「神戸映画資料館レクチャー:映画の内/外――第7回 ロバート・スミッソン《スパイラル・ジェティ》について」


 新長田にある神戸映画資料館で26日に開催された「神戸映画資料館レクチャー:映画の内/外――第7回 ロバート・スミッソン《スパイラル・ジェティ》について」。当方、ここを訪れるのは今回が初めてなのだが、近年「映画の内/外」と題した講座を1〜2ヶ月に一回の割合で開いているそうで、今回のこの上映会+トークショーもその一環として開かれたとのこと。


 今回俎上に乗せられている《スパイラル・ジェティ》(以下SJと略)とは、アメリカの現代美術家ロバート・スミッソン(1938〜73)が1970年にユタ州グレート・ソルト・レイクに制作した作品。何千トンもの岩や岩塩、砂利を用いて湖の一角に巨大な螺旋状の突堤を作るという代物で、今日では彼が手がけ、その後何人かのフォロワーを生み出した「アースワーク」や「ランドアート」と呼ばれるムーヴメントの中でもとりわけ知名度の高い作品として知られている*1。そして今回上映されたのは、そんなSJの実物(?)と並行して制作された映像作品で、当時所属していたドゥワン・ギャラリーで上映されたものだそうで。で、今回は、そのスミッソンの研究者としても知られる愛知県立芸術大学准教授の小西信之氏と、思想や映画、文学に関する著作が多い丹生谷貴志氏を講師に迎えて、SJを中心にスミッソン美術の魅力や、あるいは彼が抱え、体現した諸課題についてアクチュアルな観点から縦横に語っていくことが目指されていた次第。日本では上映される機会がめったにないっぽい映像作品(近年では「ヴィデオを待ちながら」展@東京国立近代美術館で上映されたそうだが)が見れるということもあって、会場はほぼ満席状態だった。


 さておき、イベントは三部構成で行なわれ、小西氏によるスミッソンについての講義の後SJが上映され、その後小西氏と丹生谷氏が対談するという形で進行していた。上述したように小西氏の講義はSJにとどまらず、スミッソンの生涯と創作活動全体、さらにはここ数年来アメリカで急速に進んでいる再評価や資料発掘の動きにも目配せした非常に浩瀚なもので、基本的にアースワーク作品以外についてはあまり知らない者的には普通に勉強になったわけで。スミッソンに対しては、60年代のミニマリズムの一翼を担った幾何学的形態の立体作品から「サイト/ノン・サイト」というコンセプトを提示した諸作品を経てアースワーク作品への移行していくという作風の変化が、モダン(モダニズム)からポストモダンポストモダニズム)への移行の象徴的事例として解釈されるという傾向が長年支配的だったが、彼自身がなかったことにしていた50年代〜61年頃の作品――それは小西氏が言うように、バーネット・ニューマンやウィレム・デ・クーニング、ジャン・デュビュッフェといった抽象表現主義の作家たちの作風に(自らが信仰してやまなかったカトリックの)宗教的テイストが加味された作品である――などが近年多く再発見されたことで、より精緻なパースペクティヴのもとに彼の作品の変転を再解釈していこうという動きが現われてきているのだとか。そういう中でSJもスミッソンが60年代後半以降手がけるようになる「サイト/ノン・サイト」系作品の発展した形態という以上の意味が含まれた作品として、彼自身がなかったことにした初期作品に現われていた精神(の危機)的な要素も回帰してきた作品でもあるという角度から改めて俎上に乗せられているという。


