「無人島にて 「80年代」の彫刻/立体/インスタレーション」展


Galerie Aube

 ここ数年、海外での「具体」や「もの派」の人気もあって、戦後日本の美術の動向が回顧される機会がとみに増えてきているが、そんな中でも、(「もの派」がムーヴメントとして一段落したとされる)1970年代後半から、(村上隆氏や奈良美智氏が注目を集めはじめる)90年代半ば頃にかけての時期は、それ以前や以後に較べて回顧や検証の機会がかなり少なく、また言及されるにしてもきわめて通り一遍に済まされるばかりという意味でも、一種のエアポケットと化している感がある。9月26日〜10月19日の日程で、京都造形芸術大学内のギャラリースペースであるギャルリ・オーブで開催されている「無人島にて 「80年代」の彫刻/立体/インスタレーション」展は、このエアポケット状態の80年代に、とりわけ関西を本拠地として活動している/いた一群の作家たちの仕事を彫刻、立体、インスタレーションに絞って焦点を当てる試みである。

◯今回の出展作家
上前智祐(1920〜)、福岡道雄(1936〜)、殿敷侃(1942〜92)、宮﨑豊治(1946〜)、椎原保(1952〜)、笹岡敬(1956〜)、八木正(1956〜83)

 《「80年代」は「ポストモダニズム」の時代であったと言われる。そこでは、インスタレーションの氾濫と彫刻の復権が同時に語られ、物語が、イメージが、ニューウェーブが席巻する「七〇年代から八〇年代へのドラスティックな転換」があったとされる》(同展キュレーターの長谷川新氏によるステイトメント「無人島にて――「80年代」の彫刻/立体/インスタレーション」より)――近年、その機会自体がまだまだ少ないにしても、ことに関西では80年代の現代美術界の状況について語られる際には、上で言及されているような諸キーワード(「インスタレーション」「物語」「イメージ」「ニューウェーブ」)が特権的に語られることが多いが、二人の物故者を含み、最も若い笹岡敬氏でも60歳近いという今回の出展作家のラインナップは、それだけで既にかかる「80年代」の状況論に対する批評として意図され、また機能していると言えるだろう。例えば出展作家中最年長の上前智祐氏はこの頃には(自身創立当初からのメンバーだった)具体美術協会も解散して久しかったし、福岡道雄氏は60年代にバルーン型オブジェによって注目を浴びてこの時期には高名な存在であったし、あるいは笹岡氏は1977年に「狂転体」というグループを結成して既に活動を開始していた。いずれにせよ、1960年前後に生まれて80年代初頭に美大生であり、ほどなくして作家としてデビューしていく世代――彼ら/彼女らは後年「関西ニューウェーブ」と呼ばれ、80年代の関西の現代美術界について語られる際に特権的な繋留点として参照されることになるだろう――に先行する様々な世代のこの時期の仕事から「80年代」を見直すことが、この展覧会では意図されているのである。

 彫刻というジャンルに関して、この時期の史的展開をごく簡単に素描しておくと、1980年代は、それ以前からの「もの派」の影響圏の内部で、しかし「立体」(この言葉が初めて使われたのは1969年の第9回日本現代美術展からだそうだ)や「インスタレーション」(『美術手帖』誌でこの言葉が初めて使われたのは1979年4月号とされている)という言葉が流入したことで、70年代における、「禁欲的」「主知的」etcと雑駁に言われるような諸動向から、真逆の「快楽的」「感覚的」とこれまた雑駁に言われるような諸動向へと現代美術のモードが転換していった時代とされることが多い――上述の「関西ニューウェーブ」は、まさにそのようなムーヴメントとして記述される――のだが、この展覧会が真っ先に検証しようとしているのは、そのような史観/物語である。建畠晢氏はこの頃の、「インスタレーションの氾濫と彫刻の復権が同時に語られ」ていた動向から一線を画した一群の作家(福岡道雄氏や宮﨑豊治氏もそこに含まれる)に対し、当時既に高名だった村岡三郎(1928~2013)を繋留点として「ムラオカ・スクール」と名づけた上で、彼らを「“前衛”を“異端”と読みかえることによって時代の状況から鋭く孤立したところにそれぞれの拠点を定めた作家」(建畠晢「私信・Kへ 政治としての異端」(1987))として評価したが、氏が言うような明示的なエコールとして「ムラオカ・スクール」が存在していたかどうかはともかくとしても、今回の出展作家たちが「時代の状況から鋭く孤立したところにそれぞれの拠点を定めた作家」ことは、その出展作を見れば一見即解であろう。「無人島」とは言い得て妙。

