小川万莉子について

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 西天満にあるOギャラリーeyesでは時折「tourbillon」(フランス語で「渦巻」の意)と題する企画展が開催されています。基本的には若手〜中堅の画家二人展を週替わりで二セットという形式で行なわれていますが、第14弾となる今回、前半として8月22〜27日の日程で開催されていた小川万莉子+寺脇さやか両女史の二人展が、個人的になかなか気になることしきりでした。

 とりわけ小川万莉子(1987〜)女史の作品は、彼女いわく窓からの風景をモティーフにしているとのことでしたが、絵を描く際に自身が抱いた感覚の推移を描くことを主眼としている様子でして、結果として彼女の絵画は単なる風景画ではなく、風景と外在化された自分自身の感覚とがないまぜになった状況ないし心象が描かれたものとして観者の前に現われてくることになる(画像参照)。もちろん、かかる態度自体は、セザンヌ以降現在に至る絵画という営みの中においてはむしろありふれてはいるのですが、小川女史の場合、そこに絵具ないしメディウムの物質性という位相が効果的に差し挟まれていることに注目すべきでしょう。

 メディウムの物質性は、今回の出展作においては、薄く塗られたり線的な描写が導入されているところと厚く塗られたところとが、遠景が厚く塗られたり近景が薄く塗られたりしているという形で画面内における遠近法と異なる遠近法をなしていたり、あるいは観る側に「窓」を連想させるようなストロークが描かれつつ、それが「窓の外の風景」にも同時になっている――そもそも「窓」めいたストロークと「窓の外の風景」めいたストロークとは、画面の中において固定的な関係を取り結んではいない――といったところに、如実に現われていました。「メディウムの物質性」を恃みにした作品というと、1950年代〜60年代におけるアクションペインティングが思い出されるところですが、それが遠近法による空間を破壊する方向性を取っていったことと較べると、彼女の作品は違った方向性を志向している。風景による空気遠近法と絵具の濃淡によってなんとなく形づくられる遠近法とが打ち消し合う形になっているわけです。そういったところに小川女史の、メディウムの物質性に対する考察の巧みさがよく現われていると考えられます。

 ところでもう一人の出展者であった寺脇さやか女史の作品は、言ってしまえばゲルハルト・リヒターの《抽象絵画》シリーズとサイ・トゥオンブリの線画作品を容易に連想させるような画面の中に具象的なモティーフが浮かび上がっているといった趣の作品でしたが、参照先(?)の選択や、メディウムの物質性と具象的モティーフへの目配せと折衷の仕方の巧みさにおいて、現在の絵画におけるベンチマーク的な作品ではあるなぁと、観る側に思わせることしきりな作品でした。

加藤巧「ARRAY」展

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 the three konohanaで開催中の加藤巧「ARRAY」展。主に海外でアーティスト・イン・レジデンスなどの活動を続け、昨年のはならぁとではメイン会場の一つだった今井町奈良県橿原市)でキュレーターも担当するなど、近年は日本国内でも活動の機会を増しつつある加藤巧(1984~)氏の、関西では初めてとなる個展です。

 

 加藤氏が表現手段として主に用いているのは、(中世ヨーロッパにおいてポピュラーな技法だった)テンペラ画とのことで、今回は新作のテンペラ画が十数点ほど出展されていました。具体的な制作過程についてはギャラリーのHP上で紹介されているので詳細はそちら( http://thethree.net/exhibitions/3613 )に譲りますが、いずれも自ら水彩ドローイングを描いた上でそれを模写する形でテンペラ画に置き換えていくという形で描かれているそうで、元となるドローイングは展示されていなかったものの、作風的には置き換えの妙味を観ていくという趣で統一されていました。よく知られているように、テンペラ画とは顔料を何か(卵黄を使うのが最もポピュラーだという)で接着して支持体(石膏)の上に乗せていくという手法ですが、現代の絵の具と違ってワンストロークで描くことができずすぐに乾いてしまうため、少しづつ色を置いていくような描き方にならざるを得ないという。かような、現在普通に使われている絵の具を用いることでは出てこない種類の不自由さを厭わず描くことによって、絵画に対して間接的・分析的な姿勢が前面に押し出されていたわけで、その意味で加藤氏の作品は、少なくとも出展作を見る限りにおいては、絵画というもの/行為自体に対する反省的態度から出発していることが観る側にも容易に感得できるようなものとなっていたと言えるでしょう。「ARRAY」(配置・配列)という展覧会タイトルは、――展示区間自体も作品の配置・配列にかなりこだわりを持ってしつらえられていたこととあわせて――確かに言い得て妙である。

