伊東宣明「生きている/生きていない 2012-2017」展

f:id:atashika_ymyh:20180329013332j:plain

 いささか旧聞に属する話ですが、galerie 16で昨年12月12〜24日に開催されていた伊東宣明「生きている/生きていない 2012-2017」展は、関西を中心に活動している伊東宣明(1981〜)氏の、関西では数年ぶりとなる個展でした。伊東氏は、galerie 16では初個展から間もない2008年に一度個展を開催しておりまして、今回はそれ以来およそ10年ぶりとなるそうですが、この間、主に映像作品を中心に制作活動を続ける中で京都のみならず東京や名古屋でも個展を開催するようになったり、近年は京都造形芸術大学が運営するARTZONEのディレクターとしても同大学でアートマネジメントを学ぶ学生を率いて辣腕を振るうなど、活動の場を大きく広げてきている。その意味で今回の個展は、キャリアをしっかり重ねてきた上で満を持して凱旋してきたという趣があったと言えるでしょう。

 

 さておき、展覧会タイトルからも分かるように、今回は伊東氏が2012年以来手がけている《生きている/生きていない》シリーズが出展されていました。 全裸の伊東氏が聴診器で自身の心音を聴きながら、そのリズムに合わせて生肉の塊を拳で叩いていくという行為とシチュエーションを記録した数分ほどの映像作品ですが、2012年の第一作以来、おおむね一年に一作のペースで作られており、今や伊東氏の代表作と言ってもあながち揚言ではない。第一作では白い背景で行なわれていたのが、竹藪の中や山水画のような光景が広がる海辺、洋間、病院の廊下、果ては(岡山市にあるS-HOUSE Museum( http://s-house-museum.com/ )が所蔵している)加藤泉氏の彫刻作品を背景にして行なわれておりまして、映像内での伊東氏の行為やそれが行なわれているシチュエーションの突飛さを見るべき作品となっています。今回は、ギャラリー内の壁面に二画面に分け、双方の画面に映写された各作品がシンコペーションを変えながらループしていく――そのため、同じ映像が同時に現われることはない――という形で構成されていました。このような見せ方で《生きている/生きていない》に接することは管見の限りでは今までなかっただけに最初チト戸惑いましたが、ずっと見ていると、かような構成を取ることで、映像に映し出されたヴィジュアル的なシュールさとはまた違った角度からこの作品を見直す必要があるなぁと思わされることしきり。

 

 ことにそれは伊東氏の別の過去作と交差させることで、より明らかになるだろう。 これまで伊東氏は複数の画面を用いたり、映像内の要素がそのままで別のモノ・コトをも同時に指し示している(ように観客視点からは見えてしまう)事態を繰り込んだりした映像作品を手がけてきていることで知られています。上述したように伊東氏は10年ほど前にもgalerie 16で個展を開催していますが、その際に出展されていた《幻視者/演者と質問者》では“催眠術にかかった人”と“その人の演技をする人”をそれぞれ二画面で映し出してましたし、今はなきサントリーミュージアムで開催された「レゾナンス」展(2010)で展示されていた《死者/生者》では、うわ言を発している伊東氏の祖母の映像と彼女のマネをする伊東氏自身が、やはりそれぞれ二画面で映し出されていました。さらに数年前の《芸術家》では、駆け出しの女性アーティストに自作の(過去の大芸術家たちの名言をピックアップした)「芸術家十則」なるアフォリズム集をムリヤリ記憶させ、大声で早口で喋らせる(で、途中でトチったら最初からやり直させる)という、ブラック企業の社員研修にありがちな無意味な行為を延々とさせる様子を映し出していた――といった具合に、これらの作品においては、映像に映し出された事態の主体が(二画面の相互間で)決定不能状態に陥っている様子が執拗に主題化されているわけです。で、それは、《芸術家》において、「芸術とは/芸術家とは」という陳腐な問いに対して、「これを暗記して正しく暗唱できたら(誰であれ)芸術家である」というメタ的な位相を唐突に挟み込むことで問いが二重化されるという形で、形式論理的な操作という面においてひとつの極点を見せることになる。

 

 《生きている/生きていない》に戻りますと、この中で伊東氏が執拗に行なっている肉塊を叩くという行為は、草創期のトーキー映画において心音をローテクに再現する方法として考案されたものだそうです。大昔の時代劇においてキャベツをざく切りするときに出る音がチャンバラシーンで人が斬られたときの効果音として使われてた――というのと同じアレですね。そのことを勘案してから改めて映像作品に接してみますと、一見すると謎の行為を単に延々と映し出しているだけのように見えるこの作品も、実際の心音とローテク効果音として作られた心音という形で二重化された様態が映されていることになり、先にあげた過去作と同じ問題意識を共有して制作されたものであることが見えてきます。しかもそういう仕掛けを内容に埋めこんだ作品を二画面で提示するという形で、今回の展覧会ではさらに徹底された形で開示されているわけですから、かつての《芸術家》と同程度には極致に達していたと言えるでしょう。

 

 ――いずれにしましても、伊東氏の作品に頻出する二重化というモーメントが、一見するとそう見えない作品にも貫かれていることがかような形で示されたのが、個人的には大きな収穫でした。

当方的2017年展覧会ベスト10

 年末なので、当方が今年見に行った552の展覧会の中から、個人的に良かった展覧会を10個選んでみました。例によって順不同です。

f:id:atashika_ymyh:20170407175942j:plain

・「泉茂 ハンサムな絵のつくりかた」展/「泉茂 PAINTINGS1971-93」展(1.27-3.26 和歌山県立近代美術館/2.25-3.26 Yoshimi Arts, the three konohana)

 関西の美術館における常設展でその作品に接することが多い泉茂(1922〜95)だが、それゆえにか、一定のパースペクティヴのもとで集中して展観する機会はこれまで多くなかったわけで、美術館/ギャラリーという垣根を超えて緊密な連携のもとで行なわれた両展は関西においても貴重な機会となった。和歌山県立近美では通時的に、Yoshimi Artsとthe three konohanaでは1970年代から晩年に至るまでの絵画に焦点を当てて見せるという役割分担が行なわれていたのだが、そのことによって、泉の画業が作風の大胆な変更を繰り返していてもなお、「構造」の導入による画面の(モティーフの具象性や物語性からの)自立というモーメントにおいて一貫していたことが強い説得力を持って明らかにされていたわけで、個人的には非常に勉強になった。

 

f:id:atashika_ymyh:20171231135445j:plain

・西山美なコ「wall works」展(10.24-11.12 Yoshimi Arts)

