「リアル・ジャパネスク 世界の中の日本現代美術」展

 国立国際美術館で開催中の「リアル・ジャパネスク 世界の中の日本現代美術」展(以下RJ展と略)。《20世紀後半における欧米美術の進展の行き詰まりにつづく価値の多様化、1960年代生まれの美術家の仕事の超克、美術情報の氾濫――こうした問題を克服して、真に新しい美術作品を制作することが、1970年以降に日本に生まれた美術家の課題かもしれません》(同展チラシより)という問題意識のもと、70年代〜80年代生まれの9人の現代美術家の作品が展示されている。

 ◯今回の出展者(五十音順、敬称略)
 泉太郎(1976〜)、大野智史(1980〜)、貴志真生也(1986〜)、佐藤克久(1973〜)、五月女哲平(1980〜)、竹川宣彰(1977〜)、竹崎和征(1976〜)、南川史門(1972〜)、和田真由子(1985〜)


 さておき、会場は上記の各作家ごとにスペースを区切って展示しており、画廊街をハシゴして各作家の個展を見て回るような、あるいは移転前の国立国際美術館が定期的に行なっていた近作展をリニューアルしたような按配にしつらえられていた。出展されていた作品のジャンルも絵画や立体、映像、インスタレーション、何ともつかないシロモノと多岐にわたっていたし、それぞれのジャンル内でも傾向は全く異なっていたわけで、少なくともそのような作品に内在的なアプローチからは、出展者の世代-年代以外の共通点(まぁそれとて微視的に見ればバラツキが大きすぎると言えなくもないのだが)を出展作から見出すことはほとんど不可能であると言ってもいいだろう。このこと自体は、様々な美術家・アーティストがいて様々な潮流が明示的にも暗示的にも存在しそれらが相互にかつ全世界的に接続されているような現在の情勢を端的に再現していると言えなくもないのだが、そうなるといかなる視角からどういった面々の作品を通してかような情勢に介入するかというキュレーター側の姿勢やセンスが問われてくるのもまた、事実といえば事実なわけで、そういった要素が通常のアンソロジー展と較べてもかなり突出していたと言ってもあながち揚言ではないのかもしれない。その意味では、良くも悪くも見る側に割と高めのハードルが設定された展覧会だったと言えるだろう。しかしながらその割にはキュレーター側のかかる姿勢や認識を観客側がくみ取り、解析するための材料となりうるような作品以外の要素があまりにも少なすぎるように個人的には感じられることしきりではあり、その点については、作品そのものに向き合うことをまずは意図しているからだとしても、不親切の謗りを免れ得まい――平たく言うと、図録の類が作られていないというのは、この手のアンソロジー展としてはいささかマズいのではないだろうか。常設展フロアで同時開催されている「〈私〉の解体へ 柏原えつとむの場合」展では超絶的な質と量の資料集が作られていた(しかも完売寸前だった)だけに、余計である。

 ――何かイヤ言から入ってしまったが、出展作の方はそれとは関係なくエッジの効いた作品が揃っており、普通に見入ってしまうことしきり。様々な探求によって確立されたスタイルを高いレヴェルで端的に表現した作品や、そこにとどまらない新展開を見る側に予感させるような作品が揃っており、ほよほよと見ていても興味深いところ。発泡スチロールや角材などを組み合わせつつもそこに何らかの意味やイメージが発生することが巧妙に避けられている貴志真生也氏のオブジェや、シンプルにデフォルメされた人物と縞模様や水玉といったモティーフが描かれた絵画を並べて展示した南川史門氏、あとは佐藤克久氏、竹崎和征氏の平面作品が個人的には気になることしきりだった。以上の面々の作品に端的な形で現われていたように、このRJ展は「日本現代美術」というテーマから即座に連想されるような、「「現代美術」から「現代アート」への移行」を象徴するような諸動向――90年代以降本格的に進んだオタク文化の導入や、欧米発のニューペインティングに触発されたとおぼしき「(キャラクターを描くことも含めた)具象画への回帰」現象、インターネットの発達によって爆発的に拡散されたメディアアートの諸動向、など――をあえて(?)微妙に外したチョイスが施されており*1、しかも作品として強固にフレーミングされているというよりも、どこか不定形さや未完成さを残しているような印象を見る側に与えるようなものが割と集中的に展示されていたわけで(これは貴志氏や佐藤氏、和田真由子女史の作品に顕著だった)、ここにRJ展のアクチュアリティを見出すことが可能かもしれない*2