 

 管見の限りにおいて、かかる「絵画というもの/行為自体に対する反省的態度」が最も先鋭的に立ち現われていたのが、「色彩」についてでした。実際、出展作を見てみると、ドローイングの段階ではワンストロークで描かれたであろう描線や色面が――(複数の)色彩の微妙なグラデーションの変化をともないながら――たどたどしく置かれた色の集積として描き直されていた。ここで加藤氏が試みているのは、先に触れたテンペラ画の制作過程と併せて見てみると、色彩を色彩としてという以上に存在として取り扱うという態度で絵を描くということであり、さらに言うなら絵画を構成要素や素材といった諸存在が並列されたモノとして扱うことである。絵を描くことは、そこでは諸存在をしかるべき形に再配列することと同じことになる――氏は「方程式」と言ってましたが、絵画を(マルクス風に言うと)下部構造において、あるいは下部構造として扱うことが、ここできわめてラディカルな形で行なわれているわけです。「存在は意識を規定する」。

 

 ところで7月10日には、国立国際美術館で研究員をしている(加藤氏とほぼ同年代の)福元崇志氏を招いてトークセッションが行なわれていました。福元氏が加藤氏の作品について様々な角度から訊ねたり解釈したりするという形でおよそ90分間にわたって展開されたこのトークセッションにおいて、やはり集中的に話題になっていたのは上述したような加藤氏の制作態度であった――トークにおいては、それは加藤氏自身によって〈描き〉という言葉によって改めて定位されていました。〈描き〉とは、絵画における「何かを描く」という行為から「何かを」が差し引かれている状態ないしそういう状態をもたらす前-行為として提示されていた(少なくとも当方はそう受け取りました)わけですが、この、目的語を欠いているがゆえに座りの悪さを聞く側に与え、さらには発話者の行為が何がしかの不安定感や手探りでやっている感をも想起させるような動詞・動名詞の周囲をぐるぐる回るような趣でトーク全体が進行していたと言っても、あながち揚言ではないでしょう。

 

 そんな〈描き〉という言葉のクリティカルさは、なぜ自作のドローイングをモティーフにしているのかという福元氏からの質問に始まる問答において、最も如実に現われていた。加藤氏いわく、それは他のモティーフだと対象を描くことの巧拙という他の評価基準が入りこんでしまうからだと返答してまして、〈描き〉が行為を通した/行為による分析や観察という側面を持っている以上、それらにのみ集中する上で自作のモティーフを用いることは不可欠だった、という。氏は他の評価基準が入りこんでしまうことを「逃げ場ができてしまう」と表現していましたが、それは〈描き〉という行為について考える上で、示唆的です。

 

 以上のようなやり取りを通して、福元氏は〈描き〉について自己言及的な作業であると言い、一方それに対してフロアから、それは自己言及というより現象学における基本的な態度としてのエポケー(判断停止)と言った方がより相応しいのではないかと応答があったりと、このあたりについては対談者/フロア関係なく白熱した議論が(いささかイレギュラーに)交わされていました。〈描き〉が、絵画に対する自意識のループとしての自己言及に由来するものなのか、そうしたループ構造が発動する手前に措定されるエポケーに由来するものなのかについてはにわかには即断できませんが、おそらくどちらの要素もそれなりに含みこんでいるとは言えるかもしれません。とは言え、ここでそういった問い以上に重要なのは、どちらを採るにしても不可避的に浮かび上がってくるであろう独在論的なニュアンスを〈描き〉は払拭しえているということではないかとということです。言い換えるなら、かかる自己内省的なプロセスと重なりつつも、〈描き〉はそこに他性=「モノ」の位相を導入することに成功しているのではないか。加藤氏は大学時代彫刻科に在籍していたそうで、それは「周りに「そこにモノがある」という環境で絵画を試したかった」という動機からだったという。

 

 いずれにしましても、福元氏とのトークセッションは、言うなればこれからの「モノ」の話をしようという態度で一貫していたわけで、それは絵画についての論議が昔も今もそのイリュージョン性をめぐってなされてきたことと好一対となっていたと言えるでしょう。それは絵画をめぐる議論に新たな豊穣さを与えることになったのではないでしょうか。加藤氏の「「モノ」としての絵画」をめぐる探究は始まったばかりである。