 1990年代に少女趣味的あるいは少女マンガ的な意匠をあからさまに導入することによって女性性を外面的・形式的な位相に定位するような作品を多く制作したことで、前時代のいわゆる「超少女」と呼ばれた一群の女性作家たちに対する批評的な視線を内在化させた作品を多く作りだしてきた西山美なコ女史だが、近年は展示空間の壁面に直接描く作品を多く手がけているそうで。その現時点における最新版がこの展覧会だったのだが、ギャラリーの壁面にピンク色の二つの円がボヤッと浮かび上がっているという、それだけといえばそれだけ(ただし、労力は相当かかっている)の作品でありながら、ずっと見ていると視覚的にハレーションを起こすことしきり。かような形でオプ・アートを導入することで、身体に対する新たなアプローチを見せたことの意味は、身体を本質化することで90年代以降急速に反動化していったフェミニズム――西山女史の作品は、ことの最初からフェミニズム批評であり、その意味でポストフェミニズムなのである――と美術との関係を再考する上でも重要であろう。

 

f:id:atashika_ymyh:20171231135537j:plain

・「福岡道雄 つくらない彫刻家」展(10.28-12.24 国立国際美術館

 大阪の現代美術界隈におけるビッグネームの一人として知られる福岡道雄(1936〜)氏の大規模な回顧展。初期作品から「つくらない彫刻家」宣言をした後の近作まで、彫刻のみならず平面なども大量に展示されていたのだが、ほとんど別人のごとき作風の変化を超えて一貫しているのは「つくる」ことを自明視することへの違和感の表明であり――既に最初期の頃に「なに一つ作らないで作家でいられること、これが僕の理想である」と表明しているのだから、相当筋金入りである――、そこから始まる迷走と中断、私的なものとの接近と乖離の軌跡をこそ見るべき展覧会であると言えるかもしれない。反芸術はなやかなりし頃に、その近傍から出てきつつ、ときに具象彫刻を作ったり、今なお豊かな謎をたたえる〈風景彫刻〉を作ったり、「何もすることがない」と大画面に細かく繰り返し書いて埋め尽くしたり……と、同年代の作家と比べてもその振れ方の凄まじさに眩暈を覚えることもないではないのだが、「反」の意味自体を問い直すこととあわせて最も「反芸術」していたのが福岡氏だったのかもしれない――そのようなことを考えさせられた。

 

f:id:atashika_ymyh:20171231135706j:plain

・「抽象の力 岡﨑乾二郎の認識――現実(Concrete)展開する、抽象芸術の系譜」展(4.22-6.11 豊田市美術館

※主催:豊田市美術館

※協力:武蔵野美術大学美術館・図書館

※企画監修:岡﨑乾二郎

※出展作家:フリードリヒ・フレーベル、マリア・モンテッソーリルドルフ・シュタイナー高松次郎田中敦子、イミ・クネーベル、ブリンキー・パレルモヨーゼフ・ボイス、ウルリヒ・リュックリーム、恩地孝四郎熊谷守一マルセル・デュシャン&ジャック・ヴィヨン、ジョルジュ・ブラックエドワード・ワズワース、ドナルド・ジャッド、コンスタンティンブランクーシ、ペーター・ベーレンス/AEG社、ヘリット・トーマス・リートフェルト、斎藤義重、長谷川三郎、村山知義吉原治良ゾフィー・トイベル=アルプ、ハンス・アルプジョン・ケージ、テオ・ファン・ドゥースドルフ、ピエト・モンドリアン、バート・ファン・デル・レック、瑛九岸田劉生、坂田一男、中村彝、サルバドール・ダリ、ジョルジョ・モランディ、ル・コルビュジエ、フェルナン・レジェ、ジャン・デュビュッフェ、ルーチョ・フォンタナ、ダヴィド・ブルリュークフランシス・ベーコン

※他、熊谷守一日記帳、ヒルマ・アフ・クリント作品のコピー、『MAVO』1-7号、『FRONT』1-10号、岸田日出刀ほか編『現代建築大観』挿画、デ・ステイル誌、『アブストラクシオン・クレアシオン』1-5号、『291』5・6号、キャサリン・ドライヤー『ブルリューク』などの各種資料

 

 《キュビスム以降の芸術の展開の核心にあったのは唯物論である》《物質、事物は知覚をとびこえて直接、精神に働きかける。その具体性、直接性こそ抽象芸術が追究してきたものだった。アヴァンギャルド芸術の最大の武器は抽象芸術の持つ、この具体的な力であった》というステイトメントのもと、1920〜30年代をピークとして《(戦後において歪曲され忘却されていった)抽象芸術が本来、持っていたアヴァンギャルドとしての可能性を検証し直す》ことが目論まれていたのだが、岡﨑乾二郎氏による以上のような認識が、出展されていた作品が改めて並べ直されることによって眼前において雄弁に語られていたことに、個人的には驚くばかり。テキスト( http://abstract-art-as-impact.org/ )が話題になっていた様子だが、実際には「見ること」をめぐる仕掛けが随所に仕掛けられていたことにこそ、この展覧会の眼目があったと言えるかもしれない。ことに「「抽象的に」世界を認識すること」の原風景として、フレーベルやモンテッソーリたちによる知育玩具が並べられた一直線上の向こう側に田中敦子の絵画作品を望むという動線の引き方は、岡﨑氏の認識を一見即解させるものとして、実に秀逸だったわけで。ここで超展開されていることが歴史的・思想的に見てどれほどの妥当性を持っているかについてはプロたちによる検証を待ちたいが、岡﨑氏によって周到にプログラムされたzipファイルが超速でダウンロードされインストールされていくような感覚は、まさに展覧会を実地において見ることの醍醐味にあふれていたと言えるだろう。

 

f:id:atashika_ymyh:20171231135522j:plain

・「アペルト06 武田雄介」展(1.27-5.6 金沢21世紀美術館(長期インスタレーションルーム))

 これまでインスタレーション作品を多く作り続けてきた武田氏だが、氏の地元での金沢での個展となった今回は、〈イメージの奥行き/イメージの湿度〉というテーマ(?)のもと、様々なオブジェや映像、写真etcがざっくばらんに並べられた空間を現出させていた(  https://tmblr.co/Zq0wpx2LO3SeK )。「イメージ」に対し、その質的な様相に焦点が当てられていたわけであるが、武田氏の場合、そこにとどまらず、イメージを介した諸事物の平等という方向性がこの展覧会においてハッキリと打ち出されていたわけで、それは今日において非常に慧眼であると言えるだろう。武田氏が現出させた諸事物の平等は、イメージが質的存在であることを介することで、事物を認知する主体の想像力なしに実現されることになる――氏のインスタレーションにおいて映像が特権的な位置を占めていることは、想像力による因果関係(の補完)と別種の論理が伏在している(「自由間接話法」)ことを鑑みるに、示唆的であろう。それをインスタレーションという場の実践において継続的に行なっているところに武田氏の重要性があるし、それがこの展覧会においてこれまでとは違う高レベルでなされていたことに、私たちはもっと驚くべきなのかもしれない。

