佐川好弘「インスタント」展

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 枚方市にあるNote Galleryで4.10~5.1の日程で開催されていた佐川好弘「インスタント」展。佐川好弘(1983~)氏は関西を中心にゼロ年代前半から作家活動を続けていますが、今回は近作を中心に、オブジェ、パフォーマンスの記録映像、写真、陶、ZINE(2013年にモロッコでアーティスト・イン・レジデンスしたときの記録集といった趣のものでした)など様々なメディウムの作品が出展されており、ギャラリーの広さもあって大規模なものとは言えないものの、氏の最近の作家活動をコンパクトに棚卸ししたものとなっていました。

 

 とりわけ目を引いたのが「パワー」とポップな雰囲気のフォントで大書された二メートルほどの高さのバルーン作品と、これまたポップなフォントで「スピリチュアル」と大書された柔らか素材のオブジェ――いにしえのダッコちゃん人形のように腕に装着することができる――でして(画像参照)、初見でのインパクトはかなり大きかった。佐川氏はかように文字を使ったり図案化したりしたメッセージ性(?)とインパクト重視の作品を継続的に制作していますが、今回の出展作はとりわけ見た目のインパクトが強かったと言えるでしょう。で、それは、「パワー」の作品を、巷間パワースポットともてはやされている場所に置いて撮影するという写真作品(今回は屋久島の森の中に置かれている様子が撮影されてました)が併せて展示されていることによって、さらに強烈なものとなっていました。パワースポットとされる場所に「パワー」のオブジェを置くことで、どこか軽いおかしみを帯びた場所にニュアンスを変換させられた形で写真作品として再提示されているわけですから。で、そのような軽いおかしみというのは、モロッコでのアーティスト・イン・レジデンス時に行なわれた、「私は肉が食べたい」とアラビア文字で書かれたオブジェを背負って肉屋まで歩いていくというパフォーマンスによって、さらに如実に提示されることになるだろう。

 

 この作品に顕著なように、作品や自身の行為が持つメッセージ性などを、いろいろと脱臼させた形でときに場違いな形で伝えるというところに、少なくとも近年の佐川氏の作品のおかしみを見出すことができますし、「インスタント」という展覧会タイトルは、かかる軽いおかしみが展示作品を通じて見出されていることを考えるときわめて言い得て妙でありますが、しかしただおかしいだけではなく、その「おかしみ」を、一見するとお笑いにしか見えない作品を通して表現するという潮流――なぜか関西の現代美術界隈においてそれなりの蓄積があったりする――と接続させて提示していることにも注目する必要があるでしょう。

麥生田兵吾「Artificial S1 眠りは地平に落ちて地平」展

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 Gallery PARCで4.15~5.1の日程で開催されていた麥生田兵吾「Artificial S1 眠りは地平に落ちて地平」展。京都市内各所で毎年4月から5月にかけて同時多発的に開催されている写真展「Kyoto Graphie」のサテライト展といった位置づけの「KG+」の参加企画。Gallery PARCはここ数年この時期に麥生田氏の個展を開催し続けており、同ギャラリーの年中行事といった趣すらありますが、一人の写真家を個展という形で定点観測していくというのは、Kyoto Graphie・KG+を通じて他に例を見ないものとなっており、個人的にはどうも積極的に見に行く気にならない展覧会が多いKyoto Graphieの中にあって、かような試みは注目すべきものがあると言えるでしょう。

 

 2010年頃から自身のブログ「pile of photographys」( http://hyogom.com/pilephotos/ )上で毎日写真を掲載し続けている麥生田氏。これまでのGallery PARCでの個展では、そこにアップロードされた中から選ばれた写真を「Artificial S」という総題のもとに展示するという形で構成されてましたが、今回はその継続となるようなストレートフォト系の写真作品もある一方、管見の限りでは初見のコラージュ作品が何点か出展されていました(画像参照)。個人的にはコラージュ作品を最初に瞥見したとき、作風を根本的に変えようとしているのだろうかと軽く訝るところもないではなかったのですが、作品に向き合っているうちに作風の変更どころか「Artificial S」路線のこれまでとは別方向からの深化であることが感得され、麥生田氏の写真がクリティカルな強度を持っていることを別の角度から改めて認識する良い機会となりました。

 