「to be 様々なる意匠 or not to be 様々なる意匠」展

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 伊丹市にある創治朗( http://gallerysojiro.wix.com/sojiro )で6月18日〜7月10日の日程で開催されている「to be 様々なる意匠 or not to be 様々なる意匠」展。現在地にギャラリーとしてオープンして以来一周年になるそうで、それを記念して企画されているとのことです。

 

※出展作家: 西ノ田、海野由佳、中山いくみ、竹村寬来、大槻香奈、松井コーヘー、大澤悠、イセ川ヤスタカ、仲順れい、潤inoue.、萩岡美知子、藤村幹、升田学、石野平四郎、神野翼


 昨年夏に西ノ田氏の個展(「ラビラント・キューティカ」展)でこけら落としを迎えて以降、意欲的な企画を次々と繰り出している創治朗ですが、今回は同所で個展を開催したことのある作家を中心にしつつ、関わりの深い作家たちにも声をかけたとのことで、ギャラリー内には総勢15名の作品が小品を中心に並んでいました。出展作の多くは絵画ですが、作風の傾向はかなりバラバラで、そこに共通点を見出すことは、不可能ではないにしてもかなり難しい。絵画に限って瞥見してみても、うねるようなストロークの絡まりとして女性の裸体を描いた海野由佳女史、切り絵を出展していた仲順れい女史、複数の風景をレイヤーを重ねるようにして描いた中山いくみ女史、プラモの箱イラストのようなテイストで旧日本軍の航空機を描いたイセ川ヤスタカ氏、嶋本昭三(1928〜2013)の弟子という経歴ながら今回マンガを出展した神野翼氏……――といった具合でしたから、これはもう。

 

 ――以上のように、この「to be 様々なる意匠 or not to be 様々なる意匠」展は、作風も出自も相当に異なる人たちが集められた雑多な展覧会という印象を観る側に真っ先に抱かせるような形で構成されていたわけですが、しかし一方でこの雑多さというのが、先に述べたような人脈的な理由とはまた違った水準で理由づけられ、また価値づけられていることに注目しておく必要があると言わなければなりません。

 

 それは「to be 様々なる意匠 or not to be 様々なる意匠」という展覧会タイトルに最も如実に現われている。一見して即座に分かるように、このタイトルはシェイクスピアハムレット』の名セリフ「to be or not to be」と小林秀雄出世作となった論文「様々なる意匠」を混ぜたものですが、かようなタイトルを冠することによって〈様々なる意匠〉自体の是非が争点となっていることが、たちどころに見出されるでしょう。それは《「様々なる意匠(=単なるさまざまなデザインが見かけの多様性としてあるだけ)」であってよいのか。またはそうでなくあるべきか。ここには切実な問いがあります》《今やわたしたちは他者との対話や連帯を奇跡のように望むしかなく、わたしたちにとって最も濃密に感じることができるものこそは他ならぬ何も掴めない「空虚」であるということ。このような困難を経ない限り、作品は生まれえないということ。そうした状況に展望をもたらす術はあるのかという視点からこの題名が着想されました》といった二見正大(創治朗ディレクター)氏のステイトメントにも、如実に現われています。言い換えるなら、この展覧会における出展作品の雑多さは、現在の日本における、いわゆる“現代アート”(に限った話ではないのですが)を主導しているモードとして〈様々なる意匠〉が(良くも悪くも)あることを示すために半ば以上戦略的に選択されたものである。そしてその上で〈様々なる意匠〉が示している「単なるさまざまなデザインが見かけの多様性としてあるだけ」という状況にいかにクサビを打ちこむか、あるいはそもそもそれは可能なのかが、ここで問われることになります。

 

 このように、現在における〈様々なる意匠〉をめぐる考察、というか苛立ちのようなものが原動力となっていると見てもあながち的外れとは言えなさそうなこの「to be 様々なる意匠 or not to be 様々なる意匠」展ですが、それでは、この言葉の出典元となった小林秀雄の「様々なる意匠」において、「単なるさまざまなデザインが見かけの多様性としてあるだけ」という状況」はいかに応接されているか。この点を念頭に置きながら読んでみたとき、――後世の文芸評論家たちによって様々に言及されてきた――冒頭部以上に、以下のように書かれた末尾の部分の方が重要になってきます。

 

