加賀城健「〈Physical/Flat〉」展

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 いささか旧聞に属する話ですが、此花区にあるthe three konohanaで6月16日から8月6日にかけて開催されていた加賀城健「〈Physical/Flat〉」展。関西を拠点に染色作品を作り続けている加賀城健(1974〜)氏の、同ギャラリーでは三度目となる個展でした。

 

 1990年代から染色作品を作り続け、現代工芸の一分野としての現代染色において一定の評価を得て久しい加賀城氏。そんな氏を三たび取り上げるに際して、今回は過去二回とはうってかわって加賀城氏の約20年にわたるこれまでの制作の軌跡を(簡単にではあれ)振り返ることに主眼が置かれていました《本展では、これまでの加賀城の制作の展開を、2つの要素の着目から、考察していくことを目指します》(同展チラシより)。実際、会期前半(6.16〜7.9)では「〈Physical Side〉」ということで90年代からゼロ年代前半の作品が、後半(7.15〜8.6)では「〈Flat Side〉」ということでゼロ年代中頃から現在に至る作品がフィーチャーされていたわけで。さらに会期中に開催されていたART OSAKA(7.7〜9ホテルグランヴィア大阪)では、the three konohanaの出展スペースが加賀城氏の新作による個展形式「〈New Works-Extention〉」で構成されていたわけですから、夏の加賀城氏祭り状態であったと言っても、あながち揚言ではありますまい。

 

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加賀城健《Discharge──かみなりおこし》(2007)

 出展作に即してより具体的に見てみますと、〈Physical Side〉においては上述したように主に初期作品が中心となっていましたが、その時期においてなされていたのは、十数メートルにおよぶ布地の上に乗せられた大量の糊を力ずくで引きずり、脱色することで行為の軌跡・痕跡をそのまま見せるというものであった(画像参照)。ほかにも柔らかい布地を無理に引っ張った状態で染めたりするなど、この時期の作品においては、〈Physical〉にふさわしく、物理的な力や行為が主題になっていたと言えるでしょう。布地はここではそれそのものである以上に、力や行為の軌跡・痕跡がその上で展開される場としてある。この時期の作品に概してモノクロの作品が多いのも、そのような性格をさらに強めています。

 

 一方、ゼロ年代中頃から現在に至る〈Flat Side〉(及び新作による〈New Works-Extention〉)の出展作においては、〈Physical Side〉において等閑視されていた――あるいはもっと積極的に「抑圧されていた」と言った方が良いかもしれません――色彩が一転して全面化していました。一枚の布地を普通に様々な色で染めた作品に加えて、何枚かの布地を重ねた作品、シェイプドカンヴァスの発想をそのまま導入した作品など、見せ方が多様化しているのが一見して即解できたわけですが、それらが単に奇をてらったウケ狙いではなく、「布地」と「色彩」との関係性に対する考察を(特に絵画との対質において)多分に含んでいることに注目する必要があります。

 

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加賀城健《明るい地獄めぐり(連作・部分)》(2017)

 染色において「布地」は単なる画面(の基体)ではないのではないか――加賀城氏における染色への考察をドライブさせているのは、このような認識であると考えられます。言い換えるなら、「布地」を画面と同一視している限り、逆に「染めること」それ自体が抑圧されることになるだろう。絵画との対質を通して染色を考え直すという氏の態度には、染色というジャンル自体が「染めること」を排除しているということに対する危機感が存在する《染色をして作品発表する方々と話す機会があるとする。話の内容は決まってあの人は絵が描ける、描けない、という話に終始して、その絵がなぜ染色でなければならないのかの議論が少ない。私はこのことにずっと疑問を抱いてきた。染色家たるもの、その求める中心に染めることがあるべきだと考えるからだ》(加賀城健「創作をとおしての所感」)。

 

 で、「染めること」を改めて「求める中心」に据えたとき、それは「布地」に対する態度変更をも同時に迫ることになるはずです――染色は布地を文字通り染め上げる行為ですから、そこにおける色彩は絵画のように画面上に配置されるものとは違った位相に置かれる(というか、染め上げられる)ことになるからです。今回の展覧会に即しつついささか思弁的に言うと、〈Physical Side〉と〈Flat Side〉との間の最大の違いは、色彩の有無以上に、色彩を通した「布地」に対する認識の変容である。〈Physical Side〉の出展作において「布地」はその上で行為や物理的なベクトルの軌跡・痕跡が展開されるという点においてなお絵画的な「画面」の範疇を超えるものではなかったのですが、〈Flat Side〉の出展作においては「布地」は固有の物質性を持って「画面」とは違った形で色彩やフォルムを生かすものとして改めて立ち現われてくる。こうして「布地」や「色彩」に対する態度変更が「染めること」を染色というジャンルの「求める中心」に再び据えることになるだろう。今回の「〈Physical/Flat〉」展が染色と現代美術の双方に問いかけているのは、そのことにほかならないのです。





