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井上裕加里の新作-近作について

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 過日、京都嵯峨芸術大学で開催されていた「韓日藝術通信」展(6.17~29 出展作家は下記)を見に行きましたが、日本側・韓国側ともども適度にモダンアート的な、あるいは適度にポリティカル(・コレクトネス的)な作品が多く並んでいた中、井上裕加里(1991~)女史の新作《ヘイトスピーチ》が出展作の中でも飛び抜けて問題作でした。たいていの場合、日本人作家と韓国人作家によるこの手のアンソロジー展においては、韓国人作家の「政治的なアレコレをダイレクトに主題とした作品」と日本人作家の「“非政治的な相貌のもとに展開される政治”が遂行的に露出している作品」とが――双方がそのことに意識的かどうかは措くとして――表裏一体をなしているものですが、この《ヘイトスピーチ》は、俎上にあげている政治や社会問題の直接性はもちろんのこと、作品自体が遂行的に予感させ展開させている政治性においても、そのようなありきたりな図式自体を破壊しかねないものがあったと言わなければならず、見ていて震撼しきり。

 

 近年の、ポピュリズムやショーヴィニズムの高まりを背景にした日韓関係の悪化にともない、主にネトウヨと俗称・蔑称される人々によって韓国政府や在日韓国人への差別的言動をともなったデモが頻発するようになり、つい最近ヘイトスピーチ対策法が成立したものの依然として問題は絶えていない――という一連の流れについてはここで改めて触れるまでもないでしょう。で、《ヘイトスピーチ》は、二分割された画面の片側で井上女史が日本における反韓デモで発せられたシュプレヒコールを日本語で再演し、もう片側で向かい合うようにして韓国における反日デモで発せられたシュプレヒコールを韓国語で再演するという10分間の映像作品となっています。ちょうど井上女史の一人二役で双方のデモの再演がコール&レスポンスしているようにしつらえられているわけですね。井上女史には二人の子供がそれぞれ日本語と韓国語で同じ童謡を歌いながら砂場で陣取り合戦に興じる様子を映した作品(《It’s a small world.》)がありますが、今回の《ヘイトスピーチ》は、映像の構成や日韓関係というトピックを俎上に乗せているという点において、その作品を発展的に継承させたものであると言えるでしょう。かような《ヘイトスピーチ》や《It’s a small world.》の他にも、井上女史には、「蛍の光」を日本、韓国、台湾の人がそれぞれに歌い継がれている歌詞で歌ったのを映した作品(《Auld Lang Syne》)や、ギャラリーの床に描かれた東アジアの地図上に黒船来航直前から現在に至るまでの日本の領土(や占領地)の変遷を描き加えたり消したりしていく作品、第二次大戦中毒ガスの研究製造が行なわれ現在はウサギが多く生息していることで観光地化している大久野島広島県)に自らバニーガール姿で乗りこんで往時の痕跡を様々に掘り起こしていくのを記録した作品(《Secret Information》)など、日本の近現代史を東アジアとの関係性の中に置き直して俎上に乗せ直す作品が多い。その際に真正面からというより搦め手から遊戯的に取り上げて作品化しているところに彼女の持ち味があるわけですが、そうして制作された作品は、その遊戯的な部分も含みこむという制作態度と合わせて、遂行的にある政治的な位相を開示していることに注目する必要があります――個々の争点や論点に対して一方の側に立つということとは違った位相における〈政治〉が(そして現代美術とは、この〈政治〉の位相に対してこそ介入するものではなかったか)。

 

 「答えは目の前にあり、見えていないのは問いである」――井上女史は自らの制作について、しばしばこのように述べています。かかる発言から、彼女の制作活動はその「問い」を可視化することで一貫していると考えられますが、それが日本の近現代史、とりわけ「戦後日本」と雑駁に呼ばれる時空間に対して向けられるとき、自身が知ってか知らずか、かつて(「68年革命」の一局面である)全共闘運動においてスローガン化されていたという「戦後民主主義批判」を回帰させているように、個人的には思うところ。

 

 この「戦後民主主義批判」、「戦後民主主義」を「批判」すると短絡されて、今日では(あるいは今日でも)この言葉からは改憲再軍備などなどといった右翼的な主張が連想されるところかもしれませんが、当時の「戦後民主主義批判」はいささかニュアンスが違っていたようでして、そのような左右対立を戦後民主主義左派と戦後民主主義右派の差異とみなした上で、その双方を、あるいは双方が無意識に立脚している基盤をこそ批判するものであった(少なくとも、その可能性があった)。スガ秀実氏はこの「戦後民主主義批判」を、――当事者たちの主観においてはどうあれ――戦後民主主義自体が新たな「戦時体制」にほかならないという認識から出てきたものと整理していますが(スガ秀実『革命的な、あまりに革命的な』(作品社、2003))、とするとそれは日本一国に限った話ではないわけで、このような認識はとりわけ日韓関係(あるいは日本と韓国の界面と言うべきでしょうか)において最も先鋭的な形で露呈することになるでしょう。今回の《ヘイトスピーチ》をはじめ、井上女史が日韓関係や日本と東アジアの関係をお題にするとき、合わせ鏡的な印象を観る側に与えるような手法を採用するのも、このゆえであるのかもしれません。それは趣味の問題である以上に〈政治〉の問題=「問い」の問題なのである。

 

 依然として「戦後民主主義」の枠内にとどまっているアーティストや展覧会が多い――そのこと自体は(改憲が現実的な過程に乗りつつある現在)仕方ない側面が大いにあるとしても――中で、彼女の姿勢は貴重であると言えるでしょう。

 

 韓日藝術通信@京都嵯峨芸術大学

※出展作家(日本側):河村啓生、宮岡俊夫、中屋敷智生、宇野和幸、入佐美南子、寺岡海、三輪田めぐみ、倉山裕昭、井上裕加里、山本直樹
※出展作家(韓国側):Park Jin-Myung、Park Young-Hak、Choi Boo-Yun、Yun Duk-Su、Lee Woo、Choi Min-Gun、Kwon Soon-Uk、Choi Kyu-Rak、Kim Ki-Hwan、Kim Ki-Young
※主催:藝術文化同人Saem
※後援:韓国文化芸術委員会、Chunbuk Cultural Foundation