 私は今日日本文壇のさまざまな意匠の、少なくとも重要とみえるものの間は、散歩したと信ずる。私は、何物かを求めようとしてこれらの意匠を軽蔑しようとしたのでは決してない。ただ一つの意匠をあまり信用し過ぎないために、むしろあらゆる意匠を信用しようと努めたに過ぎない。(小林秀雄「様々なる意匠」(引用に際しては『小林秀雄初期文芸論集』(岩波文庫、1980)を底本とした))

 

 「ただ一つの意匠をあまり信用し過ぎないために、むしろあらゆる意匠を信用しようと努めたに過ぎない」――「様々なる意匠」において「意匠」とは当時の文壇において並立していた潮流のことでしたが、それらに対する小林の態度は、以上のような彼自身の言葉によって要約されています。ここは小林秀雄について論じる場ではないのでアレですが、「ただ一つの意匠をあまり信用し過ぎないために」「あらゆる意匠を信用しようと努め」るという態度は、〈様々なる意匠〉の全てに価値を見出し、それらが共存している状態として見ることであると言えるでしょう。

 

 ところで、こういった小林の「様々なる意匠」に対して、加藤周一(1919〜2008)の〈雑種〉概念を置いてみることができます。加藤はフランス留学の最中から直後にかけて「日本文化の雑種性」を皮切りに次々と〈雑種〉概念に関する論考を執筆し、帰国後の1956年に『雑種文化』を刊行する。日本の文化の基底にあるのは他の様々な文化や文物を受け入れて作り変えていく〈雑種〉性にある(逆に「純粋な日本文化」を歴史から取り出そうとする試みはことごとく失敗することになる)という彼の議論は、今日ではある種当たり前のものとなっていると言えますが、しかし〈雑種〉という概念には、例えば多文化主義などに見られるような複数の文化がそれぞれ並存しているような状況を理想化するというものとは全く異なるラディカルさがあるのではないか――以下の文章で廣瀬純氏が指摘していることは、非常に重要なものがあります。

 

 加藤が唱えた「雑種」とは、互いに異なるかたちでコード化された複数の「特別なリンゴ」の共存のことではないのだ。そうではなく、すべての事物を脱コード化の運動のなかに巻き込む「スープ」、すべての事物が一様に「普通のリンゴ」としてあるようなディストピアとしての「スープ」こそが、加藤のいう「雑種」すなわちハイブリッドなのである。(廣瀬純ディストピアの潜勢力」(『現代思想』2009年7月臨時増刊号所収))

 

 ――長い寄り道になってしまいましたが、〈様々なる意匠〉をめぐる現在について考える際に、加藤の〈雑種〉概念の持つ射程も測りつつ考え直していくことが重要なのかもしれません。それはこの「to be 様々なる意匠 or not to be 様々なる意匠」展について考える際にも同様である。最終日の7月10日にはディレクターの二見氏と京都を中心に評論や企画を行なっている黒嵜想氏、カオス*ラウンジの中心メンバーの一人である黒瀬陽平氏によるトークショーが予定されていますが、そこにおいても〈様々なる意匠〉がどのように俎上に乗せられることになるか、興味深いところです。

 

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  • 迎英里子について

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     ところで、当方が今年1月から6月末までの上半期に見に行った展覧会の数は美術館・画廊・オルタナティヴスペースetc合わせて283でしたが、その中でもベストというわけではないにしても、個人的に最も目からウロコが落ちたのが、寺町三条にあるGallery PARCで3月26日から4月10日にかけて開催されていた迎英里子「アプローチ2[石油]」展でした。迎英里子(1990〜)女史は京都市立芸術大学で彫刻を専攻し、昨年大学院を修了したとのことで、この「アプローチ2[石油]」展は彼女の二度目の個展となります。

     さておきこの「アプローチ2[石油]」展、どのような展覧会だったのかというと、角材やビニールシート、発泡スチロール製のボール、網などを材料にしてギャラリー内に謎インスタレーション(画像参照)を作り、毎週末にそこで迎女史本人によるパフォーマンスが行なわれるというものでした。パフォーマンスの内容は至ってシンプルでして、この謎インスタレーションの中で彼女自身がいろいろモソモソしたり、発泡スチロール製ボールをいくつも転がしたり網の中に投げ入れたりしていくというもの。で、それが10分ほど続き、いったいこれのどこがどう「石油」なのだろうかと観る側が訝り始めたとき、おもむろに紙とマジックを取り出し、ギャラリーの片隅で何か書いて謎インスタレーションの各部に貼りつけていく。網には「堆積盆地」や「帽岩」、ビニールシートには「土」、発泡スチロール製ボールには「石油」といった具合に名称を記した紙が貼りつけられていき、それによって、一連のパフォーマンスは実は石油が地中にできていく地質学的過程を彼女自身が身体を張って実演してみせていたことが、そして謎インスタレーションはその過程を説明するために抽象化された地質のモジュールだったことが明かされる、という…… なるほどこれは確かに「石油」としか言いようがないと納得することしか、もはやできないのでした。