井上裕加里「堆積する空気」展

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井上裕加里「堆積する空気」展フライヤー

 Gallery PARCは毎年この時期に展覧会の企画案を公募し、入選した三つの企画展を連続して開催しておりますが、その第三弾として8.1〜13の日程で開催されていたのが井上裕加里「堆積する空気」展。日本の近現代史や――日韓・日中間の歴史認識問題や北朝鮮の核開発問題など、軋轢の絶えない――東アジア情勢を取り上げた作品をここ数年手がけ続けている井上裕加里(1991〜)女史の、およそ二年ぶりとなる個展です。

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井上裕加里《罪の意識》(2017)

 今回は新作《罪の意識》と旧作《Auld Lang Syne》という二点の映像作品を中心にした構成となっていました。前者は原爆ドームをバックに井上女史が二画面に分かれて向かい合う形で(画像参照)、当時エノラ・ゲイに搭乗していた米兵やマンハッタン計画の参加者といった原爆を開発して投下した側の証言と、被爆した少女たちの証言をそれぞれ(あたかも対話しているかのように)朗読するという作品。一方、後者は日本で「蛍の光」というタイトルで親しまれているスコットランド民謡「Auld Lang Syne」が、韓国や台湾では全く違った歌詞が当てられていることに想を得て、三ヶ国の人が同曲をそれぞれ歌っているのを三画面で同時再生しているという作品となっています。上述したように、井上女史は、以前からアジア太平洋戦争に取材したり現下の東アジア情勢をダイレクトに反映させつつひねりを加えた作品を作ってきていますが、今回もその部分においては一貫していると言えるでしょう。この展覧会の直前に――京都市で近々始まる東アジア文化都市2017の関連企画である――フェルトシュテルケ・インターナショナル( http://www.kac.or.jp/events/21603/ )に参加して中国や韓国をリサーチして回ってきたそうで、そのことも作品にフィードバックされているのだろうかと思いながら作品に接したのですが、日米間あるいは日韓台間において微妙なこわばりや空気感を醸成するトピックを取り上げることで、戦後において何が無意識的なレヴェルに追いやられていったのかを逆照射するものとなっていたと、さしあたっては言えるでしょう。「堆積する空気」という展覧会タイトルに偽りなし。

 

 かような井上女史の作品がいかなる政治や歴史認識に導かれ、またそれらを(再)起動しているかについては一度触れたことがありますので( http://atashika-ymyh.hatenablog.jp/entry/2016/06/30/000000 )、ここでは縷々繰り返しませんが、彼女が――最新作である《罪の意識》を含めて――主だった作品において今回のような複数の画面の映像を表現手段としていることは、表現と政治・歴史との対質において考える際に、きわめて示唆に富んでいると言わなければならないでしょう。ここには、単なる趣味・趣向の問題を超えた何かが存在する。

 

 「二個の者がsame spaceヲoccupyスル訳には行かぬ」――これは夏目漱石が1905年から翌年にかけて書いた断片の一節です。後に柄谷行人氏がこの一節を何回か取り上げて論じたことで有名になりましたが、井上女史の映像作品において通奏低音となっているのは、この漱石の一節のような認識を導入しつつどうやって脱構築するかということであると考えられます。上述したように、《罪の意識》においては原爆を落とした側と落とされた側という相異なる(しかも極端に対立している)立場からの発言が井上女史の実演によって突き合わされているわけですが――今回に限らず、昨年の日韓交流展(於:京都嵯峨芸術大学)では韓国での反日デモと日本でのヘイトスピーチデモとが同じ方法で俎上に乗せられていました(危)――、そのように、自己の身体を介して、いわば肉体的な問題として「二個の者がsame spaceヲoccupyスル訳には行かぬ」という漱石の言葉を実演して見せているところに、井上女史のクリティカルな部分が存在する。



ところで、われわれは漱石が「二個の者がsame spaceヲoccupyスル訳には行かぬ」と書いていることに注意すべきであろう。このとき、彼は人間と人間との関係を、どんな抽象(観念)的な媒介によってもみていないので、肉体的な空間(space)においてむき出しにされた裸形の関係としてみているのである。(略)漱石の小説に関して、「自己本位」(エゴイズム)や自意識の相克をみることは、これまでの一般的な見解である。だが、漱石は人間と人間の関係を意識と意識の関係としてみるよりも、まず互いが同じ空間を占めようとして占めることができないというような、なまなましい肉感として、いいかえれば存在論的な側面において感受していたのだ。(柄谷行人「意識と自然」)