 かかる観点から見たとき、個人的に最も興味深かったのは泉太郎氏の出展作。テレビに映っている人の輪郭をブラウン管に直接ドローイングしてなぞっていく(で、画面の向こうのその人が動くたびに次々と一からやり直していく)という《キュロス洞》(2005)などの、一発芸的アイデアを速攻でやってみた的な方法論で不定型なシチュエーションと折衝していくといった按配の映像作品で知られる泉氏だが、今回出展していたのは数点の映像作品と、それに使われたりそうでもなかったりな立体作品だった。とりわけ面白かったのは、《コルセット(図書館)》と《無題》という二点の映像+オブジェ作品で、前者は黒板を楕円状に切って作られた謎オブジェに泉氏ともう一人が向かい合わせ入り、黒板の上を、氏はチョークで文字を書きながらほふく後退していき、もう一人はほふく前進していくという形でぐるぐる回り続けるというもの――つまり泉氏の書いた文字をもう一人が即座に消していく様子が延々映し出されるわけである――であり、後者は展示スペースの設営中にウサギを放ち、氏がそれを間近でガン見しながら気づいたことをどんどんチョークで床(泉氏の展示スペースだけ床全体が黒板になっているのだ)に書いていく。ウサギが動くと氏も移動して同じことを繰り返していき、結果として床一面にウサギについてのメモ書きが乱舞している、という按配。で、実際、展示スペースには、以上の一連の過程を収めた映像が大画面にプロジェクションされている、という。上述した《キュロス洞》同様、ここでも、移ろいゆく不定型なものであるシチュエーションと作者との折衝が、シチュエーションの不定型さを自ら再演してみせるといういささかパラノイアックな所作を通して行なわれているのである。一般的な傾向として関西では泉氏の作品に接することはなかなか稀であり、そういうこともあってか、氏の出展は開催前から話題となり期待感も高まっていた様子だったのだが、少なくとも当方的には期待以上のものが見られた次第*3

 その上で、これらの作品が、というか泉氏の出展自体が、RJ展の位置づけないしこの展覧会が意図しているであろう日本現代美術の諸動静に対する批評的介入について考える上で重要なピースをなしているように、個人的には思うところ。既に触れたように、RJ展においては出展作のジャンルはバラバラながらも、不定型さや不安定さ、未完成さといった要素を漠然と見る側に抱かせるような作品が集中的に並んでいたのだが、ところでかような傾向はRJ展において突如クローズアップされたわけではなく、少なくとも「MOTアニュアル ひそやかなラディカリズム」(1999.1.15〜3.28 東京都現代美術館)展*4と「夏への扉 マイクロポップの時代」展(2007.2.3〜5.6 水戸芸術館)展*5の二つを重要な先行例としていると見ることができる。特に後者は美術評論家の松井みどり女史が〈マイクロポップ〉というコンセプトをキャッチフレーズ的に全面に押し出してキュレーションしたことで話題となったものだが、そこでフィーチャーされていた〈マイクロポップ〉が「制度的な倫理や主要なイデオロギーに頼らず、様々なところから集めた断片を統合して、独自の生き方の道筋や美学をつくり出す姿勢」*6という定義のもとで使われており、その残響がRJ展をも規定していると言っても、あながち的外れではあるまい。そしてこの「夏への扉 マイクロポップの時代」展には泉氏も出展していたわけで、こういったところに、RJ展の“〈マイクロポップ〉再考”という側面を(ムリヤリにでも)見出すことが必要なのかもしれない。「「現代美術」から「現代アート」への移行」を象徴するような諸動向からあえて目を外すことで見えてくる光景が、ここで俎上に乗せられることになる――単なるポップアートではなく今や「「「現代日本のポップ」たりうる作品であること」はいかにして可能か」が問題になってくる。