 ――このように、「関西ニューウェーブ」を特権化する史観/物語に対して、「時代の状況から鋭く孤立したところにそれぞれの拠点を定めた作家」たちの作品を対置することでその相対化が図られている感があるこの展覧会だが、しかし一方でより仔細に見てみると、彼らが単に孤立していたわけではなく、時代の状況や問題意識と(否定的な形にせよ)関係を取り結ばれた場所で活動を展開していたことが同時に感得されるのも、また事実であろう。確かに、今日の視点から見て、70年代から80年代への移行は、彼らがその十年前に遭遇した60年代から70年代へのそれに比してもより深い断絶と転換をともなっているように見えるのだが、そうであるからこそ、60年代から70年代への転換の結果もたらされた状況と突き合わせることで、その仕事をより立体的に見ることができるわけで。ことにそれは出展作家のうちの何人かが、この時期に作風をガラッと変えていることからも、容易に見て取れるだろう。

 出展作に即して、いくつか例をあげておく。具体創立時のメンバーであった上前智祐氏は、具体解散後、「縫う」という行為に方法論を集中させることで平面と立体とを両睨みにするような視座を確保し、その考察はこの時期《縫立体》に結実する。あるいは福岡道雄氏は、それまでの抽象的なオブジェから、日常風景や物語的な情景をジオラマ的に(?)作っていくという作品をこの時期に展開していく(今回はその中でも大型の《波・または》が出展されている)。笹岡敬氏は「狂転体」でのパフォーマンス中心の活動から、大掛かりな装置を作って水と熱の循環システムを作るという、現在に至る仕事をこの時期に始める。そして殿敷侃は、それまでの銅版画やシルクスクリーンによる平面作品から、廃物を大量に使い、主に野外で展開されるインスタレーションへと作風を大胆に変更してしまう(今回は変更前の銅版画と変更後の野外インスタレーションの記録写真が並列して展示されている)。

 ――いくつか例をあげてみたが、彼らのこういった作風の変容は任意に行なわれたのではなく、70年代から80年代への、――禁欲的・主知的な動向から快楽的・感覚的な動向への――転換とシンクロする形でなされており、しかも彼らは結局ニューペインティング(およびその付帯現象としての「彫刻の復権」)に結局加担することはなかったわけで、いきおい彼らの活動は60年代から70年代への転換においてもたらされた「もの派」の影響圏の〈内部〉に、上述の転換をいかに導入するかという問題意識に駆動されたものであると見ることができるかもしれない。従って、ここで「もの派」~「ポストもの派」というムーヴメントとの対質において、彼らの仕事を見ていくことが、重要になってくるだろう。それは例えば、東京で精力的に活動していた戸谷成雄氏や遠藤利克氏の70年代後半から80年代の仕事とも部分的にせよリンクするのではないか。同時期の戸谷氏と遠藤氏の仕事について、森啓輔氏は次のように述べている。