 

 

 「人間と人間との関係を、どんな抽象(観念)的な媒介によってもみていないので、肉体的な空間(space)においてむき出しにされた裸形の関係としてみている」「人間と人間の関係を意識と意識の関係としてみるよりも、まず互いが同じ空間を占めようとして占めることができないというような、なまなましい肉感として、いいかえれば存在論的な側面において感受していた」――このような、(柄谷氏が注意を差し向ける)漱石の認識の一端を井上女史もまた共有し、複数の画面を用いた映像作品という形で「二個の者がsame spaceヲoccupyスル」状況をリテラルに表現し提示することで逆照射していると考えられるわけですが、とはいえ、ここで言う「二個の者がsame spaceヲoccupyスル」ことを、「二個の者」の単純な和解と捉えてはならないのもまた事実でしょう。それは「意識と意識の関係」のレヴェルでのことに過ぎないからである。井上女史が作品という形で招来させようとしている事態はあくまでも「意識と意識の関係」においてではなく、「なまなましい肉感」において堆積している。それを「意識と意識の関係」に置き換えている、あるいは置き換えられうるものとしている配置(dispositif)が問題とされるわけです。

 

 したがって、「二個の者がsame spaceヲoccupyスル訳には行かぬ」というのは、この配置の結果であり、「二個の者がsame spaceヲoccupyスル」状況(ホッブズなら「自然状態」というところかもしれない)という「なまなましい肉感」の位相に対して、それをどんな形にせよ解決しようという「意識と意識の関係」における当為のもとで発せられたものであると見る必要があります。それは、私たちの文脈に引きつけて言い換えるなら、私たちの現在を規定する戦後民主主義ないしそのバックボーンとされる平和主義がそのような解決ではなかったのかという懐疑のもとに井上女史の作品に接するということである。彼女がしばしば書きつける「答えは目の前にあり、見えていないのは問いである」というステイトメントは、この「なまなましい肉感」の位相において読まれる必要があります。「答えは目の前にあり、見えていないのは問いである」というステイトメントは、そのような解決が果たして解決であったのか、それは解決の名による(想像的な)解消ではないのかという彼女自身の認識の発露であると見なければならないでしょう。だから余談になりますが、この一点において井上女史の作品は68年革命における「戦後民主主義批判」を現在において反復しているわけです。

 

 いずれにしましても、今回の出展作品においてなされていたのは、広島という、平和主義の起源の地であるとともに急所でもある地を俎上に乗せることで、「平和」を様々なスペクトルのもとに、言い換えるなら「平和」を平和主義という「意識と意識の関係」においてではなく「なまなましい肉感」の位相において感受し、そこから別種の「平和」を再考していく(しかし、それはいったいどのようなものになるのだろう?)ことにほかならない。




「>Gather — 群れ<」展

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 深江橋にあるギャラリーノマルにて7.22〜8.5の日程で開催されていた「>Gather - 群れ<」展は、精神科医で美術評論家でもある三脇康生(1963〜)氏のキュレーションのもと、中川佳宣(1964〜)氏と高橋耕平(1977〜)氏がフィーチャーされているという趣の展覧会でしたが、実際に展覧会に接してみるとキュレーター+二人展という構成とはいささか異なる様相を見せているように感得され、個人的になかなか興味深いものがありました。

 

 今回は中川氏の新作数点と、滋賀県の山奥にあるという中川氏のアトリエに転がっていた廃物にそこの記録写真を貼りつけた高橋氏の作品《N氏のアトリエ》シリーズが大小十数点、三脇氏が中川氏にインタビューした様子を高橋氏が撮影した映像作品が出展されていましたが、このようなラインナップ自体が、この展覧会の性格をきわめて雄弁に語っていたと言わなければならないでしょう。三脇氏はキュレーターであり中川氏に対する聞き手でもあり展覧会全体の言葉による記録者でもある――実際、三脇氏の執筆による小冊子が販売されていました(画像参照)――し、中川氏は出展作家であり映像によって記録される客体でもあり自身が接してきた過去の美術家(ex. 泉茂、村岡三郎)について語る主体でもあるし、そして高橋氏は出展作家であり三脇氏と中川氏に対する映像による記録者でもある。このように、それぞれがキュレーターや出展作家といった単一の形象に収斂せずに展覧会全体の中で複数の役割を担っており、そのことによっていささかなりとも拡散的な性格を帯びた存在としてこの展覧会に臨んだことになるわけで。「>Gather - 群れ<」という展覧会タイトルは、そのことをこれ以上ないくらい端的に言い表わしています。