 かかるクリティカルな強度は、このコラージュ作品のタイトルが《写真》であるというところに、きわめて如実に現われている。美術評論家の清水穰氏はどこかで、麥生田氏の写真作品について(意味やメッセージ性を乏しくした)引き算の論理によって構築された写真であると評していましたが、もちろんそれは氏をdisって言っているわけではなく、ともするとストレートな報道写真のような被写体自体のメッセージ性や、最近のメディウム/メディア論を導入した「画像」としての写真によく見られるような被写体どうしの――主にフォルムにおける――隠喩/換喩的な関係性が作品の価値判断の基準となることが自明視されている中において、それらが往々にして排除してしまう〈写真〉の位相を改めて俎上に乗せようとして戦略的に作られた乏しさであると考えられます。まさにArtificial。実際、《写真》においては、コラージュされた各要素は互いの意味的な連関や、それらが別のイメージを換喩的に指示したり生産したりするという(俗流シュルレアリスムが期待するような)機能が巧みに脱臼させられた形で配置されており、そのことによって関係性も無関係性もないという状態がコラージュという形で逆説的に露呈しているわけで。そのような状態こそが〈写真〉の位相にほかならない。

 

 最近の写真展の中では、先だって京都精華大学内のグループ展で見た迫鉄平氏の映像作品や写真作品と並んで、きわめてクリティカルな展覧会だったと言えるでしょう。

 

中小路萌美「色と形のこと」展

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 西天満にあるOギャラリーeyesで4.4~9の日程で開催されていた中小路萌美「色と形のこと」展。ここ数年、関西を中心に個展やグループ展を精力的に行なっている中小路萌美(1988〜)女史の、同所では昨年以来となる個展。大小合わせて十数点の絵画作品が出展されていました。

 

 自分で描いた風景画に描かれた様々なモティーフを切り取って色面に還元した上でコラージュし、それをモティーフにして改めて絵画を描くという手法をここ数年取り続けているという中小路女史。当方は一昨年にOギャラリーeyesで、昨年に(今はなき)ギャラリーすずきで彼女の個展に接したことがありますが、それらを受けての今回の個展でも着実に絵画的探求が深化しているように感じられ、個人的にはなかなか良かったです。ミニマルに構成された抽象画なのですが、その構成要素が以上のような形で見出されて使われていることで、どこか私たちの生きる生活世界との接点が残されているように見えるわけで、その意味で形態や色彩の存在感やせめぎ合いを見せることとは違った方向性を志向していると言えるでしょう。彼女自身は「言葉には上手くできない。/見えているけど見えていない。触れそうなのに触れない」や「アクリル板で隔たれた向こう側」と表現していますが、「色と形のこと」というタイトルとあわせて、言い得て妙である。

 

 今回の個展では、画面の構成要素である形態がもともと風景画であったことの痕跡が観る側にも見出だせるようにしつらえられていたり、別の風景を構成するかのように配置されたりした作品もあって、「「向こう側」の世界」の描き方の幅が広がってきているように個人的には感じられました。このあたりの微妙な変化にも注視する必要がありそうです。

亜鶴「CARTOON」展

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 谷町六丁目にあるspectrum galleryで3.18~28の日程で開催されていた亜鶴「CARTOON」展。関西を中心にしつつ、先だって原爆の図丸木美術館(埼玉県)で開催されて話題となった「私戦と風景」展の出展作家に名を連ねるなど着実に調子を上げてきている感のある亜鶴氏の、関西では久々となる個展。

 

 そんな亜鶴氏の作品は、グラフィティやタグといったストリートアート(という言い方が適当かどうかは議論の余地があるでしょうけど…)との連続性を観る側に強く意識させるようなカラーリングや生々しいストロークで人物を正面から捉えた絵画が多く、それは今回のCARTOON展でも同様でしたが、個人的には新作の小品二点に強く惹かれるところ。氏の人物画の特質の一つとして、輪郭などが素早いタッチのストロークに解体されていても眼はリアルに描かれていることをあげることができ、それが観る側に対するフックとなって強い印象を与えていると言えるでしょうが、これら(画像参照)ではその眼も記号的なものとなっている。そのことによって、画面は視覚的なフックを欠いたオールオーヴァーなものにより近しくなっているわけですが、ストリートの壁から直接切り取られたかのような生々しさと、ストロークやオールオーヴァーな構成が必然的に招来させる「(モダンモダニズム的な意味で)絵画的なもの」との緊張感が画面に横溢していて、かかるモダンモダニズムに相対的に親しい当方的にも瞠目しきりでした。