     ――迎女史はそのキャリアのほぼ最初からこのような、実際に行なわれている過程を抽象的にモデル化したモジュールを制作していましたが、近年ではモジュールの中で自らパフォーマンスを行なう作品を手掛けるようになってきています。そこでは、例えば肉牛の屠殺-解体作業(《食肉の流通経路》 https://youtu.be/7ylOlc8WjEg (2014))や、あるいは植物の開花(《細胞の数の増加による開花》 https://youtu.be/DxqNqjijivs (2013))といった、それが人間の社会的営みであるか人間の介在しない自然現象であるかを問わず俎上に乗せられて再演されることになる。かような具合に、現象を翻訳し再提示することがこれらの作品のキモとなっているわけですが、それらは単に再現の精度の高さ/低さを誇示するためになされているわけではなく、モジュールとパフォーマンスを通して、私たちが(よほどのことがない限り)経験できないことを可視化することに重きが置かれていると、さしあたっては言えるでしょう。

     ただしここで大急ぎでつけ加えなければならないのは、以上の一連の流れは、経験できない=「わからない」ことをモジュールとパフォーマンスを通して「わかる」ようにするためのものではないということである。迎女史自身の言葉を借りると、この一連の流れが目指しているのは、《新しく作られたシステムは一見すると何をしているのか、意味がある行為なのかどうかわからない。しかし行われている動作を感覚的にトレースできるため、完全な思考の放棄はされない。観客は宙ぶらりんの状態で、直接的な説明のないまま想像を巡らせます》(←本展ステイトメントより)であり、それは言い換えるなら、「わからない」ことを「わかる」ようにするのではなく、「完全にわからない状態ではない」ようにすることであると言うべきでしょう。「わからない」と「わかる」との間には無限の「完全にわからない状態ではない」状態がグラデーション状に存在する、というのが、これらの作品と行為における彼女の基本的な認識である。本当に「わからない」状態ってとりあえず検索すれば最低限の知識が得られる現在においては存在しないのではないかという(Gallery PARCのディレクター氏を交えて三人で歓談した折の)迎女史の発言は、いろいろ示唆的です。

     このように、現象をモジュールとプロセスの複合体として取り出し、それをパフォーマンスによってトレースすることで、対象を「わからない」ことから「完全にわからない状態ではない」ことへと置き換え、(それが通常の意味とはかなり異なるにしても)「理解」に近づくことができる――かような認識に立つとき、そこで前景化されることになるのが〈身体〉であることは必然でしょう。一連のパフォーマンスは、現象を理解するために「身体がそう受け取る限りにおいての現象」に置き換えることであるわけですから。しかしその一方で、今回の「アプローチ2[石油]」展においては、パフォーマンスのもととなる石油の地質学的な生成過程が数億~数十億年にわたるプロセスであり、それをたった10分前後のパフォーマンスにしてしまうことで、これまでの同系統の作品のような、現象をモジュールとプロセスの複合体=複合的なイメージの集合体に置き換える手つきの妙を見せること以上に、空間的・時間的な超圧縮も見せるという要素が前面に押し出されており、そのことによって人間的・身体的なスケール感をもどこかで突き抜けたものとして提示されているわけで、単純に現象を身体的な実感に縮減することとも異なるモーメントを――迎女史の意図に反してでも――見出すことが重要なのかもしれません。そう言えば迎女史は、80年代~90年代初頭に、彫刻を「物質」から「身体がそう受け取る限りでのイメージ」の美術と置き換え、その意味拡張を敢行することで日本の現代美術において特異な存在となった中原浩大(1961~)氏のゼミで学んでいたのでした。