 

 《各人の中の群れをgather(かき集める)ことができた時、各人の中の群れは創造的に動く。もはや、群れを入れておく各人は不要で、群れをかき集めることだけになった気がしたら、それが成功というものだろう》と三脇氏は小冊子の中で述べています。このような氏の意図通りに展覧会が機能しているかどうかについては議論が別れるところではあるでしょうが、少なくとも高橋氏(の作品)に焦点を合わせてこの展覧会を見たとき、三脇氏の「各人の中の群れをgather(かき集める)ことができた時、各人の中の群れは創造的に動く」という発言は、この展覧会のみならず、高橋氏の最近の映像作品について考える上で、きわめて示唆的である。

 

 上述したように、この展覧会において高橋氏は、三脇氏による中川氏へのインタビューの記録映像のほか、自身が撮影した中川氏のアトリエの記録写真を氏のアトリエから拾ってきた廃物に貼りつけるという作品を出展しておりますが、映像作品とサイトスペシフィック感のあるモノ――それは(加工された)ファウンドオブジェクトの場合もあるし、展覧会に合わせて高橋氏が新たに作ったものの場合もある――と写真や映像作品を混在させて展示空間内にインスタレーションするというのは、近年の高橋氏において断続的に試されている手法である。例えば、近作に限っても、一昨年(2015年)に岡崎市旧本多忠次邸で開催された城戸保(写真家)氏との二人展「ほんとの うえの ツクリゴト」展では、岡崎藩主の後裔である本多忠次が昭和初期に東京都世田谷区に建てた私邸を移築した会場でその場所の思い出を本多家の人たちが語っている映像作品と建物の資料が混在された形で展示されていましたし、昨年(2016年)に兵庫県立美術館で開催された「街の仮縫い、個と歩み」展では、阪神淡路大震災で被災した身体障害者三人への取材映像と人と防災未来センターが所蔵する震災直後に撮影された写真を高橋氏が再撮影して拡大コピーした写真が同じく混在された形で展示されていた。その意味では、この「>Gather - 群れ<」展の出展作品もまた、そうした傾向の延長線上に位置づけることができるでしょう。

 

 《私には、他者の経験に自らの身体を接続することで、自分の未来に起こりうるかもしれない経験を先取りしたいという欲望がある。そしてその欲望に形を与えることで、他者が未来に経験するかもしれない事例を先行する事を望んでいる。たとえそれが失敗の先例であったとしても》(「街の仮縫い、個と歩み」展図録より)――以上で概観した近年の作品について高橋氏はこのように述べています。ここからもわかるように、氏においては「他者」ないし「他者の欲望」が自分自身の作品制作を駆動する重要なファクターとなっている様子なのですが、その際にストレートに「他者」「他者の欲望」に向かうのではなく、独特の迂回を経た上でそうしていることに注目する必要があるでしょう。高橋氏がしばしば用いているのは、取材映像の中でインタビュイーの発言を自分自身のアフレコ音声に差し替えるというものですが(「ほんとの うえの ツクリゴト」展でも「街の仮縫い、個と歩み」展でもそれは効果的に用いられていました)、それは「他者の経験に自らの身体を接続する」ことを映像の中でリテラルに行なうということであり、それによって「自分の未来に起こりうるかもしれない経験を先取りしたいという欲望」「他者が未来に経験するかもしれない事例を先行する事」を仮想的かつ実効的に行なおうとしているわけです。そこから自己/他者という二分法とは違った形で経験や欲望を語り直す道が開かれることになるだろう。だから、映像の中で自己と他者が仮想的かつ実効的に差し替えられるという経験を多用することは、他者の経験を我が物とすることではない。

 

 「>Gather - 群れ<」展に戻りますと、今回の中川氏へのインタビュー映像においては、以上のような方法は用いられていません。映像はあくまでも三脇氏による中川氏へのインタビューの(時間的に多少端折っている部分はあるにせよ)ストレートな記録に終始している。しかしながら、上述してきた高橋氏の映像作品の理路を概観した上で改めて接してみると、映像作品において立ち上がっているのは、自己/他者という二分法とは違った形で経験や欲望を語り直す場であり、それを「中道性」(小冊子所収の三脇氏の文章「Gather - 群れ」より)というそれ自体精神分析的な実践の中で作っていくプロセスであるように、個人的には思うところ。自己も他者も、さらには「群れ」も即自的に存在するのではなく、精神分析的な介入によってはじめて存在する。「群れは、この中道性の中で作られる」(ibid.)。

 