 ――「「現代日本のポップ」たりうる作品であること」はいかにして可能か。もとより一朝一夕に答えが出るはずもないし、ここでも結局答えは出せないのだが、この問題系について考える上で有力な補助線になりうるのは、椹木野衣氏の『日本・現代・美術』である。同書については、氏が戦後日本の文化や社会全般に広く見られるある種の堂々巡りの傾向に対して提示した〈悪い場所〉という言葉が一種のキャッチフレーズのように流通したものだが、しかしこの言葉だけが独り歩きした結果、他の論点や概念に対する検討どころか再利用すら行なわれてこなかったのもまた、事実といえば事実。あるいは、いささか皮肉めいた話になるが、現在の時点から見たとき、同書に対するかような受容のされ方それ自体が〈悪い場所〉の徴候であったと言えるかもしれない。それはともかく、椹木氏は日本におけるポップアートの導入〜展開を、1980年代以前と90年代以降の差異を強調して叙述するにあたり「反映のポップ」と「還元のポップ」というキーワードを用いており、それはRJ展に至る傾向を解析する上で、なかなか示唆的である。

 ちまたにあふれかえった商品によって彩られた消費生活を如実に反映しているという意味においては、これらはいずれも六〇年代のアメリカに現われたポップ・アートの、遅れてきた日本版であると括ることもできるからだ。しかし、六〇年代におけるアメリカのポップ・アートからしてすでに、消費生活の素朴な反映であると説明されつつも、その枠からあからさまにはみ出す作家も少なくなく、実際にポップな意識のあり方の可能性の中心を示したのも、じつはそのようなはみ出し組であった。したがって、彼らの「ポップ・アート」が、風景画が自然を、肖像画が人物を描写するような意味で「消費生活」を反映するたぐいのリアリズムでなかったことはいうまでもない。むしろ彼らは、自分たちの生が拘束されている「いまここ」の成立する条件を提示することにおいてこそ、「ポップ」たりえたのであったし、それはけっして「反映」などではなく、むしろ「還元」と呼ぶべき性質のものだった。そして、八〇年代から九〇年代においてにわかに勃興したこれら「遅れてきたポップ・アート」にも、以上のような二面性は存在した。「反映」のポップと「還元」のポップからなるこの対比は、バブル期のポップとバブル崩壊以後のポップに、ほぼ該当するのである。*7

ポップアートの特徴を述べる際に“大衆消費社会の時代の美術”というフレーズが当たり前のように使われていることは議論の余地がなく、そしてそのこと自体は決して間違いではないのだが、ポップアートに事の始まりから「「消費生活」を反映するたぐいのリアリズム」という以上の契機が存在し、かかる契機を明るみに出して加速させていくこと(=「還元のポップ」)こそが「ポップな意識のあり方の可能性の中心」ではないかという椹木氏の指摘は、きわめて重要である。氏は同書の別の箇所で《それまでの日本における現代の美術の流れからすると、あからさまな断絶を感じさせ、軽さというよりは多分に風俗的であり、ときには破廉恥なまでの悪意に満ちた作品が現われはじめた》*8と90年代初頭の現代美術のある種の傾向性について述べているが、それは悪意のための悪意ではなく、現代日本という時空間に対する批評を大衆消費社会の中で行なう、そのための視座を内部に確保する――なぜなら(語の最も純粋な意味での)外部はもはや存在しないのだから――試みのための悪意なのである。「ポップな意識のあり方の可能性の中心」とは、かかる試みのことにほかならない。

 ――しかしながら、現在の時点から改めて見ていったとき、同書における「反映のポップ」から「還元のポップ」へという日本におけるポップアートの変容が、その根底において資本主義経済の社会的変容とパラレルなものであり、それが、市場を通じた自由な生産と交換が称揚される一方でローカルには制度的な統制と動員というモーメントが全面化している、という二面性を持って進行していったこと*9を考慮に入れる必要があるのもまた、事実といえば事実であろう。かような要素を通してポップアートを考え直していくと、「還元のポップ」以降のありようが見えてくる――ありていに言うと、「還元のポップ」は、かかるモーメントとシンクロすることによって作家や作品を「世界市場」に登録-流通させる「動員のポップ」へとバージョンアップしている*10一方で、それとは逆の、「動員解除のポップ」とでも言うべきモーメントにもつながっているのではないか。