 ――以上のような小西氏のレクチャーを経てSJの上映へ。当方は映像版は未見だったので、SJの実物(?)の制作過程と出来上がった作品をいろいろなアングルから撮影するといった態の作品なんだろうかと適当に予想していたのだが、実際に見てみると、SJを作るに至るスミッソンの思考のイメージが記録映像のレベルにとどまらない勢いでどんどん挿入されていき、30分余の映像作品は単なる記録映画を超えた彼本人のマニフェスト的な性格を色濃く湛えていったわけで、これは端的に予想外だった。実際、作品は太陽の表面上で起こるフレアの爆発の映像から始まり、彼が読んでいたという『北米の地理学的進化』なる本の一節の朗読*2とともに紙吹雪が荒地を舞うカットにつながり、そこからようやく現地に至る道路の映像や現地の地図のカットが始まったかと思うとすぐに恐竜の化石が多く置かれた博物館のカットにつながっていき……――といった具合に、前半から映像的にもナレーション的にも散乱した様相を呈していくわけで。それは様々なアングルからのSJの空撮映像がメインになってくる後半に入っても変わらず、SJが螺旋状であることがスミッソン本人の任意の思いつきではない広がりを持ったものとして意図されたことであるということが、科学書や小説の朗読によって雄弁に語られていくのだった。スミッソンは出来上がった作品以上にそこに至る資料や思考の断片を重視していたばかりか、そちら側こそが(自分自身の意図や意志を純粋な形で具現化したものとしての)真の意味で作品たりうるとも考えていたのだが、このSJ映像版はそういったスミッソンの考え方が最も如実に現われた映像作品であると、さしあたっては結論づけることができるだろう。小西氏の浩瀚なレクチャーの直後にこの映像作品を見ることで、SJが「アースワーク」というような単一のムーヴメントにのみ還元することのできない多層的な構造を含んだものであること、そして、多層的な構造を示すことに主眼を置いた映像作品の方こそ実はSJの本体であると言ってしまってもあながち揚言ではないことが感得される。


 上述したようにスミッソンは、(本人がなかったことにした)宗教的要素が割とダイレクトに露呈した抽象表現主義風ペインティングから、化学における結晶構造に範を取った幾何学的形態の立体作品、そして「サイト/ノン・サイト」と呼んだアースワークの原型的なインスタレーションを経てSJに向かうという作風の変遷をたどっていった。で、SJは、かような彼の行程の中の、「サイト/ノン・サイト」期と特権的に結びつけられ、そこからポストモダニズムや(その一局面としての)サイトスペシフィック概念の起源的な作品として位置づけられてきたわけだが、しかし映像作品におけるカットやナレーションを詳細に見ていくことで浮かび上がってくるのは、SJには先にあげた彼の作風の変遷が何らかの形で含まれており、その意味では彼のモダンアート/モダニズム内における集大成的な様相すら観察することができるという事実であろう*3。実際、SJの実物(?)を特徴づけている螺旋状の形態も、映像中では結晶構造との明確なつながりがあることが彼自らのナレーションでバラされている*4し。あるいは恐竜の化石が多く置かれた博物館のカットは、それがたとえ妄想的・オカルト的な相貌を見せることになるにしても、SJが人類史以前の段階とつながることが目指されていることを雄弁に示していると言える。従来「サイト/ノン・サイト」概念はギャラリーもしくは美術界隈の内/外というような空間的なニュアンスをともなって提示され解釈されてきたのだが、映像作品ではこの概念が時間という位相にもまた適用されていることが如実に示されている――作者と観者との関係はここにおいて空間的にも時間的にも超長期的なスパンのもとに置かれることになるだろう……


 かかる小西氏のレクチャー+上映会を経て、小西氏と丹生谷氏の対談へ。満を持して(?)登場してきた丹生谷氏が最初に言ったのは、アメリカのアーティストって映像の編集がだらしないよね、というwww しかもその流れでマシュー・バーニーはバカみたいにヒドいとかカマし入れるしwww なんでや! ビョークのダンナ関係ないやろ!←


 ――というような観客ウケの良い話をマクラにしつつ、しかしその後の丹生谷氏の話はSJ本編の中でスミッソンがサミュエル・ベケット(1906〜89)の小説『名付けえぬもの』からの一節を朗読していたことに端を発したベケット話を取っ掛かりとして、様々なモンタージュの集積としてのSJ映像版にさらにモンタージュをかぶせていくような形でなされていった次第。ベケットの作品にまま見られる否定形の積み重なり(まさに「名付けえぬもの」だ)は、スミッソンにおける「サイト/ノン・サイト」路線への移行に何がしかの影響を与えるものだったのではないかというのが丹生谷氏の基本認識であるようで、で、そこから、同時代の世界的な動向としての「68年革命」との並行関係も見出されるのではないかと見立てていくのだが、かかる丹生谷氏の考察(?)は、SJを今日のアクチュアルな状況と交差させて考える上で、きわめて示唆に富んでいるように、個人的には思うところ。もし「68年革命」がなかったら、スミッソンはフランク・ステラやドナルド・ジャッドの近傍に位置する悪くも超優秀でもないミニマリズムの一作家として現在も評価されてたんじゃないか(もちろんアースワークに踏み出すこともなかったであろう)と語っていたわけだから、これはもう。


