「OBJECTS IN MIRROR ARE CLOSER THAN THEY APPEAR」展


Director’s Eye #3 「OBJECTS IN MIRROR ARE CLOSER THAN THEY APPEAR」 - the three konohana

 大阪市此花区にあるthe three konohanaで開催中の「OBJECTS IN MIRROR ARE CLOSER THAN THEY APPEAR」展(←こちらが正式タイトル)。近年立て続けに展覧会を企画して注目を集めているインディペンデントキュレーターの長谷川新(1988~)氏のキュレーションによるグループ展。会場のthe three konohanaは開廊以来概ね年一回のペースで外部キュレーターによる展覧会「Director's Eye」を行なってきており*1、今回はその第三弾となる。

 

◯出展作家
 荒木悠(1985~)、上田良[うえだ やや](1989~)、折原ナナナ(1989~)、柄澤健介(1987~)、小濱史雄(1991~)、佐伯慎亮(1979~)、末永史尚(1974~)

 

 

 タイトルとなっている「OBJECTS IN MIRROR ARE CLOSER THAN THEY APPEAR」は「鏡ごしに見えるものは、見かけよりも近くにある」という意味で、英語圏の一部(アメリカやカナダ、インド)で自動車のサイドミラーに付けられている警告文だそうだ。この「近さ」という言葉が、個々の出展者の差異を越えて展覧会全体を貫くキーワードとなっていることに、まずは注目しておく必要があるだろう。「IN MIRROR」――鏡(という比喩のもとにセッティングされるフレームワーク)の有無を超えて、その「近さ」を感受すること、そのためのレッスンとして、この展覧会は企図されているのである。

 

 個々の作品をそのメディウム固有性に引きつけて考えるのではなく、それらの「近さ」に焦点を当てること。私たちは互いの「近さ」をもっと許容しても良いのではないか。あるいは今観ているそれが別の似たなにかでありうることについて、考えを巡らせてみることができるのではないか。だからこの展覧会は、「近さ」について考えられるようにした。「近さ」を考えたいと感じた作家に声をかけた。*2

 

 ――上の長谷川氏の文章に顕著に現われているように、「近さ」とは単に作風の類似という点にとどまらず、「個々の作品をそのメディウム固有性に引きつけて考えるのではな」い形で、より積極的に見出されるべきものとして提示されている。近年、「メディウム固有性」=mediumspecificity概念が(かつてモダニズムの文脈において言われていたそれよりも相対的に通俗的な形で)復活してきており、それはそれで豊穣な成果を生み出している様子ではあるが、かかる豊穣さが一方でメディウムに対する固定観念を反動的に強化してしまうことにもつながりかねない現在において*3、「メディウム固有性」に対して批判的なまなざしをもって接することは、依然として喫緊の課題であると言えるだろう。

 

 そのような観点から出展作品を見てみたとき、作品間の「近さ」は、さしあたっては(柄澤健介氏以外の出展者が)絵画や写真、映像、ドローイングといった「平面」と雑駁に括ることができる表現手段を取っていることに見出すことができるだろう。その意味では、長谷川氏が(今回の出展作家陣においても過半をなしている)1980年代生まれの作家を集めてキュレーションを手がけた「北加賀屋クロッシング MOBILIS IN MOBILI」展(2013~14)が平面に加えて立体やインスタレーションの作家も取り込んでいたことからすると、表現手段という点からするとむしろ分かりやすいものとなっていると言えるかもしれない。だが私たちはすぐさま、このような表現手段=メディウムの近さと全く異なるレベルの「近さ」を感得することになる――これらの作品が「像」を、より正確に言うと私たちの視覚-認知レヴェルで「像」と感知する何かを主題としているという「近さ」であり、それらが展示空間に置かれたときに個々の作品を越えて唐突に交錯し共鳴してしまうという「近さ」である。様々な像は、さしあたっては鏡において、鏡という比喩のもとにセッティングされるフレームワークにおいて、相互に近しいものとして立ち現われてくる。「OBJECTS IN MIRROR」を、私たちはこの意味において理解しなければなるまい。

 

