「辰野登恵子の軌跡 イメージの知覚化」展

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 BBプラザ美術館で7月5日〜9月19日の日程で開催されていた「辰野登恵子の軌跡 イメージの知覚化」展が俺得過ぎてもう何も怖くない。画家の辰野登恵子(1950〜2014)の回顧展といった趣の展覧会でしたが、彼女の最初期の作品から晩年の絵画や版画までまんべんなく網羅されており、そのどれもがマスターピースクラスの作品だったこともあって、見応えが大いにありました(しかもその全てが大阪の某大コレクター氏の個人蔵という……(驚))。個人的には、2012年に国立新美術館で行なわれた写真家の柴田敏雄(1949〜)氏との二人展「与えられた形象」展で辰野の作品には多く接したものですが、今回はそんなに広くないスペースで各年代のエッセンスとなる作品に絞って見る形となったわけで、彼女の作品の持つクリティカルな側面がよりダイレクトに伝わってくるように思うことしきり。

 絵画における色彩やフォルムの諸問題に対して、絵画が本質的に「描かれたもの」をめぐるイリュージョンであるという一点をそれまでの画家たち以上のテンションで支えにした上で様々なアプローチをかけていったところに辰野の画業の特徴があり、それは版画やデザインといった周辺領域の問題系を絵画に躊躇なく描きこむことでなされていったと、現在の観点から超乱暴に整理することができるでしょう。ことにポストもの派の近傍に位置するような作品から具象的・具体的なフォルムやパターンを(抽象化された形でではあれ)描くようになるという――折からのニューペインティングのムーヴメントとの平行性も指摘できるであろう――作品に変わっていくという超展開は、辰野における絵画の歴史/論理の交錯について考える上で依然として問題含みであるように思われます。

 彼女がかような超展開を見せた1980年代は、先ほど述べたニューペインティングもその一局面とするような、欧米におけるいわゆる「絵画の復権」現象と、前時代において大きなインパクトをもたらしたもの派が反芸術の圏域から絵画の圏域へと移動していく(ex.李禹煥、高松次郎)という日本における過程(それはしばしば「ポストもの派」と呼ばれる)とが強くシンクロするという二つのムーヴメントによって、絵画をめぐる環境が変容を見せた時期であったと超乱暴に整理することができますが、この過程において関東/関西関係なく生じた日本現代絵画における1980年代問題は、それが今日未だにほとんど回顧されていないというお寒い現実も込みで、相当根深いものがあるわけです。例えば、このような辰野の超展開とほぼ同時期に、記号論の知見を導入することによって諸フォルム間の示差的関係を描く方向に転換していった中村一美氏や、80年代問題の圏域の全面的な影響下において、描かれたフォルムの平面性・記号性をさらに突出させた絵画を描くことから画家としてのキャリアをスタートさせた石川順恵女史との比較において見ることが早急に求められている……

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 ところで今回は、1993年にギャラリー16で建畠晢氏のキュレーションによって開催されたグループ展「アブソリュート・ビギナーズ」展(1993.4.13~30 出展作家:辰野登恵子、丸山直文、村岡三郎、森村泰昌)に出展されたという彫刻作品(画像参照)が出展されてまして、この作品自体「与えられた形象」展では出てなかっただけに、ヲタ的にテンション爆上がりでした。こんな作品があったのかという驚きもさることながら、この作品が出ていたことで、彼女がフォルムに対して具体的にどのような考察を行なっていたかを別角度から考察する手がかりが展覧会の中にセッティングされていたわけで、この作品だけでも十分に元は取れた。個人蔵なので再展示は難しいかもしれませんが、辰野の画業について考える上でクリティカルポイントになる作品であると言っても、あながち揚言ではありません。