矢部 (略)しかし一方で、新自由主義が推し進めている雇用の流動化というのが、僕らのような二〇代、三〇代の労働者を直撃していて、「労働者の外国人化」とか「資本からの労働の排除」ということが進行している。僕らのような半失業状態にある人間というのは、生産からも戦争からもあらかじめ排除されているんじゃないか。最初から最後まで戦争にタッチできなくて、協力も拒否もありえないような、埒外に置かれてしまった人間じゃないかと思うんです。そのあたりをじっくりと考えないといけないんではないか、と。いま戦争報道では、「国民」という言い方は滅多にしなくて、代わりに「現地住民」という言い方をするんだけど、この「住民」という呼び方に象徴されるような、排除された人口が、世界中に拡がっているんではないか、と。


酒井 総動員の時代の反戦から、動員解除の時代の反戦へ、ということだよね。(略)いずれにしても「新しい戦争」は総力戦的な総住民の動員に基づく戦争のヴィジョンを変えつつある。それは、いわゆる搾取すらされない人間の生産と相伴っているわけだろうけど。日本でも多くの人間は、ただの障害物になっちゃうのかな。自衛隊が住民を誘導して、「はいはい、ここは入らないでね」って規制されるというだけの(笑)、動員対象じゃなく、ただの交通整理の対象でしかない。このある種、ひっかかりの無さから、反戦をどう立ち上げていくのかというのが課題だ、ということでしょうか?


矢部 搾取はされるんですけどね。消費税とか、社会保障の削減とか、戦費のツケは確実に回ってくる。ただ、徴兵されたり、労働を徴発されたりすることはないでしょう。やりますっつっても、おまえはいらねって言われるでしょう。そうなると、僕らが直面する国内的な矛盾というのは、戦争に固有なものとしてイメージすることは難しい。むしろ、一旦戦争という問題から離れて、税制の逆進化とか、社会保障の削減とか、失業、排除、棄民化、という課題を共有していかないといけない。でも、「棄民化に抗して闘う」ってのは、すごく難しい課題ですよ。だって、権力側と人民側との力関係を担保していたのは、労働と兵役じゃないですか。それをいらねって言われちゃったら、もう、ブツとしての障害物に徹するしかない。これは相当きびしい。*11


 上にあげた酒井隆史氏と矢部四郎氏の対談自体は「戦争」や「反戦」云々という文脈において行なわれたものであるが(もともとイラク戦争(2003)前後の時期に雑誌に掲載されたものなので)、この対談において酒井氏が発している「動員解除の時代」という判断は、現代美術ないし現代アートについて考える上でもきわめて重要であると言えるだろう。今日の、杜撰にも“グローバリゼーション”の一言で言い表されるような資本主義経済の社会的変容は、実際にはローカルな位相における「動員」と「動員解除」との二面性を持っており、現在の日本において、ことに20代・30代の美術家やアーティストのリアリティの大部分を形作っているのは「動員解除」という側面なのではないか――そのようなことを考えさせられるわけで。「自分たちの生が拘束されている「いまここ」の成立する条件」から自分たちはあらかじめ解放されているという認識。作品に漂う不定性や未完成性から漂ってくる帰属感のなさ*12。そのような認識の実践としての〈マイクロポップ〉。

 ――既にだいぶ迂回しまくっているのでアレなのだが、RJ展が何がしかのアクチュアリティを得ているとすると、それは〈マイクロポップ〉が持っていた側面をさらにラディカルに推し進めていることで、あるいは2008年の金融危機以後の世界経済のリセッション状態を経た後でかような展示をすることで、「動員解除のポップ」というムーヴメントをさらにクリティカルなものとして提示しているというところに求めることができるだろう。でも、そうだとしても、やはり何がしかのフォローが必要だというのはあるわけで。そこが惜しい。

*1:とはいえ、こういった傾向がRJ展から完全に排除されているわけではなく、架空の海賊団に仮託して、現代(日本)社会の諸問題を大航海時代-『ONE PIECE』的ガジェットに落としこんだ竹川宣彰氏の作品や、大画面に幽霊化された自画像や森などを描いた大野智史氏の作品は、「現代美術」から「現代アート」への移行という動向にかなり沿ったものとして展示されていたように見える。