 かかる〈中道性〉を通過することがどのような結果をみることになるか――それが(当方も含めた)観る側の課題となるでしょう。

今道由教展

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今道由教展DM

 西天満にあるOギャラリーeyesで開催中の今道由教展。関西を中心に1990年代から制作活動を続けている今道由教(1967〜)氏ですが、近年は毎年だいたいこの時期(7月下旬)にこのOギャラリーeyesで個展を行なっております。当方は一昨年に初めて氏の作品に接して以来毎年見に行ってまして、個人的に何か気になる美術家の一人だったり。

 

 さて今回出展されていたのは、一枚の大きな紙に切れ込みを入れて折り返すことでランダムに色面を成形していくという平面作品。昨年の個展においてそれまでの作風から超展開するような形で発表され、個人的には大いに瞠目したものですが、今回はその作風をさらに発展させた作品が出展されていました。昨年の個展における出展作では表面と裏面を違った色に塗った上で最小限の介入を施すことで色彩と形態にリズム感を与えていたわけですが、今回の出展作では、そういった手法はそのままに、切れ込みの入れ方や折り返し方が複雑化したり、色面の一部にラメやキラキラシールでデコレーションを施したりしており、昨年の出展作のようなミニマリズム的な緊張感とはまた違った側面からこの作風を試していたと言えるでしょう。

 

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今道由教《無題》(2017)

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今道由教《無題》(2017)

 当方、昨年の個展でかかる作風の作品に初めて接したときには、作風がその前の個展のときの作品と全くといっていいほど変わっていたことに加え、色彩と形態との関係性に対する手つきの巧みさ――そこでは技術の高さや複雑さを誇示することよりも、むしろ完成に至るプロセスの手数をいかに少なくするかという方向にベクトルが向いていた――見せ方のアトラクティヴさに驚くばかりでしたが、今年の個展の作品に接してみると、主に色彩に関して「遊び」の要素がやや前面に出てきたことによって、作られた部分によって構成された形態がリズム感を持って存在していることが昨年以上に前景化していたと見ることができます。上述したように、今道氏の作品は大きな紙に切れ目を入れて折り返すという形で作られているのですが、作られた各部分は個別性を持ちつつも、折れ目や(意図的に残された)折りの甘い部分が容易に見出せることによって、それらがもともと一枚の紙を超展開して作られていることからくる連続性も併せ持つことになるわけです(もし同じものを様々な大きさの紙をコラージュして作っていたら、見え方はかなり変わってしまうだろう)。

 

 このように、今道氏の作品は絵を描く際に支持体として機能する紙に対して直接手を加えるという形で制作されており、実際、氏自身も「支持体そのものが造形に深く関わる作品」「物質の身振りから生じる平面性と立体性が交錯する表現」(プレスリリースより)にフォーカスして制作していることを自認している様子ですが、そこに1960年代末から1970年代初頭にかけてフランスにおいて一時的に大きく盛り上がったムーヴメントである(とされる)シュポール/シュルファスの影響を見出すことは、さほど困難ではないでしょう。絵画を支持体(シュポール)と表面(シュルファス)に両極端に還元し、それらの複合体として絵画を再定義=解体するというのがシュポール/シュルファスの最も基本的な定義ですが、今道氏の場合、ここまで見てきたように、表面よりも支持体自体の持つ平面性と立体性そしてそれら同士の関係性にその関心は明らかに向いているわけで、してみると「シュルファスなきシュポール」と言うべきものへと絵画を編成-変成させようとしていると見ても、あながち的外れではありますまい。

 

 そう言えば、当方が一昨年に接した、現在の作風に超展開する前の今道氏の作品は、大きな紙に二色で太い線がランダムに何本か引かれているというものでしたが、そこでは線は描かれたもの(表面)であるとともに、線同士の交点における絵の具の滲みや垂れといった偶発的なものを隠さないことで、線自体が面としての物質性も持っていることが(これまたプロセスの数の少なさを感じさせることによって)見る側に容易に感得されるような作品となっていました。支持体の上に描かれた表面としての線というより、もう一つの支持体としての面として、つまり二種類の支持体が同じ物質性の上で存在していたわけですね。してみると「シュルファスなきシュポール」という路線は、氏においては昨年突然登場してきたわけではなく、少なくともゼロ年代から形を変えつつ試されてきたものであるとも考えられます(それ以前はどうだったのかは、ちょっと調べがつかなかったのでアレですが)。

 

 いずれにしましても、今道氏の絵画的(それは以上に述べたように、なお絵画なのである)探求がどのような成果を今後もたらすことになるのか、さらに継続して注目していく必要があるのは間違いないでしょう。

