を描き出すという映像作品がなかなか良かったです。風景を反映するのではなく風景に介入するという、きわめて政治的でもある姿勢をミニマルな手つきで行なっていたわけで、上手いことやりよったなぁと感心しきり(でも出展されていた、チョークで描かれた風景画が映像作品ほど鋭くなかったのがなぁ……)。