山部泰司「ここからはじまる風景画」展

 奈義町現代美術館で2.13~3.13の日程で開催されていた山部泰司「ここからはじまる風景画」展。荒川修作+マドリン・ギンズの《遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体》や磯崎新氏の建築などで知られるこの奈義町現代美術館ですが、なにぶん岡山県鳥取県の県境近くという場所が場所なだけに、車の運転ができない当方が訪れることはないだろうなぁと諦めていたら、知人が車を出してくださるという話になり、ご家族とともに初日に行ってきました。遅くなりましたが、記して感謝申し上げます。

 そんな同所の中にあるギャラリースペースを利用して開催中のこの「ここからはじまる風景画」展。1980年代から画家として活動している山部泰司(1958~)氏は、近年風景画を集中的に描いておりまして(当方も関西各所で接したことがあります)、今回はそういった折々に出展された中から厳選された作品+新作が大型のものを中心に十数点展示されていました。一見すると、赤や青の単色で木々や河川の流れが素早いストロークとともに描かれているといった趣を見せているこれらの風景画ですが、しかしそこで描かれているモティーフの多くは、近代以前の東洋・西洋の風景画から抜き取られたものであり、また抜き取られた諸要素は一点透視図法に必ずしも従わない形で配置されているとのことで、むしろメタ風景画といった様相を呈していると、さしあたっては言えるでしょう。それは、最近は(「(風景画の)元ネタが尽きてきたから」と話されてましたが)目の前の自然物をモティーフとして使うことが増えてきたとしても、そうである。

 《なぜいま風景画なのか。「風景画」は自然を描写したものではなく、高度な様式美、人工の美だと気づきました。/「風景画」のシリーズは、絵画であると同時に「風景画」について考える風景画論として構想しました》(2009年のLADS Galleryでの個展でのステイトメントより)――山部氏は風景画シリーズを始めるにあたってこのように述べ、以後現在に至るまで「風景画」を描き続けているわけですが、一点透視図法を放棄することで画面はモティーフごとに分裂し、画面の中で統合される機会は、(少なくとも画面内における要素の連関というレヴェルにおいては)失われたまま提示されることになり、繋留展が外されたまま置かれているという意味において動的・重層的なものとして観者の前に立ち現われることになる《様々な時間の流れと空間が重層的にたちあらわれ、消失する多遠近風景画。対立する概念や空間を内包しながらも、その対立構造ではとらえられない地平を表現しています。作品は、見るものと見られるものの相互的な編集過程であり、新たな世界観の生まれる器のような動的な絵画空間を追求しています》(昨年のギャラリーあしやシューレでの個展の際のステイトメントより)。

 ところで、今回の展覧会ではギャラリーの別室に、氏が1982年に制作したインスタレーション《TROPISM》が再制作されています。もともと東京芸大京都市立芸大の有志によるグループ展「フジヤマ・ゲイシャ」展*1のために制作されたそうですが、経年変化が意外と少なかったとのことで、今回、並べ方こそ異なっているものの、当時の制作物をそのまま用いて再制作しているのだとか(82年当時の展示の様子についてはこちら→https://twitter.com/yamabeyasushi/status/696892069118238720)。つまり今回の「ここからはじまる風景画」展では、山部氏の最新の仕事と出発点(に近い時期)の仕事とが並列されていることになります。当方が伺ったのは初日だったので山部氏本人が来ておりまして、短時間ながら歓談する機会に恵まれたのですが、このような構成にしたのは、《TROPISM》を制作する中で抱いた問題意識が時を超えて風景画シリーズにも底流しているように感じられたからだそうで。さらに、風景画シリーズは自分の中ではインスタレーションとして展開しているとも語られており、これらの発言には個人的には考えさせられ、唸ることしきり。

 「フジヤマ・ゲイシャ」展が開催された1982年は、美術手帖インスタレーション特集が組まれる以前であり(「インスタレーション」という言葉自体はこの当時既にそれなりに流通していたそうですが)、してみると、インスタレーションとはこのようなものであるという定義が現在以上に曖昧だった中で、現在の私たちがイメージするのとは違ったインプリケーションのもとで「インスタレーション」を受け取って実践していた/いると考えることができるかもしれない。山部氏の場合、以上のような発言から類推するに、インスタレーションと絵画を連続したものとして認識していた様子であり――それは《特に80年代前半の関西におけるインスタレーションは、絵画、インスタレーション、彫刻という三項の関係の中で考えられる》(山部泰司「絵画の現在」(『華頂短期大学紀要』第38号所収))と書いていたことからも明らかであろう――、その意味では現在進行中の(メタ)風景画は、そういったインスタレーション観を絵画という形でもう一度反復してみるという試みと整理できるでしょうが、このようなインスタレーション観は現在の私たちからすると異質なものがありますし、むしろかかる異質さからインスタレーションの現在を逆照射して考え直すことが重要かもしれません。

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*1:

*「フジヤマ・ゲイシャ」展(東京芸術大学京都市立芸術大学の講師、大学院生、学生有志による初の交流展)の日程と出展作家は以下の通り
1982年11月1日~13日 京都市立芸術大学ギャラリー
11/1~6 小西修、橋本かの子、池田周功、奥野寛明、高木英章、中原浩大、椿昇
11/8~13山部泰司、マスダマキコ、大橋弘滋、長野久人、杉山知子、布引雅子、関口敦仁。

1982年12月13日~25日 東京芸術大学展示室
12/13~18 杉山知子、中原浩大、布引雅子、奥野寛明、大橋弘滋、池田周功、橋本かの子
12/20~25関口敦仁、新田和成、マスダマキコ、椿昇、小西修、高木英章、長野久人、山部泰司

「新シク開イタ地」展

 神戸アートビレッジセンターKAVC)で2月25日~3月6日の日程で開催された「新シク開イタ地」展。KAVCのある新開地を字義通り“(埋め立てによって)新しく開いた/開かれた土地”と読み替えた上で、「地」「土地」「大地」」とは何かという視角から再考するといった趣の展覧会で、京都市立芸大教授の田中明彦氏と(加藤至+星野文紀+吉田祐各氏によるユニット)hyslomの作品が展示されていました。

 《旧湊川を埋め立てた土地が「新開地」と呼ばれたとき、詩人竹中郁は「ヘンな名だなあ」と感じたという。「新しく開いた地」が固有名詞として定着し、今の地名がある。このプロジェクトは竹中郁の違和感に立ち戻ることから出発する》――ステイトメントではこのように書かれており、ここだけ取り上げると新開地という場所(神戸屈指の歓楽街として栄え、今ではマルクスが「ルンペンプロレタリアート」と名づけたような労働者が多くたむろす界隈となっている(それは阪神・淡路大震災後の再開発を経てもなお、さして変わっていない))を俎上に乗せた地域アート系展覧会といった趣を感じさせるところではあるのですが、実際に出展作家たちの作品に接してみると、新開地ではなく、海底火山の噴火によって最近できた西之島がフィーチャーされていました。つまり、地域アート的な枠組みを採用しているように見えながら、実際は似て非なるものとして構成されているわけで。

 もともと「新開地」という地名自体が、上述したように“(埋め立てによって)新しく開いた/開かれた土地だから新開地”という由来を持った地名であり、人間の行為がそのまま地名になっているというニュアンスを強く抱かせる――いわゆる阪神間モダニズムの詩的伴走者でもあった竹中郁が感じた違和感も、ここに起因するのではないか――のですから、そこには独特の即物性とともに何か野性めいた何かをも感じさせるものがあり、その意味で「地域」に単純に還元できないモーメントを含んでいると言わなければなりません。「地域」とは、言語的・語感的な側面に即して言うと、名付けることが終わった後から始まる機制であるからです。それゆえ、そのような形で「新開地」を非–場所として措定している以上、展覧会の内容が現実の新開地とあまり関係なくてもいいわけですし、単純な地域アートに収まらない射程をこのようにセッティングしてみせた企画者側の慧眼に、まずは瞠目すべきであると言えるでしょう。

 以上のようなフレームワークが周到に設定された上で、hyslomは、彼らが最近ハマっている鳩レース用の鳩を西之島近海まで連れて行って見せるという映像作品を出展したり、展覧会初日の早朝にはKAVCの近所にある公園で鳩を飛ばすイベントを開催したりと、鳩尽くし(?)な作品やパフォーマンスを見せていました。特に前者は海底火山の活動によって新しくできた島と鳩という取り合わせによって、旧約聖書におけるノアの方舟話のクライマックスを現代において人為的に再現してみるといった趣を強く感じさせるものとなっていて、個人的には唸るところ。人と土地(ないし自然物)との関係性の原風景を、近代におけるロマンティークとしての“血と大地の同一性”と違った形で彼ら自身が身体を張って探求するというパフォーミングアーツを各所で続けているhyslomですが、今回はそれを神話的モティーフと接続させて再提示しているわけで、ここに彼らの新しい一面を見出すことは、さほど困難ではないでしょう。一方、井上氏は座卓めいた何かをうず高く積み上げたオブジェを作り、中に入ると西之島で今なお続く海底火山の噴火の様子を海中で撮影した映像や、KAVCから世界各地のいわくありげな(?)場所までの距離や方向を標識化したオブジェを出展してました。これもhyslomほど直截にではないものの、人と土地との関係性を「新開地」という非–場所を起点に測り直すことで客観的ではない地図を作り直すという方向性が押し出されており、そうすることによって近代におけるロマンティークと違った形での考察がなされていたと考えられます。作品単体としてはともかく、複数の作品を合わせることで、新たな大地のノモス((C)カール・シュミット)を見る側にもかすかにせよ予感させるものがあったと言えるかもしれない。

 まぁ細かいところをあげていけばキリがないのですが――例えばKAVCの一階を「意識」に、地下一階を「無意識」になぞらえるというのはいささか安直に過ぎるのではないか(個人的には地下一階の展示だけでも充分だったように思うところだったり(^_^; )、とか――、やはり「新開地」を“新しく開いた/開かれた土地だから新開地”と読み替えたところから出発したのは、端的に良い仕事だったと思います。

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