f:id:atashika_ymyh:20171231135505j:plain

・「「1968年」無数の問いの噴出の時代」展(10.11-12.10 国立歴史民俗博物館

 フランスで起こった五月革命と呼応するように日本においてその前後に同時多発的に展開された諸運動に焦点を当てた展覧会。第一部ではベ平連成田闘争水俣病に代表される公害問題などといった形で具現化された市民運動が、第二部では大学紛争/全共闘運動がフィーチャーされていたのだが、膨大な資料とエピソードによって語られる出来事がいちいち興味深いわけで(とりわけ「長野県には「一人ベ平連」という運動があった」とか「水俣でばら撒かれた怪文書の実物」とか、普通に瞠目しきり)、それらを「無数の問いの噴出の時代」という形でパッケージングしたところに、主催者側の慧眼が光る――それは必然的に「無数の問い」を「唯一の回答」に回収する戦後民主主義への批判を(主張が表面的には一致していたにしても)潜在的に含みこんでいるからである。近年の動向として、日本における市民意識の頂点として1960年の安保闘争を置くか1968年前後の諸動向を置くかで大きく二分されてきているのだが、後者のアクチュアリティを現在において改めて見せたところに、この展覧会の特筆大書すべき美質が存在する。

 

f:id:atashika_ymyh:20170530214652j:plain

・柳瀬安里「光のない。」展(3.7-12 KUNST ARZT)

 今年も近現代史や社会的な諸問題を直接的に主題とした作品ないしプロジェクト――それらは往々にして「Socially Engaged Art」(SEA)と呼ばれている――を目にする機会がそれなりにあり、特に「戦後日本」という時空間を俎上に乗せることで近現代史を主題とした展覧会にエッジの効いたものがいくつかあったのは個人的に大きな収穫だったのだが(笹川治子「リコレクション―ベニヤの魚」展(8.25〜9.17 Yoshimi Arts)、井上裕加里「堆積する空気」展(8.1〜13 Gallery PARC)など)、その中でもダントツにヤバかったのがこれ。米軍のヘリパッド建設問題で反対派と機動隊が真っ向から衝突している沖縄県東村の高江地区に赴き、建設現場の近辺をエルフリーデ・イェリネクの戯曲『光のない。』を朗読しながらめぐるという映像作品なのだが、同作において主題化されている(と考えられる)「私(たち)とは誰か」、あるいは「「私(たち)/彼(ら)」を分かつものは何か」という問いを、「私(たち)/彼(ら)」をめぐる争いが最も激烈な形で展開されている高江地区において再演するというフレームワークは、畢竟「私(たち)/彼(ら)」という線引きを固定的なものとさせてきた戦後日本/戦後民主主義に対する見直しを見る側に迫ることになるし、『光のない。』自体がもともと東日本大震災に触発されて、「デモクラシーの黄昏」というお題へのレスポンスとして書かれたという事実を外挿することで、沖縄における事態が端的に戦後民主主義の黄昏であることをも含むことになるだろう。それは「68年革命」とその日本における徴候としての「戦後民主主義批判」において既に告知され、露呈していたのではなかったか。SEA(や、それを持ち上げる社会学者)に欠けているのは、問題をそれとして取り上げるときのフレームワークに対する、かような批判なのである。

 

f:id:atashika_ymyh:20171231135726j:plain

・清方「オーシャン」展(5.19-6.4 波さがしてっから)

 清方(1990〜)氏の数年ぶりの個展となったこの展覧会の、京都というローカルな場におけるトランスローカルな史的過程という観点から見た位置づけについては会期中に書いたことがあるので( https://mastodon.xyz/@wakarimi075/3625002 )、詳しくはそちらを参照されたいが、そういった位相とも交差しつつ描かれていったのが「夏」や「海」を彷彿とさせる絵画であったことの意味もまた大きなものがあったのではないだろうか。ローカル/トランスローカルな位相におけるプロセスを経ることで、氏の描く「夏」や「海」が、かつて松井みどり女史がキューレーターとなって開催された「夏への扉マイクロポップの時代」展(2007 水戸芸術館)への正当的な応答として機能していること、その意味で新しいSummer of Loveとなっていることが、今後の絵画において清方氏や、協力者としてクレジットされているKim Okko氏を正当に再評価する上で(この展覧会は、その序章である)真っ先に考察されるべきことなのかもしれない。

 

f:id:atashika_ymyh:20171231135627j:plain

・「時間の形式、その制作と方法――田中功起作品とテキストから考える」展(9.3-30 青山|目黒)

 田中功起氏の作品に対する長大な論( http://ekrits.jp/2017/08/2353/ )を提示し、それを発表/検証する場として展覧会という方法を用いるという上妻世海(1989〜)氏の企画力に、素直にすごいなぁと思ってしまうことしきりだった展覧会。大阪ではこういう企画はまぁ成立しない← それはともかくとして、田中氏が2000年に野比千々美名義で書いた論文「世界―速度の変容 ――コンセプチュアル・アートの「遅さ」をめぐって――」を出発点に、氏の名声を定着させた映像作品(同じ行為を複数の人間にさせる、というような)以前の、同じ状況が無限に繰り返されたり引き伸ばされたりしているような映像作品を多く選択し、それらを近年の(ポスト)関係性の美学の作家の一人としての田中氏に接続させるところに、上妻氏の賭金が存在していたのだが、そのような形で批評を展覧会に落とし込むのは、個人的には非常に新鮮な鑑賞体験だった。田中氏の制作活動を《バラバラになった僕たちを繋ぐ装置として、制作を考えていたのだ》という形で再提示(リバースエンジニアリング)するのは、今日において非常に重要な論点であろう。

 

f:id:atashika_ymyh:20171231135553j:plain

・「不純物と免疫」展(10.14-11.26 トーキョーアーツアンドスペース本郷)

※出展作家:大和田俊、佐々木健、谷中佑輔、仲本拡史、百頭たけし、迎英里子

※キュレーター:長谷川新

※協賛:アイ・オー・データ機器ERIKA MATSUSHIMA、gigei10

※協力:青山|目黒、スタジオ常世、This and That、tochka|特火点、PARADISE AIR

 「批評」を提示/検証する場として展覧会という方法を用いつつ、こちらはもっと作品寄りというか、作品に語らせることに主眼を置いていた展覧会。ロベルト・エスポジトやジョルジュ・カンギレムの議論から着想されたと思しき自己免疫性の議論から出発しつつ、一定の度合いを越えると自己破壊を始めてしまう免疫システムからの連想で政治思想や社会思想を再考するという近年の動向に目配せしながら「不純物」としての作家と作品を提示するというフレームワーク――長谷川氏のテクスト「不純物と免疫」における《自分たち自身がまず「不純物」であり、また別の不純物たちとの折衝によってその都度規定されている存在として引き受ける地点が存在している》という一節は、それを端的に言い表している――は、今日における自己免疫性の全面化という状況に対する介入として、最低限踏まえていなければならないことであろう。なおこの展覧会は来年沖縄に巡回するという。自己免疫性の議論が最も試されている場所とも言える沖縄においてこの展覧会がどのように見られるか、興味深い。