 かかる「像」を繋留点として、出展作品をいくつか見てみよう。上田良女史は自作の(日用品や廃材を組み合わせて作った)小さなオブジェを撮影した写真作品を数点展示しているが、オブジェの立体性よりも平面性の方がはるかに強調されるように撮影されているため、人間の目には対象物をこのように認識することができないという意味で奇妙な視覚的感触が残ってしまう作品となっている。また出展作家中最年少の小濱史雄氏はストリートビューをキャプチャーした映像作品を出展しているが、途中で回線速度が下がって建物や風景が極端に引き伸ばされたようになっていく(ネット環境によっては私たちでも容易に遭遇することができるような)様子が映し出されていく。あるいは佐伯慎亮氏は画面内の被写体が別のものをも指し示してしまっている事態――ネットスラングで「完 全 に 一 致」と呼ばれるような――をキッチリとした視線のもとに撮影した写真作品*4を出展していたし、末永史尚氏は四角形や三角形の部分部分を並べ替えることで様々な図像を作り出すことができる《Tangram Painting》を二組(しかも一組は何の図像も成さず乱雑に積まれた状態で展示されていた)出展していた。これらの作品においては(特に小濱氏や末永氏の作品に容易に見出されるが)「像」は定着したものというよりもむしろその可塑性や不安定さの方が前面に押し出されており、しかもそれは「メディウム固有性」に内在したものとは全く異なるレヴェルにおいて措定され流通するようなものとしてあるわけである。それは、いかなるメディウムからも副次的なものとされることの多かったドローイングという表現手段を積極的に活用している折原ナナナ女史の作品群や、角材と固形パラフィンとで柱状オブジェを作り、表面をよく見ると日本地図の一部が見出される柄澤健介氏の作品(今回の出展作の中でもとりわけ出色の出来だった)に顕著だった。

 

 ――以上のように、「像」の可塑性や不安定性を軸として展開されていたこの展覧会だが、私たちはここで「像」の持つ機能に焦点を合わせて、もう少し深く見ていく必要があるだろう。「像」の持つ統合的な機能がここで問題になってくる(はずである)。私たちはここまで「像」という言葉を、私たち自身が能動的に視覚-認知レヴェルにおいて見出すことができるものとして使用してきたが、逆の事態も十分に考慮されるべきであると思われる。すなわち、私たち自身が「像」において、「像」自身の視覚-認知レヴェルのもとにセッティングされた対象として存在しているのではないかと思考してみること……

 

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 唐突ながら、ここで一つの展覧会について言及してみたい――2011年7月23日~9月19日に栃木県立美術館で開催された「画像進化論」展である。「サルからヒトへ、そしてスペクタクルの社会」「メディア的進化と創造的退行のダイナミズム」という、見る側を困惑させつつも、その(擬似)科学-歴史学的な装いにどこか魅力を感じざるを得ないサブタイトルが付されたこの展覧会では、18世紀の博物学者エラズマス・ダーウィン(『種の起源』で進化論を提唱したチャールズ・ダーウィンの祖父である)の著書に始まり、同美術館の収蔵作品を軸に現代美術まで展観していくという形で構成されており、18世紀以来の、「写真の発明」「映画の発明」という大事件を経た美術史や技術史をもメディウム固有性をも越えて見出される、(統合的に作用する/されるものとしての)「像」を〈画像〉という(ネットスラングとの類縁性を強く感じさせるような)言葉で再定義して提示していた。この意味において同展はきわめて確信犯的に(擬似)科学-歴史学的知見を用いた展覧会であったと言え、実際うさん臭さすら漂ってくる知見を大量の作品とともにぬけぬけと出してくるあたりに、公立美術館のコレクションを活用した企画にしては攻めてるなぁという感慨を抱くことしきりだったのだが*5、この展覧会が当時画期的だったのは、そうして提示された〈画像〉と科学技術との関係性にも目配せしていることである。同展の企画者の一人である山本和弘氏は次のように述べている。

 

 もちろん写真の前身と考えられているカメラ・オブスクラの実験についてはジャンバティスタ・デッラ・ポルタ(1535?~1615)が『自然魔術magia naturalis』(1558年)において言及していると言われているので、カメラ・オブスクラの実用化から写真の発明までは実に約300年の時間が経過していることになる。すなわち、像[イメージ]はとらえることができても、画像[ピクチャー]として定着して所有または共有することができなかった時代が三世紀続いたことになる。(略)写真が絵画とも記録メディアとも異なる独自のメディア、すなわち芸術ではないものであることをあらためて主張し始めた今日からすると、科学によって胚胎しながらも産み落とされるまでに約300年を要した懐胎期間の長さにやはり「なぜ」と問いかけなければならないだろう。なぜなら、カメラ・オブスクラから写真への懐胎期間の長さには光学に対する他諸科学の冷淡があったからではないか、と仮定されるからである。*6

