笹川治子「リコレクション――ベニヤの魚」展

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笹川治子《リコレクション─ベニヤの魚雷》(2015)

 Yoshimi Artsで8月25日から9月17日にかけて開催された笹川治子「リコレクション─ベニヤの魚」展。過去何回か同ギャラリーで個展をしたことがある笹川治子(1983~)女史ですが、今回は一昨年(2015年)に東京藝術大学で行なわれた博士号取得のための審査展での出展作を再構成した新作が出展されていました。東京藝術大学では個展と博士論文とをセットにして審査するそうですが、笹川女史はこの個展と、総力戦体制下におけるメディアや広告のありようについて調査研究した論文で臨み、無事パスして博士号を取得したとのことです。

 

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 以上のような経緯で大阪にやってきた今回の新作は、自身の祖父から聞いた戦争体験をもとにしてベニヤ板の端材によって作られた潜水艦っぽいオブジェを中心に、写真や映像も配する形で構成されたインスタレーションというものでした。彼女の祖父は戦時中陸軍の特攻隊員として木造の一人乗り潜水艦(「人が乗れる魚雷」と言った方がより正確でしょう)に乗る予定だったが、終戦を迎えたため結局出撃することはなかったそうで、そんな祖父の証言をもとにいろいろリサーチしたり、実際に任地を訪ねたりしてきた――ギャラリーの壁にはその際に撮影された風景写真が(上下逆に)貼られていた――中から生み出されたという。これまで笹川女史は戦争をテーマにした作品を数多く制作してきており、一昨年には博士審査展と並行して「戦争画STUDIES」展というグループ展(2015.12.9〜20、東京都美術館)を企画して記録集を出版するなど、自身の作家活動全般にわたる大きな柱となっておりますが、今回の「リコレクション――ベニヤの魚」では、肉親の証言をもとにしていたり現実の第二次世界大戦(太平洋戦争)にこれまで以上に綿密に取材したりするなど、彼女の作風を見慣れた者からしてもアプローチの仕方が少々変わっているように見えるわけで、その意味では彼女の作家活動全体においてひとつの画期をなしていると言っても、あながち揚言ではないでしょう。

 

 とは言え、作風の根幹となる部分は変わっておらず、むしろある面においてはより徹底化されていると考えられるのもまた、事実といえば事実です。ことにそれは制作において「戦争」というテーマを俎上に乗せる際の手つきにかかわって、重大である。

 

 先に触れたように、笹川女史は戦争をテーマにした作品をこれまで継続的に制作してきていますが、その際に、20世紀に確立し現代の戦争にも影響を与え続けている総力戦体制に焦点を絞った上で、サブカルチャーないしオタク文化的想像力に駆動された位相を挟み込んでいくというところに、彼女の独自性があります。しかもその挟み方がかなり独特で自由度が高い、という。近作に限っても、ニコ動にアップロードされたFPSのプレイ動画のキャプチャ画面のような油画や、(湾岸戦争時に「テレビゲームのような」と評された)ミサイルに搭載されたカメラからの映像をモティーフにした油画といった作品に、それは顕著である。かと思えば、ダンボールと端材で戦車を作ったり、ビニール袋を大量に用いてアニメによく出てきそうな巨大ロボットみたいなモノを作ったり、戦争画の代表作とされる藤田嗣治の《アッツ島玉砕》の寸法に美術館の壁を照らしたり、さらには(太平洋戦争時の激戦地であり日本軍が玉砕した地として知られる)アッツ島に赴いて現地の様子を記録したという態で実は利根川の河川敷をそれっぽく映した映像作品というのも手がけたりしているわけで、これらの作品に見られる自由度の高さには瞠目しきりではあります。とりわけ映像作品については、当方は「戦争画STUDIES」展で接したのですが、アッツ島って現在ここを領有しているアメリカの国民であっても特別な許可がないと上陸できないはずなのにとなかば訝りつつ見ていたら、最後に種明かしされるわけで、バラされた側は乾いた笑いを引き起こしてしまうことしか、もはやできないのでした。

 

 このように、ギャグや不謹慎すれすれの表現をも躊躇なく用いているようにすら見えてくる笹川女史の作品ですが、単なる露悪趣味のゆえにこういった表現を採用しているわけではもちろんない。ここで彼女が総力戦体制下における広告やメディア――そこには「戦争画」も含まれることになるだろう――について研究していたことを思い起こす必要があるでしょう。既に瞥見してきたように、彼女においてはメディアの研究と制作活動とがサブカルチャーないしオタク文化的想像力に駆動された位相を介して密接にリンクしているわけですが、ここから見えてくるのは、彼女は“現代の戦争はメディアによってスペクタクル化されている”という、今日においてはありきたりなものと化して久しい現状認識を徹底して字義通りに作品化しているということである。その結果、“現代の戦争はメディアによってスペクタクル化されている”という現状認識は、“メディアとスペクタクル(化された私たち)が戦争である”というテーゼへと超展開することになります。そこでは戦争をめぐる語り自体が既にスペクタクルの言語によって媒介されている、というか乗っ取られている。このようなメディア状況の中で、笹川女史の方法論は、戦争に対して「経験」や「記憶」を持ち出すことに代えてスペクタクルを持ち出し、もって私たちを戦争とを結びつける新たな回路を作り出そうするという理路を取っているわけです。それは同時に別種の資本(主義)批判をも要請することになる――「スペクタクルは、イメージと化すまでに蓄積の度を増した資本である」((C)ギー・ドゥボール

 

 かような迂回を経て「リコレクション――ベニヤの魚」展の出展作に戻りますと、上述したように、今回の出展作は笹川女子の祖父の証言をもとにしているのですが、しかしその証言は既に相当あやふやなものとなっており、そこから過去を再構成することが全く不可能というわけではないにしてもかなり難しいものとなっている《祖父は、最後まで特攻として出撃には呼ばれず、終戦間際に出撃し捕虜になったが釈放されたと言っている。70年前の記憶が部分的に薄れ、様々な情報が入り込んでいる可能性もあり、どこまで本当なのかを完全に照合することは難しい》(展覧会に際して鑑賞者に配布された小冊子より)。それは彼女の祖父が高齢者であるという要因もありますが、やはりそこには「様々な情報が入り込んでいる」=戦争をめぐる語り自体が既にスペクタクルの言語によって媒介されているということも無視できないでしょう。そこでは「経験」や「記憶」は当事者性を失い、スペクタクルの言語の一要素に還元されてしまっている。そのような「個人」という位相が――ということはつまり「経験」や「記憶」が、ということと同じなのですが――失効したところから考察と制作を初めているところに、笹川女史の慧眼が見出される。この展覧会が彼女の作家活動全体においてひとつの画期をなしているのは、このような点においてなのです。