 

森村誠「OTW / THC」展

f:id:atashika_ymyh:20171231145952j:plain

 この8月から10月にかけて大阪市内の二つのギャラリーで立て続けに開催された「THC」展(8.29〜9.9、於Calo Bookshop and Cafe)と「OTW」展(9.16〜10.22、於the three konohana)は、森村誠(1976〜)氏の未発表の旧作と新作を続けて見せることによって、氏の作品が潜在的に持っている別種の射程に見る側の注意を向けさせるものとなっており、その意味で非常に面白く、またアクチュアルでもあったと言えるでしょう。どちらも地図上の文字を一定の規則に従って切り取ったり修正液で消したりするという、近年の森村氏の作品の主軸をなしている作風が横溢していましたが、どちらもかような微細な行為の集積がそのまま別のアクチュアルな位相に接続されていく、その巧みさがきわめて印象的でした。

 

 先に開催された「THC」展では、ニューヨークの地図や地下鉄路線図から「T」「H」「C」以外を修正液で塗りつぶした作品を中心に、数年前に制作されるも諸般の事情でこれまで展示されたことのない作品が出展されていました。「THC」とは大麻に含まれているヤバい成分の略称だそうで、この三文字に焦点を合わせることによって都市とドラッグないしドラッグカルチャーとの関係性が俎上に乗せられていると、さしあたっては言えるでしょう。で、それは、東京都の地図を用いた作品では「大」「麻」の二文字がくり抜かれていたり、以上のように加工された地図がドラッグカルチャー界の大物として知られるアメリカの詩人ウィリアム・バロウズ(1914〜97)の著作と並べられたり、さらにはくり抜かれた文字で作られた紙巻タバコ(っぽい何か)が並置されたり――当方が接した日には「モリムラナイト」ということで、タバコの葉をほぐして乾燥させて刻んだアジサイの葉っぱ(会場近辺の靱公園から採集してきたという)と混ぜて水増しし、紙巻タバコを改めて作るというパフォーマンスが行なわれてました――していることで、さらに強調されていた。かような具合に大麻を(あくまでも記号として、葉っぱそのものを使わない形ではあるにしても)前面に押し出しているわけですから、見ようによってはヤバいものがある。

 

f:id:atashika_ymyh:20171231150057j:plain

 一方、「OTW」展の出展作は、様々なギャラリーが展覧会の告知用に作るDMやフライヤーに付された地図を切り抜き、何枚も継ぎ合わせて一枚の平面にするというものでした――とひとことで書くと「THC」展とは対照的な単純な作品のように聞こえてしまうかもしれませんが、実際には文字情報を消去したり刺繍糸によって縫い合わされる形で継がれていたわけで(実際、いくつかの出展作は刺繍作品の制作途中のような形で展示されていた(画像参照))、こちらも「THC」展の出展作同様に微細な行為の集積によって作品が成立していた。個人的には展覧会に行った先で、あるいは行きつけのギャラリーから自宅に送られてきてこれらのDMやフライヤーに接する機会が多いので、作品を見てあぁこれは◯◯ギャラリーのから切り取られたものですねと、ギャラリスト氏と談笑したり。ちなみに展覧会タイトルの「OTW」とは「on tne way」の略とのことで、地図を使用した作品にふさわしいものとなっております。

 

 消されたりくり抜かれたりした文字やそうされなかった文字を走査することで、“見慣れた地図”=“地図に表わされた実際の土地”に全く別の意味論的な相貌を与えてしまい、それによって「地図」と「土地」と「人間」との三項関係をハッキングしてしまう――地図を俎上に乗せた作品において森村氏が試みているのはそのような行為であると、さしあたっては言えるでしょう。しかし今回「THC」「OTW」と連続して個展を行なわれたことで見えてきたのは、かようなハッキング行為にドラッグ(カルチャー)という要素が加わることによって一回性ではなく大きなプロジェクトの一環であるという性格が付与され、それによってコンセプチュアルな一貫性が明確に与えられたということであると言わなければなりません。それはあからさまにドラッグ(カルチャー)を参照項としている「THC」展はもちろん、一見すると全く関係ないように見える「OTW」展にも見出されるのではないだろうか。

 

 上述したように、「OTW」展ではギャラリーが出す各種フライヤーに付された行先案内図を切って貼った作品が多く出展されていましたが、それらは集積されて大きな地図を形作るというより、相互間の断絶や飛躍(まさにカットアップである)が強調され、全体としては地図としての用をなさないものとなっている。それは地図というより「地図」と「土地」と「人間」との三項関係が相互に切り離された後における心的地理を端的に示しているわけです。森村氏のハッキング行為は、「地図」が覆い隠してきた心的地理における断絶――これは街歩きを趣味にしている者なら多かれ少なかれ感じることでしょう――を改めて浮かび上がらせるものとなっている。特にギャラリーの地図は、デザイン性を重視するあまり地図としての用をなさなかったり(個人的な経験では、これは東京のギャラリーに多いような気がする)、近年では端的にスマホでグーグルマップとにらめっこしながら場所を確認するというスタイルに取って代わられていることもあって、三項関係やそれらのハッキング行為について格好のサンプルとなっているわけです。

 

 こういった「地図」と「土地」と「人間」との三項関係と心的地理におけるその変質を、ヴァルター・ベンヤミンが「遊歩者」という形象――言うまでもなくベンヤミンにおいてそれは19世紀以降のブルジョワを担い手とする「大衆消費社会」がもたらした「夢」や「知覚様式」と結びつけられることになる(ただしブルジョワ=遊歩者と一概に言えないところにベンヤミン独特のややこしさがあるわけで…)――をその担い手として措定したように、私たちもドラッグ(カルチャー)に使嗾されたところから分析する必要があると言えるでしょう。

広告を非表示にする

「90's日本美術って何だったの!?――what was that!? レントゲン藝術研究所黎明期の日本の美術」展関連トーク

 馬喰町にあるラディウム・レントゲンヴェルケで9月1日に行なわれたトークショー「90's日本美術って何だったの!?──what was that!?  レントゲン藝術研究所黎明期の日本の美術」。同ギャラリーで開催されていたコレクション展(出展作家:中山ダイスケ、三上晴子、ヤノベケンジ、古井智、村上隆、津田佳紀、森村泰昌)の関連企画ということで、同ギャラリーのオーナー池内務(1964〜)氏と、現代美術家の中村ケンゴ(1969〜)氏が登壇していました。