    迎英里子について

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     ところで、当方が今年1月から6月末までの上半期に見に行った展覧会の数は美術館・画廊・オルタナティヴスペースetc合わせて283でしたが、その中でもベストというわけではないにしても、個人的に最も目からウロコが落ちたのが、寺町三条にあるGallery PARCで3月26日から4月10日にかけて開催されていた迎英里子「アプローチ2[石油]」展でした。迎英里子(1990〜)女史は京都市立芸術大学で彫刻を専攻し、昨年大学院を修了したとのことで、この「アプローチ2[石油]」展は彼女の二度目の個展となります。

     さておきこの「アプローチ2[石油]」展、どのような展覧会だったのかというと、角材やビニールシート、発泡スチロール製のボール、網などを材料にしてギャラリー内に謎インスタレーション(画像参照)を作り、毎週末にそこで迎女史本人によるパフォーマンスが行なわれるというものでした。パフォーマンスの内容は至ってシンプルでして、この謎インスタレーションの中で彼女自身がいろいろモソモソしたり、発泡スチロール製ボールをいくつも転がしたり網の中に投げ入れたりしていくというもの。で、それが10分ほど続き、いったいこれのどこがどう「石油」なのだろうかと観る側が訝り始めたとき、おもむろに紙とマジックを取り出し、ギャラリーの片隅で何か書いて謎インスタレーションの各部に貼りつけていく。網には「堆積盆地」や「帽岩」、ビニールシートには「土」、発泡スチロール製ボールには「石油」といった具合に名称を記した紙が貼りつけられていき、それによって、一連のパフォーマンスは実は石油が地中にできていく地質学的過程を彼女自身が身体を張って実演してみせていたことが、そして謎インスタレーションはその過程を説明するために抽象化された地質のモジュールだったことが明かされる、という…… なるほどこれは確かに「石油」としか言いようがないと納得することしか、もはやできないのでした。

     ――迎女史はそのキャリアのほぼ最初からこのような、実際に行なわれている過程を抽象的にモデル化したモジュールを制作していましたが、近年ではモジュールの中で自らパフォーマンスを行なう作品を手掛けるようになってきています。そこでは、例えば肉牛の屠殺-解体作業(《食肉の流通経路》 https://youtu.be/7ylOlc8WjEg (2014))や、あるいは植物の開花(《細胞の数の増加による開花》 https://youtu.be/DxqNqjijivs (2013))といった、それが人間の社会的営みであるか人間の介在しない自然現象であるかを問わず俎上に乗せられて再演されることになる。かような具合に、現象を翻訳し再提示することがこれらの作品のキモとなっているわけですが、それらは単に再現の精度の高さ/低さを誇示するためになされているわけではなく、モジュールとパフォーマンスを通して、私たちが(よほどのことがない限り)経験できないことを可視化することに重きが置かれていると、さしあたっては言えるでしょう。

     ただしここで大急ぎでつけ加えなければならないのは、以上の一連の流れは、経験できない=「わからない」ことをモジュールとパフォーマンスを通して「わかる」ようにするためのものではないということである。迎女史自身の言葉を借りると、この一連の流れが目指しているのは、《新しく作られたシステムは一見すると何をしているのか、意味がある行為なのかどうかわからない。しかし行われている動作を感覚的にトレースできるため、完全な思考の放棄はされない。観客は宙ぶらりんの状態で、直接的な説明のないまま想像を巡らせます》(←本展ステイトメントより)であり、それは言い換えるなら、「わからない」ことを「わかる」ようにするのではなく、「完全にわからない状態ではない」ようにすることであると言うべきでしょう。「わからない」と「わかる」との間には無限の「完全にわからない状態ではない」状態がグラデーション状に存在する、というのが、これらの作品と行為における彼女の基本的な認識である。本当に「わからない」状態ってとりあえず検索すれば最低限の知識が得られる現在においては存在しないのではないかという(Gallery PARCのディレクター氏を交えて三人で歓談した折の)迎女史の発言は、いろいろ示唆的です。