 70年代後半の彫刻の布置、それはミニマル・アートやアースワーク、またもの派の形態的模倣として、その非生産的な再生産に意味を見出すことではない。また、80年代の欧米からのニュー・ペインティングの動向の影響を受けた絵画と軌を一ににして保守化していく彫刻の移行期と位置づけることでもない。遠藤と戸谷は80年代の旺盛な活動から、もの派を批判的に継承し、「神話的物語性」(東野芳明)、「記憶や象徴性の重視」(峯村敏明)を特徴とする彫刻家として、「ポストもの派」と呼ばれてきた。確かに、彼らの実践はイメージの批判による行為の無名性と、関係性の作品への構造化という点で、70年代から80年代への繋留の可能性を担っていた。しかし一方で、関係性の構造化に際しては、作家と対象との接触面を局所化することで、きわめて限定的な界面を創出し、その界面を意味論的(遠藤)、あるいは存在論的(戸谷)に複数化していった。戸谷の《 》で括るという意味論的な限定は、やがて80年代に凝集する形態を持ち、拡散していく様式から彫刻の存在を自らの内部に保とうとする意志が垣間みえる。84年を始点とする戸谷の「森」とは、その錯乱を一つの形態に許容する界面の集合体を意味し、78年を起点として遠藤が用いた火や水、木による円環構造は、局所的に揺らぐ水面を端緒としていた。行為の無名性がもたらした作家と素材の局所的界面の生成、「出会い」を制作過程において再演していくことで、不可避的に累積されていく複数の関係性。(森啓輔「切断される再演――「以後」としての1978年の彫刻」(『引込線2013 works&essays』所収 引込線実行委員会、2013))

 もちろん今回の出展作家たちの仕事を同時期の戸谷氏や遠藤氏のそれと完全に同一視することはできないのだが、「イメージの批判による行為の無名性と、関係性の作品への構造化という点で、70年代から80年代への繋留の可能性を担っていた」点に関しては明らかに共有している。ただ、戸谷氏と遠藤氏が「関係性の作品への構造化」というモーメントを、「作家と対象との接触面を局所化することで、きわめて限定的な界面を創出」することで生成しようとしたのに対し、今回の出展作家たちはそれぞれの問題意識と流儀で、60年代から70年代への転換において表面化した「物質から「物質の状態」への関心の移行」((C)中原佑介)というところから出発することと置き換えた上で、「(物質を直接的に扱う)作家」と「物質の状態」を同時に生成する〈身体〉の全面的な生成によって行なおうとしていたところに違いが存在する。

 〈身体〉は、今回の出展作では、例えば宮﨑豊治氏の《身辺モデル on a slanting surface》において直接的に主題として扱われているし、あるいは一見すると身体性から最もかけ離れているように見える笹岡氏の作品にすら逆説的な形で露呈しているのだが、かかる観点から見たとき、個人的に非常に興味深かったのは、いちばん奥の部屋に展示されていた――書き忘れていたが、展覧会は三つの部屋に別れており、入り口最初の部屋には宮﨑、福岡、笹岡各氏の作品が、次の部屋には上前氏と殿敷の作品が置かれているのだ――八木正と椎原保氏の作品である。八木は70年代末から制作活動を始め、「関西ニューウェーブ」の動きが本格化する直前/直後に急逝してしまうがために、70年代から80年代への転換それ自体を生きた存在としてこの展覧会の目玉となっている様子だが、実際、作品に接してみると、木を素材として用いて最低限の組み合わせでフラットな面を強調した作品を作っていくという作風は「(ポスト)もの派」の影響圏の内部を彷彿とさせ、一方で着彩が(最初は部分的に、後に全面的に)施された晩年の作品からは「関西ニューウェーブ」への繋留点を見出すことはさほど困難ではないだろう。いずれにしても、素材と環境との界面にフォーカスを当てたその作風からは、「作家と対象との接触面を局所化することで、きわめて限定的な界面を創出」するという同時期の戸谷氏や遠藤氏の仕事との類縁性が認められつつも、しかしその作品のベクトルが――八木自身がgalerie 16での個展に際して《私が聞くのは、対位法としての構図をこえたところでの、生な音なのである。私の作業は、その音を凍らせることであり、素材を、もののからだとして、とらえることである》(「京都・他 展覧会案内 八木正個展」(『美術手帖』1981年11月号所収)に寄せられた八木自身の文、強調引用者)と書いていることからもわかるように――素材の身体性(「もののからだ」)およびそれを扱う主体(の非主体性)に向かっていることからも見えてくるように、〈身体〉の全面的な生成に向かっている。

