柳瀬安里「光のない。」展

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 三条神宮道にあるKUNST ARZT( http://kunstarzt.com/ )で3月7日〜12日の予定で開催されている柳瀬安里「光のない。」展は、柳瀬女史の初個展となる展覧会ですが、控えめに言ってもかなりクリティカルな展覧会でした。在日米軍のヘリパッドの移設先としてとりわけ昨年以来当局と各種反基地運動の最前線と化している沖縄県東村の高江地区に柳瀬女史が赴き、そこをオーストリアの劇作家エルフリーデ・イェリネクの戯曲『光のない。(原題:Kein Licht)』を朗読しながらそぞろ歩くという20分ほどの映像作品でしたが、様々な文脈に対して開かれつつもそれらの安直なトレースに陥らず、行為自体が現地における政治的な情勢に批判的に介入にもなっていたわけで、俎上に載せた場所やテクスト自体の極端さにとどまらないレヴェルであぶないところを攻めてるなぁと、一鑑賞者的に震撼しきり。

 

 今回の映像作品、劈頭に反基地運動のデモ隊が多くたむろすベースキャンプめいた場所で柳瀬女史がスピーチするシーンがある以外はほぼ全編にわたって『光のない。』を諳んじながら高江地区に通ずる道を歩いていく柳瀬女史の記録映像となっています。その歩みは、現地にいる機動隊員によって進路を調整されたりストーキング(?)されたりしながら跛行的になっていき、最終的には金網(おそらくその向こう側は米軍が管理する(=反基地運動が返還を要求している)地域であろう)を背にして朗読がなおも続く様子を映しながら終わっていく――

 

 柳瀬女史は、昨年末に同じKUNST ARZTで開催されたグループ展「フクシマ美術」展( http://kunstarzt.com/VvK/180FukushimaBijyutsu/FukushimaBijyutsu.htm )で出展されていた別の映像作品――そこでは一昨年に盛り上がった反安保法案の国会前デモのさなかにチョークで路上に線を引いて回る様子が記録されていました――でもその行為の中で『光のない。』を朗読しておりまして、この作品がある種特権的なテクストと位置づけられていることが容易に想像できます。当方も「フクシマ美術」展を見た際にこの映像作品を見たことがありまして、線を引く-引き直すという象徴性の高い行為をデモという最前線の真っただ中において敢行するというところに目の付けどころがシャープやなぁと好感しきりでしたが、今回の「光のない。」展に出展されていた映像作品においては、彼女の問題意識はさらにヴィヴィッドに、かつ複雑に多層化された形で提示されていたと言えるでしょう。双方の映像作品において主題化されているのは「私(たち)とは誰か」という問いであり、その変奏としての「「私(たち)/彼(ら)」を分かつものは何か」という問いである。『光のない。』は、(ギャラリー内に置かれていた単行本( 光のない。 - 白水社 )を瞥見する限り)「私」「私たち」「あなた」という指示代名詞が濫用されることでそれらの指示対象を逆に溶解させ、未明で不分明な存在たちの場を開かせるというテクスト的実践が全編にわたってすさまじい強度で展開されていくといった趣を読む側に強く印象づける作品と見ることができますが、柳瀬女史はそのテクストを素読することによってさらに濫用し、もって「私(たち)」や「彼ら」という線引きに対して介入しようとしていると言えるでしょう。しかもそれを、よりによってと言うべきか、高江地区において再演しているわけですから、これはもう。

 

 このように、「私(たち)」をめぐる言語-言説的な実践に基づく行為として『光のない。』を再演/再利用した記録として今回の出展作はあるわけですが、しかしそれは単なる言語的な実践にとどまっていないことに注目する必要があるでしょう。彼女が高江地区に赴いてこの映像を収録したのは昨年11月だったとのことで、その頃というのは、長年このあたりにおける沖縄県民による反基地運動を率いてきた指導者(山城博治という人らしい)が逮捕されたことで、運動をめぐる潮目が大きく変わっていた時期にあたります。しかも彼が逮捕された原因というのが、反基地運動に加勢するために本土から派遣されてきた活動家が先に逮捕され自供したことによるものだった、という。してみると、「私(たち)」/「彼ら」、もう一歩突っ込んで言い換えるなら「友/敵」((C)カール・シュミット)をめぐる線引きの政治的な配置がこの事件によって一挙に流動化していた――それはつまり、「私(たち)」/「彼ら」という対立軸自体が一方で溶解し、単純な国家権力vs市民運動というような構造が宙吊りにされたことと等しいのですが――時期に、柳瀬女史は高江地区に飛び込んで制作していたことになるわけです。その結果として、彼女の行為は国家権力vs市民運動という二項対立を斜めに横断している。

 

 ところで『光のない。』はもともとイェリネクが東日本大震災福島第一原発の事故に触発されて書かれたそうです。そういう出自もあってか、ポストシアトリカルで難解な代物揃いな彼女の作品にしては珍しくというべきか、日本でも2012年の初演以来たびたび俎上に乗せられている様子です(演劇に疎い当方も、そう言えば以前小沢剛氏を演出と舞台美術担当に招いて東京で上演された(F/T13イェリネク連続上演『光のない。(プロローグ?)』(小沢 剛) 東京芸術劇場)と当時小耳に挟んだことがありまして)。そんな作品を沖縄で朗読することは、一見するとかなり場違いなことのようにも見えるところですが、しかしイェリネクの元テクスト自体、2011年のフランクフルト市での演劇祭における「デモクラシーの黄昏」というお題へのレスポンスとして書かれたこと(これは当方、会場内に置かれていた単行本の訳者あとがきで初めて知りました(爆))を勘案してみると、これはむしろ高江地区においてこそなされるべきことなのかもしれないと、勝手に納得することしきりでした。「デモクラシーの黄昏」というお題が当時どのような意図と文脈のもとに発せられたのかは窺い知れませんが、沖縄(に限った話ではないのですが)において進行しているのは、表層的にも国家権力vs市民社会という対立構造がもはや成立しなくなっているという点において、端的に戦後民主主義の黄昏と言いうる事態であるからです。しかしそれは「68年革命」とその日本における徴候としての「戦後民主主義批判」において既に告知され、露呈していたのではなかったか。

 

 柳瀬女史がイェリネクを通して示しているのは、かかる時間的・歴史的な広がりのもとに未明で不分明な存在たちの場を開かせるというテクスト的実践を置き直すことであるわけです。このとき、「デモクラシーの黄昏」は別の民主主義への合言葉となるであろう――そのようなことを考えさせられるのでした。