     このように、現象をモジュールとプロセスの複合体として取り出し、それをパフォーマンスによってトレースすることで、対象を「わからない」ことから「完全にわからない状態ではない」ことへと置き換え、(それが通常の意味とはかなり異なるにしても)「理解」に近づくことができる――かような認識に立つとき、そこで前景化されることになるのが〈身体〉であることは必然でしょう。一連のパフォーマンスは、現象を理解するために「身体がそう受け取る限りにおいての現象」に置き換えることであるわけですから。しかしその一方で、今回の「アプローチ2[石油]」展においては、パフォーマンスのもととなる石油の地質学的な生成過程が数億~数十億年にわたるプロセスであり、それをたった10分前後のパフォーマンスにしてしまうことで、これまでの同系統の作品のような、現象をモジュールとプロセスの複合体=複合的なイメージの集合体に置き換える手つきの妙を見せること以上に、空間的・時間的な超圧縮も見せるという要素が前面に押し出されており、そのことによって人間的・身体的なスケール感をもどこかで突き抜けたものとして提示されているわけで、単純に現象を身体的な実感に縮減することとも異なるモーメントを――迎女史の意図に反してでも――見出すことが重要なのかもしれません。そう言えば迎女史は、80年代~90年代初頭に、彫刻を「物質」から「身体がそう受け取る限りでのイメージ」の美術と置き換え、その意味拡張を敢行することで日本の現代美術において特異な存在となった中原浩大(1961~)氏のゼミで学んでいたのでした。

    井上裕加里の新作-近作について

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     過日、京都嵯峨芸術大学で開催されていた「韓日藝術通信」展(6.17~29 出展作家は下記)を見に行きましたが、日本側・韓国側ともども適度にモダンアート的な、あるいは適度にポリティカル(・コレクトネス的)な作品が多く並んでいた中、井上裕加里(1991~)女史の新作《ヘイトスピーチ》が出展作の中でも飛び抜けて問題作でした。たいていの場合、日本人作家と韓国人作家によるこの手のアンソロジー展においては、韓国人作家の「政治的なアレコレをダイレクトに主題とした作品」と日本人作家の「“非政治的な相貌のもとに展開される政治”が遂行的に露出している作品」とが――双方がそのことに意識的かどうかは措くとして――表裏一体をなしているものですが、この《ヘイトスピーチ》は、俎上にあげている政治や社会問題の直接性はもちろんのこと、作品自体が遂行的に予感させ展開させている政治性においても、そのようなありきたりな図式自体を破壊しかねないものがあったと言わなければならず、見ていて震撼しきり。

     

     近年の、ポピュリズムやショーヴィニズムの高まりを背景にした日韓関係の悪化にともない、主にネトウヨと俗称・蔑称される人々によって韓国政府や在日韓国人への差別的言動をともなったデモが頻発するようになり、つい最近ヘイトスピーチ対策法が成立したものの依然として問題は絶えていない――という一連の流れについてはここで改めて触れるまでもないでしょう。で、《ヘイトスピーチ》は、二分割された画面の片側で井上女史が日本における反韓デモで発せられたシュプレヒコールを日本語で再演し、もう片側で向かい合うようにして韓国における反日デモで発せられたシュプレヒコールを韓国語で再演するという10分間の映像作品となっています。ちょうど井上女史の一人二役で双方のデモの再演がコール&レスポンスしているようにしつらえられているわけですね。井上女史には二人の子供がそれぞれ日本語と韓国語で同じ童謡を歌いながら砂場で陣取り合戦に興じる様子を映した作品(《It’s a small world.》)がありますが、今回の《ヘイトスピーチ》は、映像の構成や日韓関係というトピックを俎上に乗せているという点において、その作品を発展的に継承させたものであると言えるでしょう。かような《ヘイトスピーチ》や《It’s a small world.》の他にも、井上女史には、「蛍の光」を日本、韓国、台湾の人がそれぞれに歌い継がれている歌詞で歌ったのを映した作品(《Auld Lang Syne》)や、ギャラリーの床に描かれた東アジアの地図上に黒船来航直前から現在に至るまでの日本の領土(や占領地)の変遷を描き加えたり消したりしていく作品、第二次大戦中毒ガスの研究製造が行なわれ現在はウサギが多く生息していることで観光地化している大久野島広島県)に自らバニーガール姿で乗りこんで往時の痕跡を様々に掘り起こしていくのを記録した作品(《Secret Information》)など、日本の近現代史を東アジアとの関係性の中に置き直して俎上に乗せ直す作品が多い。その際に真正面からというより搦め手から遊戯的に取り上げて作品化しているところに彼女の持ち味があるわけですが、そうして制作された作品は、その遊戯的な部分も含みこむという制作態度と合わせて、遂行的にある政治的な位相を開示していることに注目する必要があります――個々の争点や論点に対して一方の側に立つということとは違った位相における〈政治〉が(そして現代美術とは、この〈政治〉の位相に対してこそ介入するものではなかったか)。

     