A-Lab Artist Gate 2017

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 7月17日まであまらぶアートラボ(尼崎市)で開催されていた「A-Lab Artist Gate 2017」。新人作家の登龍門的な位置づけのグループ展といった趣で開催されてまして、今回は大学や大学院を卒業して間もない人たち(稲垣美侑、井村一登+makership、木原結花、木村友美、榑松夏実、濱口芽、吉野滉太)が選出されていました。

 

 出展作品は絵画やオブジェ、映像、インスタレーションetc.と多岐にわたっており、新人作家の多様な表現を(様々な制約はあれど)一望できる機会となっていたとさしあたっては言えるでしょうが、個人的にはその中でも木原結花女史の《行旅死亡人》シリーズに瞠目しきり。この作品、昔の新聞に掲載されていた身元不明の行き倒れ――作品タイトルの「行旅死亡人」はそのような死者のことを指すそうで――の記事の切り抜きと、そこに書かれている身体的特徴や服装の描写をもとに様々な写真をコラージュして作られたそれっぽい人の写真とを並べて展示するというもので、今回は老若男女12人分制作されていました。個人的には死者、それも「行旅死亡人」という存在をテーマにするという目の付けどころがなかなか良いところをついてるなぁと思うことしきりでしたし(理由は後述)、駄コラ・クソコラであることを割と隠さない画質のコラージュも、古新聞の画質と揃えているように見受けられ、意図的なのかそうでもないのかはともかくとしてこの手の作品としては上手いなぁと思うところ(画質が良かったら違和感が先に立ってしまうでしょうし)。しかも木原女史、大阪芸大出身だそうで、ART OSAKA後の飲み会の席でその事実を聞かされて驚くばかり。かような作品だから京芸か精華大OGとばかり(ry

 

 ――というわけで、自治体が運営しているアートスペースでの、「若手作家をフィーチャーする」という公共事業的性格(?)の強い趣旨のもとで開催された展覧会にほとんどあるまじき不穏さを全開させていたこの《行旅死亡人》シリーズ、個人的には発想や作品の形式という点において、これはむしろ欧米のアートアクティヴィストの活動や作品に近いものがあるなぁ日本人でここに注目する作家って昨今意外と珍しいなぁと思うことしきりでしたが、ここで木原女史が行旅死亡人という存在に着目していることが結果としていかなる射程を含んでいるかに注目することが必要でしょう。上述したように行旅死亡人とは身元不明のまま行き倒れて亡くなった人のことですが、現在の日本でも年間数百人〜数千人単位で存在していると言われている。木原女史がそういう現状とどの程度切り結ぶことを意図してこのような作品をものしたのかは(彼女と実際に会っていない以上)判然としませんが、少なくとも「死」や「死者」の存在を絶対化し、そのことをもって公共性の基礎に据えるというような――レヴィナスあたりの哲学を俗っぽくしたような――態度が排除している何かを明るみに出していることは間違いない。

「拡がる彫刻 熱き男たちによるドローイング」展(第1期)

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7月4日からBBプラザ美術館で始まった「拡がる彫刻  熱き男たちによるドローイング」展は、植松奎二、JUN TAMBA(塚脇淳)、榎忠各氏の近作〜新作を月替わりで個展形式で紹介するというもので、今月は植松氏がフィーチャーされてましたが、巨大な紙に描かれたドローイング数点と、石とスチールワイヤーと鉄パイプによるインスタレーション作品、あとは60年代後半から現在に至るドローイングの小品を回顧展的に並べているというシンプルな構成ながら非常に見応えのあるものとなっていました。

 

植松氏というと、1970年代における、自分自身を被写体として観る側に〈重力〉を感じさせる写真作品が有名ですが、個人的にはその〈重力〉を象徴化しすぎるあまりキッチュでスペイシーな形態の立体やインスタレーションになってしまったという趣の作品にここ数年ギャラリーで接するたびにモシャモシャした気分になってしまうことが多かったもので。そんな視線からしても、今回の出展作は、そういったモノによる象徴化に代えて、「モノと「モノ同士の関係性」を同時に規定する〈重力〉」というインヴィジブルな位相に今一度焦点を当て直し、上述したような最小限のモノの組み合わせによるインスタレーションや描かれた要素の少ないドローイング――そこでは「浮遊する巨石」や「石と構造物が微妙に釣り合っている様子」といった分かりやすいモティーフが巨大な紙に描かれている――によって示すことに全振りしており、氏の表現したいことがこれまでに較べてもはるかにクリアになった印象を観る側に抱かせるようなものとなっています。これが植松氏の最近の作風のゆえなのか、BBプラザ美術館内にいる辣腕の学芸員(←いやいるのかどうか知らんけど)によるスーパーキュレーションの成果ゆえなのかは判然としませんが、展覧会全体で1970年代の写真作品に比肩しうるレベルに達していたと言っても、あながち揚言ではない。