 《いつの日か人間が滅んだ後、異星人が地球を訪れるとして、彼らはおそらく自然物と人工物の区別をつけることは出来ないだろう》――丹生谷氏がベケットと並んで引用していたのが、フランスの分子生物学者ジャック・モノーのこの発言だった。おそらく『偶然と必然』から引用されたであろうこの一節、そう言えば丹生谷氏ってば68年革命についての小論の中で一度引用していたなぁ(「「芸術」なるもの、「美術」なるもの」(スガ秀実(編)『1968』(作品社、2005)所収))と思いながら聴いていたのだが、さらに聴き続けていると、このモノーの箴言が「サイト/ノン・サイト」と並行するものとしてモンタージュされていた次第。上述したように、「サイト/ノン・サイト」概念はギャラリーもしくは美術界隈の内/外というような空間的なニュアンスをともなって提示され、それはSJにおいて時間的にも超長期的なスパンのもとに改めて置き直されたわけだが、そうすることによってスミッソンは(知ってか知らずか)人間の営み自体を人間の「外側」へ連れ出すこととなり、そこにおいて内/外という区分そのものが崩壊してしまうような瞬間に触れたのではないか――丹生谷氏は以前からドゥルーズなどを援用しつつ、「人間が「外」に直面した瞬間」として68年革命を論じているが、同じことがスミッソンにも起こった、と見るわけである。「サイト/ノン・サイト」で言うと、68年革命によって開かれたのは世界全体がノン・サイト化したことであり、そしてその限りにおいて「自然物と人工物の区別をつけることは出来な」くなる瞬間であった。SJにおける螺旋状とは、こういったことごとと結びつけられるべきであろう、という。だから余談になるが、かような丹生谷氏の認識からすると、後の批評家たちが言い出した「サイトスペシフィック」は自然物と人工物との間に新たな区別を入れる反動的な所作であることになる。SJの本質はそこにはないという氏の認識は、確かに有効であろう。


 とは言え、小西氏が持ってきていたプライベートフィルム(氏自身がSJに向かうまでの一部始終が映し出されていた)や、アメリカにおける最近のSJ周りの小話を聴いていると、どうもそのはるか手前に終始しているように受け取れるわけで。だいたい、アメリカにおけるSJの再発見が「湖の底に沈んでいたSJが湖面の水位の変化で再び現われ、大騒ぎになった」という、いかにも宗教物語的な事件によってなされたわけだから、皮肉といえば確かに皮肉ではあるw あと、小西氏が語っていた、最近は近くの道にSJまであと◯◯マイルという看板が勝手に立ってるという小話には苦笑しきり。


 そういうところも含めて、SJが依然として問題含みの作品であることは、いくら強調してもしすぎることはあるまい。

*1:Google Mapでも見ることができる→http://maps.google.co.jp/maps?q=spiral%20jetty&hl=ja&safe=off&rlz=1G1GGLQ_JAJP318&prmd=imvns&biw=1244&bih=909&ie=UTF-8&sa=N&tab=il

*2:本編中のナレーションは次の通り――《地球の歴史は時に一頁一頁が小さな紙切れに引き裂かれた一冊の本の中に記録されたストーリーのように思える。沢山の頁が失われていて、残された各頁もいくつかの切れ端が無いのである》

*3:少し飛ぶが、十全に展開されたとは言えなかったものの、小西氏は対談の中でスミッソンとクレメント・グリーンバーグとの意外な近さに言及していた。

*4:本編中のナレーションは次の通り――《結晶段階は、成長する間、螺旋状に自らを巻いていく。定常状態では螺旋は回転するように見えるだろう。右利き左利きの転置が、時計回りと反時計回りの螺旋を生じさせる》(アジト・ラム・フェルマ、P.クリシュナ『結晶における多形とポリタイプ』)