 池内氏は1991年に大森東(東京都大田区)にレントゲン藝術研究所をオープンさせ、1995年の閉鎖までの間に多くの展覧会を開催した――特に1992年に椹木野衣氏のキュレーションで開催された「アノーマリー」展(出展作家:伊藤ガビン、中原浩大、村上隆ヤノベケンジ)は現在もなお語り草となっている――ことで知られています。ここで多くの若い美術家が個展やグループ展を行なっていたことから、1990年代前半の東京において(単なる一ギャラリーという以上に)現代美術シーンの震源地的な場所であったと現在でも回顧されることしきりなこのレントゲン藝術研究所ですが、この時期について当の池内氏が公に語ることは意外にもほとんどなかったそうで、それならばということで、当時美大生で同所に足繁く通っていたという中村ケンゴ氏がいろいろ訊ねてみようという形で企画されたとのこと。中村氏には眞島竜男氏、永瀬恭一氏、楠見清氏etc.との共著『20世紀末・日本の美術―それぞれの作家の視点から』(アートダイバー)がありますので、この時期についてのトークの聞き手としてうってつけの存在であると言えるでしょうが、今回のトークはその続きというか、同書で集中的に取り上げられ歴史化しようとしていた1990年代の日本現代美術におけるラスボス的存在とのセッションという性格を色濃く漂わせていたのでした。

 

 さておき、今回のトークは(モデレーターを務めたアートダイバー社長の細川英一氏いわく)何らかの形で近く公刊されるとのことなので、細かい内容についてはここでは最低限の記述にとどめておきますが、今回のために持ってきたという池内氏秘蔵の関連資料(図面や入口のデザイン画、契約書など)や三階にあったというレジデンススペースに村上氏が常駐していた話、「アノーマリー」展の裏話が披露されたりするなど、氏の旺盛なサービス精神によって、単なる過去回顧にとどまらない話が90分間怒涛のように続いたわけで、一介の現代美術史ヲタとしては俺得きわまりなかったです。一般論として、1990年代というのは、80年代における森村泰昌氏や中原浩大氏、石原友明氏、「超少女」(松井智恵女史、吉澤美香女史etc)らによる「関西ニューウェーブ」から、村上氏や中村政人氏、小沢剛氏らによる「東京ポップ」へとトレンドが大きく変化――それは日本現代美術の言説的なヘゲモニーが関西から東京に移ったことをも意味するだろう――していった時期に当たるという、(自身も「東京ポップ」の担い手の一人だった)中ザワヒデキ氏の所説に代表されるように、日本の現代美術において一つの画期・モードチェンジをなす時期であるとされるにもかかわらず、例えばZINEやミニコミ誌を含めたアートブックの出版点数自体が80年代やゼロ年代以降と較べて圧倒的に少ないなど、一次資料・史料の数自体が少ないこともあって、近過去にもかかわらず後から実証的に走査するにはなかなか難渋する時代でもある。だから例えば(このトークショーの数日前に広尾のカイカイキキギャラリーにおいて開催されたという日比野克彦氏とのトークにおいて)村上氏がポストもの派以降(氏自身が領導した)〈スーパーフラット〉までムーヴメントが存在しないという趣旨の発言をしていたり、椹木氏が1990年代前半の日本現代美術について語る際に通常の俯瞰的な叙述から逸脱することをあらかじめ宣言した上で語り始める(例:「「レントゲン藝術研究所」という時代 バブリーな開放感から、ニヒリズムの爆発へ」(『美術手帖』2005年7月号所収))という、その時代の当事者たちによる、良く言えば豊穣な思い出話、悪く言えば放埓なポジショントークが横行している現状があるわけで。ですから、90年代を多少なりとも客観的な歴史として改めて語り直す際に、上記のような端的な例に見られるような我有化に対して、当時きわめて重要な伴走者であったと衆目一致するギャラリストの回顧談という形で介入していくことが意図されていたわけです。実際、村上氏や椹木氏がこの時期について言いっぱなし状態であるという現状にはいろいろ思うところがあると、池内氏は語っていました。

 

 このように、今回のトークは、レントゲン藝術研究所を運営していたギャラリストと当時美大生だった現代美術家による「東京ポップ」再考という性格を色濃くにじませたものとなっていたわけですが、対談が進むにつれてクローズアップされていったのは、ギャラリストとしてこの動向を強力に推進した存在とされる池内氏と「東京ポップ」との関係が意外と微妙というか、そんなに単純なものではないということでした。レントゲン藝術研究所は3フロア190坪という、当時の日本現代美術界においては(ことによると現在においても)破天荒過ぎる場として唐突に登場したのですが、それによって池内氏と「東京ポップ」とが幸福な関係を取り結んでいたかというと、当時においても微妙な齟齬があったらしい。で、それは年を追うごとに加速度的に広がっていき、1995年の閉廊〜南青山への移転(この移転によって190坪から四畳半になったという(で、幾度の変転を経た現在、ラディウム・レントゲンヴェルケは24坪とのこと))に至る、と。

 では池内氏と「東京ポップ」との間にあった齟齬とは何だったのか――氏が第一にあげていたのは、「東京ポップ」が基本的にオフミュージアム志向だったということでした。実際、「東京ポップ」の主要な成果として今日回顧されるのは、当時街頭で行なわれたイベントやパフォーマンス、あるいはオルタナティヴスペースの設立と運営であることはよく知られています。小沢剛氏による《なすび画廊》や《地蔵建立プロジェクト》、スモールビレッジセンター(小沢剛村上隆、中村政人、中ザワヒデキ各氏によるユニット)による一連の「大阪ミキサー計画」、中山ダイスケ氏たちによる「スタジオ食堂」などがオフミュージアム志向の顕著な例としてあげられるでしょうが、それらが本質的に持っていた「オブジェとしての作品を「つくらない」」ことへ向かっていくベクトルが、骨董商の息子として生まれ――ちなみにレントゲン藝術研究所自体も父親の事業の一環という態で起こしたという(だから同所に東京美術倶楽部の人たちが大挙してやってきたこともあるそうで)――現在に至るまで造形物としての出来の良さや作りの細かさを第一義に作家や作品を選別している池内氏的には違和感しか覚えなかったらしい。で、そういうシーンへの違和感を伏線として、ある日収蔵庫(レントゲン藝術研究所は二階が収蔵庫になっていた)に置かれていた作品群がどこに何があるかわからなくなっていたことに気づいたことが決定打になって、閉鎖を決意したのだという。もちろん、他にも様々な要因があるのかもしれませんが、少なくとも池内氏の中では自身の身体感覚に直接やってきた違和感が契機になっているというのは、非常に徴候的ではあります――「東京ポップ」が持っていたかかる活動の非物質化/コンセプチュアル化と、池内氏が抱いた身体感覚からの遊離への嫌悪感とが、ここでは互いに鏡像関係を描いているからです。