 

 キワモノかと思いきや、いやいやなかなか侮れません。今後に要注目。

谷川千佳「冬の融点」展

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 DMO ARTSにて3.9~22の日程で開催されていた谷川千佳「冬の融点」展。谷川女史の個展は同所では二度目になりますが、大作も小品も充実した出来を見せており、なかなか見ごたえがありました。ここ数年、一頃のマニエリスム的な傾向から平明な表現へと移行していて、個人的には好ましさを覚えることしきりでした――その良質な達成として昨年ondoで開催された「約束」展をあげることができるでしょう――が、今回の「冬の融点」展の出展作は、作者自身がかかる表現手法をさらに自信を持って押し出しているのが観る側にも伝わってきており、なかなかポイント高。

 

 かつては画面上にモティーフとして描かれた女性の姿が分裂したり増殖したりしているといった趣の、観る側にファンタスムやオブセッションを容易に連想させるような絵画を集中的にものしていた谷川女史ですが、個人的にはかかる幻想画路線は、悪くはないんだろうけど長く続けるにはしんどいだろうなぁいつか詰んでしまうかもしれないなぁという憾みもないではなかったもので。それだけに、イラストレーションテイストを全面的に導入することによって色使いやモティーフの表現が平明化し、「分裂」や「増殖」といったモーメントをモティーフの姿とは違ったところに置き直して描かれた近年の作品は、ファンタスムやオブセッションが転位された形で描かれることで画面に独特のポジティヴな軽やかさをたたえたものとなっており、画的にも好ましいものがあると言えるでしょう。

 

 ところで今回は、夕景の中の電線や電柱、標識などが描かれた作品が何点か出展されてまして、谷川女史がこのような人工物をそのまま描いているのって、管見の限りでは初めてだったこともあって、ついつい見入ってしまいました。これが継続的に探求されるのかこれ一回限りの実験なのかは即断できませんが(でもあらかた売れてたから、観る側にはかなり受けていたとは言える)、ファンタスムやオブセッションを描くことに対する立ち位置の取り方の上手さとあわせて、目が離せないところです。

上瀬留衣「一昨日見に来てください -oxymoron-」展

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 Gallery OUT of PLACE NARAで2.26~3.13及び3.31~4.10の日程で開催されていた上瀬留衣「一昨日見に来てください -oxymoron-」展。大阪を中心に活動している上瀬留衣女史の、同ギャラリーでは初となる個展。家/家族や自身の生理的な感覚、記憶などをベースとしたインスタレーションを、ときに自分自身を作品中にそのまま嵌入させて作るという作品をここ数年制作し続けている上瀬女史ですが、今回もその基本的なラインに沿った作品が出展されていました。

 

 一般論としてこのような傾向の作品の場合、密室感というか、自分だけが分かればいいというようなものに逢着してしまいがちであり、インスタレーションという表現方法を採用することがかような自己意識のループ構造を強化してしまうことが往々にしてあるわけですが、上瀬女史の場合、表現する「私」と物との関係を直接表現することに代えて、「私」が設定した物同士の関係の中に表現される「私」を入れるという入れ子構造を採用することで、自分自身を巧みに対象の位置に滑りこませている。それ自体は以前の個展でも行なわれていたことですが、今回の「一昨日見に来てください -oxymoron-」展ではそれが同傾向の近作よりも一段(以上)高いレヴェルでできていたことは、ここで指摘しておく必要があるでしょう。今回の場合、自分自身が作中に嵌入されていないことで、入れ子構造がさらに際立っていた。

 

 ところで展覧会タイトルの「oxymoron」は、「撞着語」「自己矛盾」という意味とのことですが(「一昨日来てください」はその意訳である)、上瀬女史の作品は自分自身の生理的な感覚から出発しつつも、様々なレヴェルにおける「oxymoron」を作る/経ることで、自分自身がそのような感覚によって作られた世界──彼女自身は《現実世界とはまた別の「どこか」》と表現しています──に過剰に固着することとは違った形で、自身の生理的な感覚と関係を結び直すことを思考/試行していることになるわけで、(“現代アート”においても過剰なセラピー化が進む中では)際立って貴重な試みであると言っても、あながち揚言ではありますまい。