 

《本展覧会は、空間を支持体として、彫刻で描き出すこともドローイングの一種であり、また平面ドローイングも構成によっては、彫刻の一種になりうることを試みるものです》――このステイトメントに端的に表わされているように、「拡がる彫刻」展は会期全体を通して、平面/空間、二次元/三次元といった対とは異なる角度から彫刻を改めて主題化しようという問題意識のもとに企図されており、それは「物質から「物質の様態」への移行」という60年代後半以降に一挙に全面化したモーメント――その代表例が「もの派」あるいは(植松氏も含まれる?)「ポストもの派」である――を、「立体」や「インスタレーション」という語の流行と定着という現象を横目に見つつ再考することでもあると言えるのですが、その際に「ドローイング」という要素を介しているところにこの展覧会の端倪すべからざる着眼点があります。えてしてすぐれた彫刻家は同時にすぐれたドローイング描きでもある(例:ジャコメッティ舟越桂)という事実と、この展覧会が企図し再考しようとしている彫刻概念の拡張とを出会わせる上で、最初に植松氏の個展を持ってきたのは端的に正解であろうと、展覧会を見ながら漫然と思ったのでした。次のJUN TAMBA氏、その次の榎忠氏のも期待しきり。

 

なおこの展覧会に合わせて、会期中何度でも入場できる入場券として缶バッジが発売されておりますので(各氏4種類ずつ計12種類、¥500)、オススメ。

 

「泉茂 ハンサムな絵のつくりかた」展&「泉茂PAINTINGS1971〜93」展

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 関西を代表する画家の一人として長年大阪を拠点に活動してきた泉茂(1922〜95)の画業を回顧する展覧会が和歌山県立近代美術館と大阪市内のYoshimi Arts、the three konohanaで3月26日まで開催されていた。 和歌山県立近代美術館での「泉茂 ハンサムな絵のつくりかた」展では泉の画業全体を通観する形で、Yoshimi Artsとthe three konohanaでの「泉茂 PAINTINGS 1971-93」展では1970年代以後晩年に至るまでの絵画作品(Yoshimi Artsでは1970年代の、the three konohanaでは80年代以降の作品が集中的に展示されていた)が集中的に俎上に乗せられており、三つの会場を回ることで泉の画業を最初期から晩年に至るまで通観できるようになっていたわけで、関西の公立美術館の常設展で一、二点出展されているという形で展示されることが依然として多い――逆に言うと、それ以上の存在として遇されることが地元においても稀であるということでもあるのだが――中にあって、版画のみならず絵画をも含めて見ることができたわけで、きわめて貴重な機会となったように、個人的には思うところ。

 

 1950年代に瑛九(1911〜60)が始めたデモクラート美術協会に参加し、版画家として活動を開始した泉は、同会の解散後渡米。アメリカ〜フランスと滞在して1968年に帰国した後は大阪を拠点に多くの絵画・版画を制作しつつ、大阪芸大の教授として後進――有名なところでは中川佳宣(1957〜)氏や館勝生(1964〜2009)をあげることができるだろう――の育成にもあたるなど、終生にわたって関西の現代美術界隈に大きな影響を与え続けていく。没後20年以上を経て開催された今回のこれらの展覧会では、これまで版画家としての活動の方がクローズアップされることが多いきらいのあった(そのような傾向の近年における重要な達成として、2015年にBBプラザ美術館で開催された「泉茂の版画紀行」展をあげることができる)泉の美術をより立体的に理解するためのヒントに満ちていたと言えるかもしれない。

 

 泉の画業を改めて通観してみると、デモクラート美術協会時代におけるシュルレアリスム象徴主義が入り混じったような物語性の強いエッチング作品から、10年近い海外生活の中で抽象絵画に大胆に舵を切り、特にフランス滞在時代にはドローイングの筆触を改めて絵画として描き直すという作品を手がけるようになる。帰国後はエアブラシを多用しつつ幾何学的に明快なフォルムによる絵画を、さらに1980年代後半から最晩年にかけては雲形定規を用いて描かれた有機的なフォルムが画面上をカラフルに乱舞する絵画を多く手がけるようになるといった具合に、おおむね十年ごとに画風を大胆に変えている。個人的には上記のそれぞれの時期の作品に単独で断片的に接してきたものだから、彼の画業を通観するということ自体がほぼ初めてで、とりわけ最晩年の絵画作品には管見の限り全く接したことがなく、純粋にへぇこういうスタイルでも描いてたんやと思った次第。実際、今回は――特に「泉茂  ハンサムな絵のつくりかた」展において顕著だったのだが――この「作風を時々に応じて大きく変え続けた作家としての泉茂」という側面が強調されていたのだが、重要なのは、泉において画期をなすこれらの転換が、そのランダムで場当たり的な見かけとは異なり、かなりの程度内的な要請に応じてなされたということである。特に「PAINTINGS 1971-93」展の出展作品は、そのような観点から見て分かりやすい作品が集中的にセレクトされていたと見受けられるから、なおさらである。