 

 写真技術の(想像的な)起源とされるカメラ・オブスクラから実際の写真技術の発明までには(諸説あるにしても)300年近い開きがある*7。この間の科学技術の劇的な進化は19世紀前半に至るまで光学を、つまり〈画像〉をスルーし続けていったわけである《力学的技術が社会を革命的に変えたのに対して、視覚表象もまた一種の技術として、力学的技術と同じく、社会を変えるものという認識をヒトは持っていなかったのである。画像技術が力学的技術と同じように権力や資本となる可能性をもつものへと進化するものであろうことを科学は考えもしなかったのである》*8。「光学に対する他諸科学の冷淡」――これは〈画像〉に、力学に基礎づけられた科学とどこか異なる要素があることを微かに予感させている。「画像技術が力学的技術と同じように権力や資本となる可能性をもつものへと進化する」としても、〈画像〉の非力学的な性格は潜在的にはなお存在しているのではないか。ここにおいて私たちは「画像進化論」展から出発しつつ、ポスト画像進化論的な形で〈画像〉をさらに深く考える端緒を得ることができる。

 

 かような〈画像〉の非力学性、すなわちポスト画像進化論的なあり方/ありようについて考える上で示唆的なのが、田崎英明氏が展開しているイメージ論である。従来の、そして現在においても繰り返されているコミュニケーション論の類が「話す/聞く」「演じる/観る」といった非対称的な関係を前提にしている点において依然として力学的モデルに依拠していることを指摘した上で、次のように述べている。

 

 イメージの不思議さはここにこそある。モンタージュによって、映画の中であるシーンがその前のシークエンスとのあいだでもつ関係、それは確かに力と力の関係ではあるのだけれど、力学的な関係ではないし、また、必ずしも物語的なつながりをもつわけでもない。パゾリーニなら「自由間接話法」と呼ぶような関係が、イメージの論理の基本にはある。

 

 社会の中の人間と人間の関係は、いわば力学的なものであって、一方が能動なら他方は受動である。これは対話であっても変わらない。一方が話しているとき、他方は聞かなければならない。ところがイメージ、とりわけ、映画の中に組み込まれることによって、作用する現在から切り離され、遂行的な力が中和されてしまったイメージは、力学的ではない力関係に入り込む。*9

 

 

 「イメージの不思議さ」を論ずるにあたって田崎氏が映画を範例に持ち出しているのは、きわめて重要であろう。映画あるいは映像は「画像進化論」展においても、〈画像〉の進化の最終段階とされていた。映画の文法の基礎をなすモンタージュにおいては、原理的には、一般的な(映像からすると外在的な)関係性や時制と無関係にシーンやカットをつなぐことができる。このような手法を用いることで、映画においては能動/受動、原因/結果というような因果関係や、それによって構成される物語や想像力といったものとは異なる論理をそれとして提示することができるようになる。そのような形で「イメージ、とりわけ、映画の中に組み込まれる」ことは、「力学的ではない力関係に入り込」み、そのことによって、力学的モデルによって記述されるコミュニケーションの体系から解放された形で「像」自身の視覚-認知レヴェルのもとにセッティングされた対象として存在するわけである。今回の出展作で言うと、先に軽く触れた小濱氏の作品はキャプチャーされた画面内の時間が可変的なものとしてあることをヴィジュアル的に極端に示すことで、現実とは切り離された奇妙な空間を示していたし、あるいは「私の見た世界」に限定的に内在した短い映像作品《Collected Moment》を大量に(しかし一つのモニターにランダムに出てくる仕様のため、全部見ることは不可能に近い)出展していた荒木悠氏の映像作品からは、より直接的に非力学的な〈画像〉の端緒を見出すことができるだろう。

 