 一方、椎原氏のインスタレーション作品は、鉄線を熔接して組み合わせた構造物の上に石を乗せた大小様々なオブジェを展示空間じゅうのあちこちに作っていくというもの。氏は80年代にこのような作品を制作し続け、今回は9月30日までの間に公開制作という形で(再)制作されたのだが、実際に接してみると、鉄線によって線的な要素が極限まで強調された構造が単純にカッコいい(人によっては近未来感すら感じるかもしれない)し、このような作品を既に80年代に作っていたという事実に呆然とすることしかもはやできない代物だったわけで。とは言え、かような見かけのカッコよさ以上に、このような作品を作ること自体が自分自身の感覚と周囲の環境、鉄や石といった物質との不断の折衝であることに、ここでは注目すべきかもしれない。八木が「面」にこだわることで逆に素材の身体性へとフォーカスしていったのと対照的に、椎原氏は線的な感覚をもって、環境に対峙する身体性を創出している。

 ――こうして、ニューペインティング的な見かけを取ることなく、〈身体〉を項として改めて嵌入することで、質料/記憶/イメージetcを救い出すという点において、彼ら(もちろん八木や椎原氏に限った話ではない)は「(ポスト)もの派」の影響圏の内部に、「快楽的」「感覚的」なモーメントを接合しようとしていたのかもしれない。時代の状況から鋭く孤立したところにそれぞれの拠点を定めているように見える彼らの作品もまた、現代美術のモード転換と(逆立的にせよ)取り結ばれていたことが、ここで明らかになるだろう。従来対立的に捉えられることの多かった二つのムーヴメントを重ね合わせることで、「80年代」の現代美術における新しい層――いや、ここは展覧会タイトルに倣って「無人島」とすべきか――を発見させることを促しているという点において、出展作品のオーソドックスな佇まいに反して、むしろアクチュアリティをこそ見出すことが必要である。そのようなことを考えさせられた次第。

2013年 当方的展覧会ベスト10+2(Appendix)

 ――この二つは当方も作品制作以外のところでちょいちょい関わったので、一応別枠で



・Jimin Chun+川村元紀「ハルトシュラ mental sketch modified」展(CAS)
 詳細は該当記事(http://d.hatena.ne.jp/atashika_ymyh/20130628/1372417699)参照。

 ……で終わってしまうのもアレなのでもう少し続けると、関西においてはインスタレーションがどうもヌルい表現の代名詞みたいに扱われていた感があった中、川村氏の持つ物と物との関係性への鋭敏な意識と、それを出力(?)する際に出てくるエッジの効いたセンスが導入されたことは、それ自体なかなかインパクトのある出来事だったと言えるかもしれない。あと、やはり、「棚は作品じゃない」という氏の超発言。



北加賀屋クロッシングMOBILIS IN MOBILI展(コーポ北加賀屋
※出展作家:梅沢和木 河西遼 川村元紀 高橋大輔 武田雄介 二艘木洋行 百頭たけし 三輪彩子 百瀬文 吉田晋之介/長谷川新(チーフキュレーター)
 明らかに六本木クロッシングを意識した上で茶化したとおぼしき展覧会タイトルとは裏腹に、80年代生まれの作家に広がる多様性と、それらが各作家の主観を超えたレベルで錯綜した結果として一つの「現在性」のごときものに収斂していることとが同時に見渡せる稀有な機会となったわけで。あと、個人的には、関東の現代美術鑑賞界隈において最近しばしばその名が上がっていた高橋大輔氏や百瀬文女史の作品に初めて接することができたのが、大きな収穫だった。

2013年 当方的展覧会ベスト10+2(後編)