 

 一方、中村ケンゴ氏は、池内氏が述べていく様々な思い出話を自身のアーティストデビューまでの軌跡と状況論に接続させつつ「歴史化」していっており、その手つきの良さに普通に勉強になりました。関西に住んでいると東京の動向についてはどうしても手薄になってしまうので(まして、先に述べたように資料・史料自体が少ないのだから、なおさらである)、これは普通にありがたかったです。とりわけ「東京ポップ」が敢行し、後に村上隆氏が〈スーパーフラット〉という形で理論化して押し出すことになる「「ポップカルチャーと現代美術」というカップリングを表現の根幹に据えること」を前時代の西武・セゾンカルチャーと切断した形で提示していたのにはハッとさせられることしきり。

笹川治子「リコレクション――ベニヤの魚」展

f:id:atashika_ymyh:20171231145344j:plain

f:id:atashika_ymyh:20171231145417j:plain

笹川治子《リコレクション─ベニヤの魚雷》(2015)

 Yoshimi Artsで8月25日から9月17日にかけて開催された笹川治子「リコレクション─ベニヤの魚」展。過去何回か同ギャラリーで個展をしたことがある笹川治子(1983~)女史ですが、今回は一昨年(2015年)に東京藝術大学で行なわれた博士号取得のための審査展での出展作を再構成した新作が出展されていました。東京藝術大学では個展と博士論文とをセットにして審査するそうですが、笹川女史はこの個展と、総力戦体制下におけるメディアや広告のありようについて調査研究した論文で臨み、無事パスして博士号を取得したとのことです。

 

vimeo.com

 

 以上のような経緯で大阪にやってきた今回の新作は、自身の祖父から聞いた戦争体験をもとにしてベニヤ板の端材によって作られた潜水艦っぽいオブジェを中心に、写真や映像も配する形で構成されたインスタレーションというものでした。彼女の祖父は戦時中陸軍の特攻隊員として木造の一人乗り潜水艦(「人が乗れる魚雷」と言った方がより正確でしょう)に乗る予定だったが、終戦を迎えたため結局出撃することはなかったそうで、そんな祖父の証言をもとにいろいろリサーチしたり、実際に任地を訪ねたりしてきた――ギャラリーの壁にはその際に撮影された風景写真が(上下逆に)貼られていた――中から生み出されたという。これまで笹川女史は戦争をテーマにした作品を数多く制作してきており、一昨年には博士審査展と並行して「戦争画STUDIES」展というグループ展(2015.12.9〜20、東京都美術館)を企画して記録集を出版するなど、自身の作家活動全般にわたる大きな柱となっておりますが、今回の「リコレクション――ベニヤの魚」では、肉親の証言をもとにしていたり現実の第二次世界大戦(太平洋戦争)にこれまで以上に綿密に取材したりするなど、彼女の作風を見慣れた者からしてもアプローチの仕方が少々変わっているように見えるわけで、その意味では彼女の作家活動全体においてひとつの画期をなしていると言っても、あながち揚言ではないでしょう。

 

 とは言え、作風の根幹となる部分は変わっておらず、むしろある面においてはより徹底化されていると考えられるのもまた、事実といえば事実です。ことにそれは制作において「戦争」というテーマを俎上に乗せる際の手つきにかかわって、重大である。

 

 先に触れたように、笹川女史は戦争をテーマにした作品をこれまで継続的に制作してきていますが、その際に、20世紀に確立し現代の戦争にも影響を与え続けている総力戦体制に焦点を絞った上で、サブカルチャーないしオタク文化的想像力に駆動された位相を挟み込んでいくというところに、彼女の独自性があります。しかもその挟み方がかなり独特で自由度が高い、という。近作に限っても、ニコ動にアップロードされたFPSのプレイ動画のキャプチャ画面のような油画や、(湾岸戦争時に「テレビゲームのような」と評された)ミサイルに搭載されたカメラからの映像をモティーフにした油画といった作品に、それは顕著である。かと思えば、ダンボールと端材で戦車を作ったり、ビニール袋を大量に用いてアニメによく出てきそうな巨大ロボットみたいなモノを作ったり、戦争画の代表作とされる藤田嗣治の《アッツ島玉砕》の寸法に美術館の壁を照らしたり、さらには(太平洋戦争時の激戦地であり日本軍が玉砕した地として知られる)アッツ島に赴いて現地の様子を記録したという態で実は利根川の河川敷をそれっぽく映した映像作品というのも手がけたりしているわけで、これらの作品に見られる自由度の高さには瞠目しきりではあります。とりわけ映像作品については、当方は「戦争画STUDIES」展で接したのですが、アッツ島って現在ここを領有しているアメリカの国民であっても特別な許可がないと上陸できないはずなのにとなかば訝りつつ見ていたら、最後に種明かしされるわけで、バラされた側は乾いた笑いを引き起こしてしまうことしか、もはやできないのでした。

 

 このように、ギャグや不謹慎すれすれの表現をも躊躇なく用いているようにすら見えてくる笹川女史の作品ですが、単なる露悪趣味のゆえにこういった表現を採用しているわけではもちろんない。ここで彼女が総力戦体制下における広告やメディア――そこには「戦争画」も含まれることになるだろう――について研究していたことを思い起こす必要があるでしょう。既に瞥見してきたように、彼女においてはメディアの研究と制作活動とがサブカルチャーないしオタク文化的想像力に駆動された位相を介して密接にリンクしているわけですが、ここから見えてくるのは、彼女は“現代の戦争はメディアによってスペクタクル化されている”という、今日においてはありきたりなものと化して久しい現状認識を徹底して字義通りに作品化しているということである。その結果、“現代の戦争はメディアによってスペクタクル化されている”という現状認識は、“メディアとスペクタクル(化された私たち)が戦争である”というテーゼへと超展開することになります。そこでは戦争をめぐる語り自体が既にスペクタクルの言語によって媒介されている、というか乗っ取られている。このようなメディア状況の中で、笹川女史の方法論は、戦争に対して「経験」や「記憶」を持ち出すことに代えてスペクタクルを持ち出し、もって私たちを戦争とを結びつける新たな回路を作り出そうするという理路を取っているわけです。それは同時に別種の資本(主義)批判をも要請することになる――「スペクタクルは、イメージと化すまでに蓄積の度を増した資本である」((C)ギー・ドゥボール

 