 ――改めて展覧会タイトルの「OBJECTS IN MIRROR ARE CLOSER THAN THEY APPEAR」に立ち返ってみる。「IN MIRROR」に付された抹消線は、鏡(という比喩のもとにセッティングされるフレームワーク)の有無を超えて、出展作品どうしの(メディウムの違いを越えた)「近さ」を感受することへと私たちを誘うものとしてあった。そしてここまでの迂回を経た私たちは、鏡の有無を越えることが、同時に〈画像〉の非力学的性格を予感することでもあることに立ち至ることになるだろう。〈画像〉においては、自己内省の装置としての鏡は、もはや不要だからである。

*1:ちなみに第一弾は結城佳代子女史による「SLASH/09 −回路の折り方を しかし、あとで突然、わかる道順を−」展(http://thethree.net/exhibitions/324)、第二弾は野口卓海氏による「まよわないために -not to stray-」展である(http://thethree.net/exhibitions/1153

*2:長谷川新「OBJECTS IN MIRROR ARE CLOSER THAN THEY APPEAR」(展覧会場で販売されているリーフレット所収)

*3:余談になるが、この種の反動性が懸念されるのは、現代美術界隈というより、むしろ近年若手作家を中心にますます現代美術界隈との親和性を強めつつある工芸の分野においてであると言えるかもしれない。ここでは多治見市文化工房ギャラリーヴォイスで2014.12.20~2015.2.15の日程で開催された「Object Matters 概念と素材をめぐる日本の現代表現」展(http://g-voice.chu.jp/event.html)をあげておく。同展では陶芸や木工、ガラスなどの工芸作家と(もの派の一員である小清水漸氏のような)「概念」と「素材」とを両睨みにした現代美術家の作品とが並べて展示されていたが、そこでの(キュレーターの金島隆弘氏による)フレームワークはここ二・三十年の日本の現代美術の動向を「概念」優位から「素材」優位へという流れでまとめるというものであり(金島隆弘「Object Matters――「概念と素材」をめぐる日本の現代表現」(http://tmblr.co/Zq0wpx1bWeC-o))、素材=メディウムの固有性が、さらには素材固有のルールに内在し深めていく態度を「日本人らしい創作姿勢」とするものであった。このような史観は一見すると――工芸諸分野の伝統の自明性を担保している点において――もっともらしく見えるが、しかし素材=メディウムの固有性を強調する態度が、そう遠くない過去に反動的に形成された、いわば「創られた伝統」(の局所的な反復)であることを隠蔽しており、その意味で顚倒的に形成されたものであることに意識的である必要があるだろう。次の文章を参照のこと《八〇年代の美術の特徴のひとつとして、絵画・彫刻という形式への回帰が指摘される。ここに、同時代の工芸の新しい動きを追加することもできるだろう。その中で、「近代以前の価値を再検討する方向で超えようとした作家たち」によって「人間と自然が直接かかわっていた主客未分のコスモロジーの再検討」が実践されていく。おそらく、素材と自然を結びつける意識はここから生じるのだ。その起源を忘却し、現在の絵画・彫刻・工芸を普遍的なものとして捉えるときに、「どんなものでも美術作品の素材として使用できる時代」が抜け落ちる》(藤井匡「歴史概念としての立体造形」(『MAPPING』第2号(発行:特定非営利活動法人コンテンポラリーアートジャパン)所収))。金島氏の史観において抜け落ちているのは、少なくとも日本の現代美術界隈においてはこの「どんなものでも美術作品の素材として使用できる時代」が素材=メディウムの固有性を素朴に顕揚する態度に先行していたという事実である。

*4:例えば、窓から入ってきた煙が、空に浮かぶ雲の端とつながったように見えた結果、あたかも雲が窓から入ってきたように見える写真作品があったが、それは典型的な「完 全 に 一 致」写真であると言える。

*5:後に栃木県立美術館はこの「画像進化論」展において提示した(擬似)科学-歴史学的なパースペクティヴを山中信夫(1948~82)の仕事を軸にして再編成した「マンハッタンの太陽」展を開催している(2013.7.13~9.23)

*6:山本和弘「画像進化論――自然の経済と芸術の経済との闘争について」(「画像進化論」展図録所収)

*7:さらに言うと、現像技術の起源である銀塩の感光性がシュルツェによって発見されたのは1727年のことなので、そこから起算しても写真の発明までには100年以上の開きがある。

*8:山本、ibid.

*9:田崎英明『無能な者たちの共同体』(未來社、2007)、p213