 続いて、後編です。



・「であ、しゅとぅるむ」展(1.9〜20 名古屋市民ギャラリー矢田)
※出展作家:あいちはぶ(池田健太郎辻恵、文谷有佳里、もぐこん) 泉太郎 伊藤存 ジェイ・チュン&キュウ・タケキ・マエダ 小林耕平×山形育弘×伊藤亜紗 坂本夏子+鋤柄ふくみ 二艘木洋行お絵かき掲示板展 山本悠とZINE OFF(鎖国探偵、だつお、長島明夫、福士千裕、福永里奈、寶樂圭、三輪彩子、森篤士、sukechan、tutoa、qp、etc.) 優等生(梅津庸一、大野智史、千葉正也、福永大介) KOURYOU qpとべつの星(會本久美子、川島莉枝、田中佐季、佐藤紀子、ナカノヨーコ、ナガバサヨ、はまぐちさくらこ、はやしはなこ、前田ひさえ、森田晶子)
 名古屋市が毎年開催している「ファン・デ・ナゴヤ」の今年の企画展のひとつとして開催されたこの展覧会。「美術に属する表現と大衆文化に属する表現が一堂に会することで、2000年以降の日本における多様な創作活動の縮図を示す」(ウェブサイト(http://dersturm.net/#about)より)と宣言されていた通り、画家やイラストレーターのみならず、同人作家やお絵かき掲示板の常連(?)投稿者、果ては(泉太郎氏と同姓同名ということで氏本人から出展を依頼された)日曜写真家まで投入されており、出展作家の雑多ぶりとしては、ここ数年例のないものとなっていたわけで。で、そういった人々が(伊藤存氏とKOURYOUを除いて)「あいちはぶ」や「優等生」「qpとべつの星」といった謎ユニットのメンバーとなって作品を出展していたわけだから、これはもう。

 かかる雑多さの累乗状態は作家の固有(名)性を剥ぎ取るような行為――それは誰一人として固有の領域を与えられていない状態で、他人の作品を視界に入れないと見られないようになされた展示によって、さらに増幅される――によってもたらされたものであり、その意味で、この展覧会において示すことが企図された「2000年以降の日本における多様な創作活動の縮図」とは、多様な創作活動の即自的な反映ではなく、それ自体が暴力的な行為の結果もたらされたものであることに、ここで十分注意しておく必要があるだろう。まさに「der Sturm(暴風)」に偽りなし。「大衆文化に属する表現」に対して、素朴な反映論やクロスオーバーとは違った態度をここまでのテンションで大規模に貫いてみせたことは、普通に買い。



・伊東宣明「芸術家」展(5.21〜6.2 Antenna Media)
 関西を中心に、主に映像作品を手がけている伊東宣明(1981〜)氏。この「芸術家」展では、古今東西の芸術にまつわるアフォリズムをまとめた「芸術家十則」を伊東氏が自作し、それを自身もアーティストである岡本リサ女史に一分以内に早口で暗誦させるという、何だか外食産業の新入社員研修みたいな行為の一部始終がドキュメントされた一時間ほどの映像作品が出展されていた。自分自身が被写体/被験者となって作られてきたこれまでの氏の映像作品と比べても――内容のえげつなさを含めて――不穏な気配に満ちた作品となっており、その意味では氏の作品の中でも際立ったものとなっていたと言えよう。

 かように、内容的なキャッチーさが関西の美術界隈では話題となっていたフシのあるこの「芸術家」展だが、伊東氏の作品にそれなりに接してきた目からすると、氏の作品に頻出する「「行為」と「存在論的フレームワーク」の乖離や壊乱」が主題となっているのが一見して分かるように作られていたことに注目しておく必要があるだろう。この作品の場合、芸術と芸術家との間に往々にして問われる「芸術が先か芸術家が先か」という問いに対して「これを正しく暗誦することができたら芸術家である」という形で芸術(という行為)に対する定義なしに芸術家の存在を定義してしまうわけで、ここにおいてもやはり行為(芸術)と存在論的フレームワーク(芸術家)との関係が壊れてしまっていることが主題になっている。そのような考察の一貫性を含めて見るべき良展覧会。



小田島等「1987+My Osaka is」展(5.10〜6.2 中之島デザインミュージアムde sign de)
近年大阪に拠点を移して活動を続けているというイラストレーターの小田島等(1972〜)氏が中学・高校時代にやっていた雑誌広告の模写やコラージュを集めた「1987」と大阪で見つけた光景を写真に収めた「My Osaka is」の二つの要素からなっていたこの展覧会。個人的にはやはり前者の「1987」が興味深かった。80年代において開花したポップなイラスト文化に憧れていた自分自身をここまで見せるあたり、『1980年代のポップ・イラストレーション』の著者の面目躍如と言うべきであろう。