 

 泉における作風の変容と絵画の内的な変容との関係は、形象・フォルムという要素に焦点を合わせて見てみると分かりやすいかもしれない。上述したように、泉の画風は渡米によって象徴から抽象へ、さらに帰国後は描かれる対象がストロークそれ自体から幾何学的な形象へと変化していくのだが、以上のような過程が、自身の絵画から形象以外の要素を排除する(少なくとも表面的にはそれを志向している)過程であることにさしあたっては注目する必要があるだろう――渡米に際して「何かが何かを表象-代行する」というモーメントを排除し、帰国後は(エアブラシを多用することで)筆で描いた痕跡を画面内から排除する、といった具合に。泉がこのような方向性に向かった背景には、デモクラート美術協会時代に瑛九から「構造」の重要性について諭された経験が大きいと言われているが、瑛九がどのような文脈においていかなる定義のもとに「構造」という言葉を用いたのかについては不明なところが多いものの、泉の絵画を見る限りにおいては、絵画が画面の外部――それは既存の象徴性(や、それをインデックスとして発動する物語性)のみならず、作者自身の存在にも及ぶことになるだろう――との関係において成立している状態は「「構造」がない」状態であり、従って形象をそれ自体として画面内においてのみ成立させることが、泉における「構造」の導入であったとは言えるだろう。帰国後間もない時期から継続的な探求が行なわれた果てに行き着いた80年代前半における、円や三角形が歪みをともないながら描き出され四囲が赤い線で囲われた作品は、瑛九によって与えられた「構造」というキーワードに使嗾されて描かれた泉の絵画の、「構造」それ自体の翻案ぶりも含めた、ひとつの到達点である(が、そこからさらに変化して、有機的な形象とカラフルな色彩自体が主題となった最晩年のスタイルに身を翻すことになるのだが)。

 

 ところで会期中の3月4日には、「泉茂  ハンサムな絵のつくりかた」展の担当学芸員である植野比佐見女史による講演がthe three konohanaで開催されている。講演の具体的な内容についてはこちら( http://www.yoshimiarts.com/exhibition/20170225_Shigeru_Izumi-PAINTINGS_1971-93-add2-170304talk.pdf )を参照されたいが、以上のような「構造」の導入と翻案の過程を、デモクラート美術協会参加以前にまで遡ってさらに細かく見ていくものとなっていた。「構造」の導入による画面の自立という一連の過程が、唐突な飛躍によってではなく、以前から描いてきたモティーフ(鳥など)の酷使と言うべき執拗な使用によってなされてきたことが様々な傍証を積み重ねながら丁寧に論証されていて、個人的には非常に得るものの多い講演だったわけで。

 

 あと、泉と同時代の絵画の諸動向との関係についても一定の知見が披歴されていたことも印象的であった。泉における「構造」の導入と翻案の過程は、アメリカにおける抽象表現主義やフランスにおけるシュポール/シュルファスといったムーヴメントと明らかに並行している――さらに言うと、最晩年の作品は、有機的な形象とカラフルな色彩それ自体が主題となっているだけに、その少し前に欧米を席巻したニューペインティングとの並行性も指摘されうる――のだが、しかし泉の絵画からは、どの時期においてもそういったムーヴメントに完全に含みこまれるのを拒絶するような契機も存在することが同時に指摘されるべきであろう。そこには時間的な非同期性(ニューヨークに着いた頃には抽象表現主義のムーヴメントが収束期にさしかかっていた、とか)以上の要素が存在すると考えられ、そこにこそ泉のハンサムネスがあるのではないか――と書くといささか理に落ち過ぎるきらいがあるのだが、しかし彼のハンサムネスが私たちの想像以上に全方位的なものであった(それは極限まで画面の自立を求める態度と表裏一体ではあるのだが)ことを含めて、改めて考えるべきことは相当多いように思われる。

 

 そういったことも含めて、「「今なおアクチュアルな画家」としての泉茂」への評価の転換を促しているという意味では、非常に真っ当な展覧会であったと言えるだろう。