 かような迂回を経て「リコレクション――ベニヤの魚」展の出展作に戻りますと、上述したように、今回の出展作は笹川女子の祖父の証言をもとにしているのですが、しかしその証言は既に相当あやふやなものとなっており、そこから過去を再構成することが全く不可能というわけではないにしてもかなり難しいものとなっている《祖父は、最後まで特攻として出撃には呼ばれず、終戦間際に出撃し捕虜になったが釈放されたと言っている。70年前の記憶が部分的に薄れ、様々な情報が入り込んでいる可能性もあり、どこまで本当なのかを完全に照合することは難しい》(展覧会に際して鑑賞者に配布された小冊子より)。それは彼女の祖父が高齢者であるという要因もありますが、やはりそこには「様々な情報が入り込んでいる」=戦争をめぐる語り自体が既にスペクタクルの言語によって媒介されているということも無視できないでしょう。そこでは「経験」や「記憶」は当事者性を失い、スペクタクルの言語の一要素に還元されてしまっている。そのような「個人」という位相が――ということはつまり「経験」や「記憶」が、ということと同じなのですが――失効したところから考察と制作を初めているところに、笹川女史の慧眼が見出される。この展覧会が彼女の作家活動全体においてひとつの画期をなしているのは、このような点においてなのです。




加賀城健「〈Physical/Flat〉」展

f:id:atashika_ymyh:20171231144805j:plain

 いささか旧聞に属する話ですが、此花区にあるthe three konohanaで6月16日から8月6日にかけて開催されていた加賀城健「〈Physical/Flat〉」展。関西を拠点に染色作品を作り続けている加賀城健(1974〜)氏の、同ギャラリーでは三度目となる個展でした。

 

 1990年代から染色作品を作り続け、現代工芸の一分野としての現代染色において一定の評価を得て久しい加賀城氏。そんな氏を三たび取り上げるに際して、今回は過去二回とはうってかわって加賀城氏の約20年にわたるこれまでの制作の軌跡を(簡単にではあれ)振り返ることに主眼が置かれていました《本展では、これまでの加賀城の制作の展開を、2つの要素の着目から、考察していくことを目指します》(同展チラシより)。実際、会期前半(6.16〜7.9)では「〈Physical Side〉」ということで90年代からゼロ年代前半の作品が、後半(7.15〜8.6)では「〈Flat Side〉」ということでゼロ年代中頃から現在に至る作品がフィーチャーされていたわけで。さらに会期中に開催されていたART OSAKA(7.7〜9ホテルグランヴィア大阪)では、the three konohanaの出展スペースが加賀城氏の新作による個展形式「〈New Works-Extention〉」で構成されていたわけですから、夏の加賀城氏祭り状態であったと言っても、あながち揚言ではありますまい。

 

f:id:atashika_ymyh:20171231144823j:plain

加賀城健《Discharge──かみなりおこし》(2007)

 出展作に即してより具体的に見てみますと、〈Physical Side〉においては上述したように主に初期作品が中心となっていましたが、その時期においてなされていたのは、十数メートルにおよぶ布地の上に乗せられた大量の糊を力ずくで引きずり、脱色することで行為の軌跡・痕跡をそのまま見せるというものであった(画像参照)。ほかにも柔らかい布地を無理に引っ張った状態で染めたりするなど、この時期の作品においては、〈Physical〉にふさわしく、物理的な力や行為が主題になっていたと言えるでしょう。布地はここではそれそのものである以上に、力や行為の軌跡・痕跡がその上で展開される場としてある。この時期の作品に概してモノクロの作品が多いのも、そのような性格をさらに強めています。

 

 一方、ゼロ年代中頃から現在に至る〈Flat Side〉(及び新作による〈New Works-Extention〉)の出展作においては、〈Physical Side〉において等閑視されていた――あるいはもっと積極的に「抑圧されていた」と言った方が良いかもしれません――色彩が一転して全面化していました。一枚の布地を普通に様々な色で染めた作品に加えて、何枚かの布地を重ねた作品、シェイプドカンヴァスの発想をそのまま導入した作品など、見せ方が多様化しているのが一見して即解できたわけですが、それらが単に奇をてらったウケ狙いではなく、「布地」と「色彩」との関係性に対する考察を(特に絵画との対質において)多分に含んでいることに注目する必要があります。

 

f:id:atashika_ymyh:20171231144842j:plain

加賀城健《明るい地獄めぐり(連作・部分)》(2017)

 染色において「布地」は単なる画面(の基体)ではないのではないか――加賀城氏における染色への考察をドライブさせているのは、このような認識であると考えられます。言い換えるなら、「布地」を画面と同一視している限り、逆に「染めること」それ自体が抑圧されることになるだろう。絵画との対質を通して染色を考え直すという氏の態度には、染色というジャンル自体が「染めること」を排除しているということに対する危機感が存在する《染色をして作品発表する方々と話す機会があるとする。話の内容は決まってあの人は絵が描ける、描けない、という話に終始して、その絵がなぜ染色でなければならないのかの議論が少ない。私はこのことにずっと疑問を抱いてきた。染色家たるもの、その求める中心に染めることがあるべきだと考えるからだ》(加賀城健「創作をとおしての所感」)。

 

 で、「染めること」を改めて「求める中心」に据えたとき、それは「布地」に対する態度変更をも同時に迫ることになるはずです――染色は布地を文字通り染め上げる行為ですから、そこにおける色彩は絵画のように画面上に配置されるものとは違った位相に置かれる(というか、染め上げられる)ことになるからです。今回の展覧会に即しつついささか思弁的に言うと、〈Physical Side〉と〈Flat Side〉との間の最大の違いは、色彩の有無以上に、色彩を通した「布地」に対する認識の変容である。〈Physical Side〉の出展作において「布地」はその上で行為や物理的なベクトルの軌跡・痕跡が展開されるという点においてなお絵画的な「画面」の範疇を超えるものではなかったのですが、〈Flat Side〉の出展作においては「布地」は固有の物質性を持って「画面」とは違った形で色彩やフォルムを生かすものとして改めて立ち現われてくる。こうして「布地」や「色彩」に対する態度変更が「染めること」を染色というジャンルの「求める中心」に再び据えることになるだろう。今回の「〈Physical/Flat〉」展が染色と現代美術の双方に問いかけているのは、そのことにほかならないのです。





井上裕加里「堆積する空気」展

f:id:atashika_ymyh:20171231144112j:plain

井上裕加里「堆積する空気」展フライヤー

 Gallery PARCは毎年この時期に展覧会の企画案を公募し、入選した三つの企画展を連続して開催しておりますが、その第三弾として8.1〜13の日程で開催されていたのが井上裕加里「堆積する空気」展。日本の近現代史や――日韓・日中間の歴史認識問題や北朝鮮の核開発問題など、軋轢の絶えない――東アジア情勢を取り上げた作品をここ数年手がけ続けている井上裕加里(1991〜)女史の、およそ二年ぶりとなる個展です。

f:id:atashika_ymyh:20171231144141j:plain

井上裕加里《罪の意識》(2017)