*2:実際、(事実上のRJ展マニフェストである)チラシの文章には次のように書かれている――《「リアル・ジャパネスク」の出品作家9名は、そうした見極め難い美術状況のもとで、欧米の模倣、日本美術への回帰、あるいはショーアップした展示への依存など、近年よく見かける方法とは距離をとっています。この9名の作品は、過去の様々な美術作品や生活の中で経験する物作り等からの柔軟な方法の選択、視覚表現の謎の日本的感性による探求が主な特徴となっています。(略)巨視的に言えば、直面した美術状況への知的で誠実な対応の結果であるにとどまらず、1970年代・80年代に日本に生まれた者としての子供・学校時代の経験をも作品に結びつけています。その意味で「日本の美術作品として意義あるもの」という明治以降の課題のひとつの解答とも見なせるのではないでしょうか》

*3:まぁ《無題》に関しては、鑑賞者が歩くことでメモ書きがこすれて消えていくように仕立てられていたらより良かったかもしれないが(←ムチャ振り)

*4:出展作家は以下のとおり(順不同・敬称略)――内藤礼、関口国雄、杉戸洋、高柳恵里、丸山直文、吉田哲也、中沢研、河田政樹、小沢剛

*5:出展作家は以下のとおり(順不同・敬称略)――島袋道浩、青木陵子落合多武野口里佳杉戸洋奈良美智、有馬かおる、タカノ綾、森千裕、泉太郎、國方真秀未大木裕之半田真規田中功起、K.K.

*6:松井みどりマイクロポップ宣言:マイクロポップとは何か」(『マイクロポップの時代:夏への扉』(PARCO出版、2007)所収)

*7:椹木野衣『日本・現代・美術』(新潮社 1998)p50-51

*8:ibid. p50

*9:例えば、マイケル・ポランニーが描写している資本主義の原風景的な光景を参照のこと《自由市場への途は、集権的に組織され管理された継続的な干渉主義の飛躍的強化によって拓かれ、維持された。アダム・スミスの言う「単純で自然な自由」を人間社会の要求と両立させることはきわめて面倒な仕事だった。このことを知るには、たとえば無数の囲い込み法の諸法規の複雑さ、エリザベス女王の治世以来、初めて中央当局の効率的監督を受けることになった新救貧法の運営に必要とされた官僚統制の大きさ、そしてまた自治体改革という意義ある仕事に伴う政府管理の強化、等々をみればよい。だが、こうした政府干渉の砦は、すべてなんらかの単純な自由――たとえば、土地、労働、自治体管理の自由など――を組織する目的で築きあげられたものである。労働節約的な機械が、期待に反して人間労働の使用を減少させず、実際には増大させたのと同じように、自由市場の導入は、管理、統制、干渉の必要性を取り除くどころか、その範囲を途方もなく広げさせたのである》(マイケル・ポランニー(吉沢秀也他(訳))『大転換――市場経済の形成と崩壊』(東洋経済新報社、1975)p190-191)

*10:だから余談になるが、90年代において「反映のポップ」から「還元のポップ」への移行の領導役を果たした村上隆氏が、ゼロ年代において自身率いる工房(ヒロポンファクトリー→kaikai kiki)を企業化したり、著書『芸術起業論』(幻冬舎、2006)においてアーティストをアントレプレナーと位置づけたりしたのも、かような資本主義経済の社会的変容の二面性へのリアクションであったという観点から見ると、なるほど理に適ってはいるわけで。してみると、ゼロ年代において自身が領導していった「動員のポップ」を回すための論理や言葉が(「動員のポップ」と同時期に進行していった)「動員解除のポップ」に対する適応不全を引き起こすという事態が今後問題になってくるのかもしれない――というか、それは、既に始まっているのではないのか。

*11:酒井隆史×矢部史郎「最悪は、最高だ」(『情況』2003年4月号別冊所収)

*12:また余談になるが、椹木氏は2006年の時点で、ゼロ年代に制作活動を始めた美術家たち(文中では“ゼロゼロジェネレーション”と名付けられている)の特徴を「帰属を失った身体(表象)への容赦ない視線、それが生み出す徹底した技巧の行使による没主体的な生成としての内向」とまとめた上で、今後彼らにとっては――そう明示されないにしても――中原浩大氏の存在が強い意味を持ってくるのではないかと書いているが(椹木野衣「〈内向〉の技法、帰属なき〈表象〉――ゼロゼロ・ジェネレーションという時代」(『美術手帖』2006年7月号所収))、かかる知見から「動員解除のポップ」を考察していったとき、加えて小沢剛氏の存在も重要になってくるかもしれない。