「新シク開イタ地」展

 神戸アートビレッジセンターKAVC)で2月25日~3月6日の日程で開催された「新シク開イタ地」展。KAVCのある新開地を字義通り“(埋め立てによって)新しく開いた/開かれた土地”と読み替えた上で、「地」「土地」「大地」」とは何かという視角から再考するといった趣の展覧会で、京都市立芸大教授の田中明彦氏と(加藤至+星野文紀+吉田祐各氏によるユニット)hyslomの作品が展示されていました。

 《旧湊川を埋め立てた土地が「新開地」と呼ばれたとき、詩人竹中郁は「ヘンな名だなあ」と感じたという。「新しく開いた地」が固有名詞として定着し、今の地名がある。このプロジェクトは竹中郁の違和感に立ち戻ることから出発する》――ステイトメントではこのように書かれており、ここだけ取り上げると新開地という場所(神戸屈指の歓楽街として栄え、今ではマルクスが「ルンペンプロレタリアート」と名づけたような労働者が多くたむろす界隈となっている(それは阪神・淡路大震災後の再開発を経てもなお、さして変わっていない))を俎上に乗せた地域アート系展覧会といった趣を感じさせるところではあるのですが、実際に出展作家たちの作品に接してみると、新開地ではなく、海底火山の噴火によって最近できた西之島がフィーチャーされていました。つまり、地域アート的な枠組みを採用しているように見えながら、実際は似て非なるものとして構成されているわけで。

 もともと「新開地」という地名自体が、上述したように“(埋め立てによって)新しく開いた/開かれた土地だから新開地”という由来を持った地名であり、人間の行為がそのまま地名になっているというニュアンスを強く抱かせる――いわゆる阪神間モダニズムの詩的伴走者でもあった竹中郁が感じた違和感も、ここに起因するのではないか――のですから、そこには独特の即物性とともに何か野性めいた何かをも感じさせるものがあり、その意味で「地域」に単純に還元できないモーメントを含んでいると言わなければなりません。「地域」とは、言語的・語感的な側面に即して言うと、名付けることが終わった後から始まる機制であるからです。それゆえ、そのような形で「新開地」を非–場所として措定している以上、展覧会の内容が現実の新開地とあまり関係なくてもいいわけですし、単純な地域アートに収まらない射程をこのようにセッティングしてみせた企画者側の慧眼に、まずは瞠目すべきであると言えるでしょう。

 以上のようなフレームワークが周到に設定された上で、hyslomは、彼らが最近ハマっている鳩レース用の鳩を西之島近海まで連れて行って見せるという映像作品を出展したり、展覧会初日の早朝にはKAVCの近所にある公園で鳩を飛ばすイベントを開催したりと、鳩尽くし(?)な作品やパフォーマンスを見せていました。特に前者は海底火山の活動によって新しくできた島と鳩という取り合わせによって、旧約聖書におけるノアの方舟話のクライマックスを現代において人為的に再現してみるといった趣を強く感じさせるものとなっていて、個人的には唸るところ。人と土地(ないし自然物)との関係性の原風景を、近代におけるロマンティークとしての“血と大地の同一性”と違った形で彼ら自身が身体を張って探求するというパフォーミングアーツを各所で続けているhyslomですが、今回はそれを神話的モティーフと接続させて再提示しているわけで、ここに彼らの新しい一面を見出すことは、さほど困難ではないでしょう。一方、井上氏は座卓めいた何かをうず高く積み上げたオブジェを作り、中に入ると西之島で今なお続く海底火山の噴火の様子を海中で撮影した映像や、KAVCから世界各地のいわくありげな(?)場所までの距離や方向を標識化したオブジェを出展してました。これもhyslomほど直截にではないものの、人と土地との関係性を「新開地」という非–場所を起点に測り直すことで客観的ではない地図を作り直すという方向性が押し出されており、そうすることによって近代におけるロマンティークと違った形での考察がなされていたと考えられます。作品単体としてはともかく、複数の作品を合わせることで、新たな大地のノモス((C)カール・シュミット)を見る側にもかすかにせよ予感させるものがあったと言えるかもしれない。

 まぁ細かいところをあげていけばキリがないのですが――例えばKAVCの一階を「意識」に、地下一階を「無意識」になぞらえるというのはいささか安直に過ぎるのではないか(個人的には地下一階の展示だけでも充分だったように思うところだったり(^_^; )、とか――、やはり「新開地」を“新しく開いた/開かれた土地だから新開地”と読み替えたところから出発したのは、端的に良い仕事だったと思います。

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