 今回は新作《罪の意識》と旧作《Auld Lang Syne》という二点の映像作品を中心にした構成となっていました。前者は原爆ドームをバックに井上女史が二画面に分かれて向かい合う形で(画像参照)、当時エノラ・ゲイに搭乗していた米兵やマンハッタン計画の参加者といった原爆を開発して投下した側の証言と、被爆した少女たちの証言をそれぞれ(あたかも対話しているかのように)朗読するという作品。一方、後者は日本で「蛍の光」というタイトルで親しまれているスコットランド民謡「Auld Lang Syne」が、韓国や台湾では全く違った歌詞が当てられていることに想を得て、三ヶ国の人が同曲をそれぞれ歌っているのを三画面で同時再生しているという作品となっています。上述したように、井上女史は、以前からアジア太平洋戦争に取材したり現下の東アジア情勢をダイレクトに反映させつつひねりを加えた作品を作ってきていますが、今回もその部分においては一貫していると言えるでしょう。この展覧会の直前に――京都市で近々始まる東アジア文化都市2017の関連企画である――フェルトシュテルケ・インターナショナル( http://www.kac.or.jp/events/21603/ )に参加して中国や韓国をリサーチして回ってきたそうで、そのことも作品にフィードバックされているのだろうかと思いながら作品に接したのですが、日米間あるいは日韓台間において微妙なこわばりや空気感を醸成するトピックを取り上げることで、戦後において何が無意識的なレヴェルに追いやられていったのかを逆照射するものとなっていたと、さしあたっては言えるでしょう。「堆積する空気」という展覧会タイトルに偽りなし。

 

 かような井上女史の作品がいかなる政治や歴史認識に導かれ、またそれらを(再)起動しているかについては一度触れたことがありますので( http://atashika-ymyh.hatenablog.jp/entry/2016/06/30/000000 )、ここでは縷々繰り返しませんが、彼女が――最新作である《罪の意識》を含めて――主だった作品において今回のような複数の画面の映像を表現手段としていることは、表現と政治・歴史との対質において考える際に、きわめて示唆に富んでいると言わなければならないでしょう。ここには、単なる趣味・趣向の問題を超えた何かが存在する。

 

 「二個の者がsame spaceヲoccupyスル訳には行かぬ」――これは夏目漱石が1905年から翌年にかけて書いた断片の一節です。後に柄谷行人氏がこの一節を何回か取り上げて論じたことで有名になりましたが、井上女史の映像作品において通奏低音となっているのは、この漱石の一節のような認識を導入しつつどうやって脱構築するかということであると考えられます。上述したように、《罪の意識》においては原爆を落とした側と落とされた側という相異なる(しかも極端に対立している)立場からの発言が井上女史の実演によって突き合わされているわけですが――今回に限らず、昨年の日韓交流展(於:京都嵯峨芸術大学)では韓国での反日デモと日本でのヘイトスピーチデモとが同じ方法で俎上に乗せられていました(危)――、そのように、自己の身体を介して、いわば肉体的な問題として「二個の者がsame spaceヲoccupyスル訳には行かぬ」という漱石の言葉を実演して見せているところに、井上女史のクリティカルな部分が存在する。



ところで、われわれは漱石が「二個の者がsame spaceヲoccupyスル訳には行かぬ」と書いていることに注意すべきであろう。このとき、彼は人間と人間との関係を、どんな抽象(観念)的な媒介によってもみていないので、肉体的な空間(space)においてむき出しにされた裸形の関係としてみているのである。(略)漱石の小説に関して、「自己本位」(エゴイズム)や自意識の相克をみることは、これまでの一般的な見解である。だが、漱石は人間と人間の関係を意識と意識の関係としてみるよりも、まず互いが同じ空間を占めようとして占めることができないというような、なまなましい肉感として、いいかえれば存在論的な側面において感受していたのだ。(柄谷行人「意識と自然」)

 

 

 「人間と人間との関係を、どんな抽象(観念)的な媒介によってもみていないので、肉体的な空間(space)においてむき出しにされた裸形の関係としてみている」「人間と人間の関係を意識と意識の関係としてみるよりも、まず互いが同じ空間を占めようとして占めることができないというような、なまなましい肉感として、いいかえれば存在論的な側面において感受していた」――このような、(柄谷氏が注意を差し向ける)漱石の認識の一端を井上女史もまた共有し、複数の画面を用いた映像作品という形で「二個の者がsame spaceヲoccupyスル」状況をリテラルに表現し提示することで逆照射していると考えられるわけですが、とはいえ、ここで言う「二個の者がsame spaceヲoccupyスル」ことを、「二個の者」の単純な和解と捉えてはならないのもまた事実でしょう。それは「意識と意識の関係」のレヴェルでのことに過ぎないからである。井上女史が作品という形で招来させようとしている事態はあくまでも「意識と意識の関係」においてではなく、「なまなましい肉感」において堆積している。それを「意識と意識の関係」に置き換えている、あるいは置き換えられうるものとしている配置(dispositif)が問題とされるわけです。

 

 したがって、「二個の者がsame spaceヲoccupyスル訳には行かぬ」というのは、この配置の結果であり、「二個の者がsame spaceヲoccupyスル」状況(ホッブズなら「自然状態」というところかもしれない)という「なまなましい肉感」の位相に対して、それをどんな形にせよ解決しようという「意識と意識の関係」における当為のもとで発せられたものであると見る必要があります。それは、私たちの文脈に引きつけて言い換えるなら、私たちの現在を規定する戦後民主主義ないしそのバックボーンとされる平和主義がそのような解決ではなかったのかという懐疑のもとに井上女史の作品に接するということである。彼女がしばしば書きつける「答えは目の前にあり、見えていないのは問いである」というステイトメントは、この「なまなましい肉感」の位相において読まれる必要があります。「答えは目の前にあり、見えていないのは問いである」というステイトメントは、そのような解決が果たして解決であったのか、それは解決の名による(想像的な)解消ではないのかという彼女自身の認識の発露であると見なければならないでしょう。だから余談になりますが、この一点において井上女史の作品は68年革命における「戦後民主主義批判」を現在において反復しているわけです。

 

 いずれにしましても、今回の出展作品においてなされていたのは、広島という、平和主義の起源の地であるとともに急所でもある地を俎上に乗せることで、「平和」を様々なスペクトルのもとに、言い換えるなら「平和」を平和主義という「意識と意識の関係」においてではなく「なまなましい肉感」の位相において感受し、そこから別種の「平和」を再考していく(しかし、それはいったいどのようなものになるのだろう?)ことにほかならない。