     「答えは目の前にあり、見えていないのは問いである」――井上女史は自らの制作について、しばしばこのように述べています。かかる発言から、彼女の制作活動はその「問い」を可視化することで一貫していると考えられますが、それが日本の近現代史、とりわけ「戦後日本」と雑駁に呼ばれる時空間に対して向けられるとき、自身が知ってか知らずか、かつて(「68年革命」の一局面である)全共闘運動においてスローガン化されていたという「戦後民主主義批判」を回帰させているように、個人的には思うところ。

     

     この「戦後民主主義批判」、「戦後民主主義」を「批判」すると短絡されて、今日では(あるいは今日でも)この言葉からは改憲再軍備などなどといった右翼的な主張が連想されるところかもしれませんが、当時の「戦後民主主義批判」はいささかニュアンスが違っていたようでして、そのような左右対立を戦後民主主義左派と戦後民主主義右派の差異とみなした上で、その双方を、あるいは双方が無意識に立脚している基盤をこそ批判するものであった(少なくとも、その可能性があった)。スガ秀実氏はこの「戦後民主主義批判」を、――当事者たちの主観においてはどうあれ――戦後民主主義自体が新たな「戦時体制」にほかならないという認識から出てきたものと整理していますが(スガ秀実『革命的な、あまりに革命的な』(作品社、2003))、とするとそれは日本一国に限った話ではないわけで、このような認識はとりわけ日韓関係(あるいは日本と韓国の界面と言うべきでしょうか)において最も先鋭的な形で露呈することになるでしょう。今回の《ヘイトスピーチ》をはじめ、井上女史が日韓関係や日本と東アジアの関係をお題にするとき、合わせ鏡的な印象を観る側に与えるような手法を採用するのも、このゆえであるのかもしれません。それは趣味の問題である以上に〈政治〉の問題=「問い」の問題なのである。

     

     依然として「戦後民主主義」の枠内にとどまっているアーティストや展覧会が多い――そのこと自体は(改憲が現実的な過程に乗りつつある現在)仕方ない側面が大いにあるとしても――中で、彼女の姿勢は貴重であると言えるでしょう。

     

     韓日藝術通信@京都嵯峨芸術大学

    ※出展作家(日本側):河村啓生、宮岡俊夫、中屋敷智生、宇野和幸、入佐美南子、寺岡海、三輪田めぐみ、倉山裕昭、井上裕加里、山本直樹
    ※出展作家(韓国側):Park Jin-Myung、Park Young-Hak、Choi Boo-Yun、Yun Duk-Su、Lee Woo、Choi Min-Gun、Kwon Soon-Uk、Choi Kyu-Rak、Kim Ki-Hwan、Kim Ki-Young
    ※主催:藝術文化同人Saem
    ※後援:韓国文化芸術委員会、Chunbuk Cultural Foundation

    上出惠悟「熊居樹孔」展

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     Yoshimi Artsで6.18~7.10の日程で開催の上出惠悟「熊居樹孔[ゆうきょじゅこう]」展。九谷焼の窯元である上出長右衛門窯の後継者として、九谷焼をベースにしつつも狭義の工芸にとどまらないコンセプチュアルで知的な想像力を豊かにたたえた作品を多くものしている上出氏ですが、今回は、昨年突如主題として導入されたという「熊」をフィーチャーした個展となっています。

     

     もともと近代以前の日本美術で熊が描かれたものが(その生息範囲の広さや人間の生活圏との近さに比べて)皆無に近いのはなぜなのかという疑問から熊への関心を強めていったという上出氏。そこから日本の昔ながらの民俗や山岳信仰について造詣を深め、作陶にフィードバックしていったといいますが、実際の出展作は以上のような過程や遍歴からイメージされるような泥臭さや民藝感が押し付けがましく露出したようなものとは限りなく違ったものとなっており、そこは個人的にきわめてポイント高。

     

     九谷焼の歴史に裏打ちされた歴史性を縦軸(時間軸)に、陶芸という行為や作品の持つトランスナショナリティや同時代性を横軸(空間軸)にした上で、双方の交点を陶磁器によって再演・再提示(representation)するところに上出氏の作品の魅力があるわけですが、熊やその周辺の民俗的な諸相(山岳信仰や異界観など)を新たな縦軸として提示した今回の出展作は、どの作品も熊と人間との接点に陶芸を置いて再演するというコンセプチュアルなロジックによって貫徹されており(個人的には熊の手をモティーフにした作品がなかなか良かったです)、それが今後どのような展開を見せていくことになるのか、目が離せないところです。