 その一方、「1987」というタイトルによって、単なる個人的な回想にとどまらない広がりを持っていたことにも注目しなければならない。近年、主に中ザワヒデキ氏らによって80年代前半の美術界における日本グラフィック展の重要性が唱えられているが、実際80年代には絵画とイラストレーションとの、単なるクロスオーバーにとどまらない表現上の交錯が――欧米における〈ニューペインティング〉の日本への導入に合わせて――様々に試されていたわけで、そういうムーヴメントの象徴としてあるのが、ひょっとしたら1987年という年号なのかもしれない。「絵画として〈キャラクター〉を描くこと」が当たり前となった感のある現在において、この時期の絵画/イラストレーションの相関・相剋関係に立ち返ることはそれ自体アクチュアリティがあり、見る側をそこに立ち返らせようとしているところに、この展覧会の意義深さがある。



・「SLASH / 09 −回路の折り方を しかし、あとで突然、わかる道順を−」展(6.7〜7.22 the three konohana)
※出展作家:小林礼佳 斎藤玲児 藤田道子/結城加代子(キュレーター)
 インディペンデント・キュレーターの山中俊広氏が今年西九条に構えた新スペースthe three konohana(http://thethree.net/)はオープン以来エッジの効いた作家チョイスと運営方針とで、大阪の現代美術界隈において早くも独特の位置を占めつつあるが、そんな同所で個展と並んで大きな位置を占めるのが外部キュレーターによるグループ展「Director’s Eye」であり、その第一弾として企画されたのがこの展覧会。主に東京で好企画をキュレーションしている結城加代子女史の展覧会が関西で初めて見られるということで、個人的には期待しきりだったのだが、三人の美術作家のインスタレーションを混在させ、しかもそこに有機的な関係性を持たせるようにしつらえる手腕の高さに唸るばかりだった次第。無意味な要素がひとつもないという点において、意味の配置よりもその並存状態に重きを置く関係性(心理学で〈自由基free-radical〉と呼ばれるような)が指向されていたことは、普通に買い。

 この点において、個々の作家や作品をピックアップするというアプローチが賢明な態度ではないことを前置きしつつも、個人的には小林礼佳女史の作品が好印象。ヘルメットやビニールシート、ランプといった防災グッズに自作の詩が活字によってプリントされているという彼女の作品は、モノに対する感度とともに記号や象徴秩序への感度をも見る側に要請するものとなっており、意味の並存状況をさらに増幅させることに一役買っていたわけで。後で述べる「ハルトシュラ mental sketch modified」展と並んで、関西におけるインスタレーションの展示としては、そのモード転換を促すようなものとなっていたと言えよう。



・末永史尚「目の端」展(10.24〜11.9 switch point
 今年はVOCA展や引込線2013、「Safety Place」展(9.14〜10.12 TALION\GALLERY)といったグループ展で末永氏の作品に接する機会が割とあったのだが、管見の限りで氏の本領が十全に発揮されていたのは、やはりこの個展をおいて他になかったわけで。ピカソマティス光琳などの絵の一部分だけをモティーフとした絵画や、木材に塗装して名刺の束や段ボール箱のように見せる立体作品など、ありふれているがゆえに視界内における志向作用から往々にして消えてしまうものに焦点を当てた作品が多かったわけで、その意味で「目の端」とは言い得て妙である。

 一方、末永氏の面目躍如だったのは、バーネット・ニューマンを画像検索して得られた結果の画面をモティーフに描くという絵画作品。画像化された画家の作品を、画像とわかるように描くという入れ子状的なフレームワークで描かれたいたわけで、様々な角度から読み解きたくなるところ。かようなモティーフを描くことで、一口に出展作の良さを言うにも、元ネタの絵が良いのか、画像化されたから良いのか、末永氏の画力が良いのか、という少なくとも三つのレベルが混在することになるわけで、その中で見ること/判断することの規準が分裂することになる。そういう方向に見る側を使嗾している点は、きわめてポイント高。

2013年 当方的展覧会ベスト10+2(前編)

年末なので、当方が今年見に行った中から、個人的に良かった展覧会を現代美術限定で10+いくつか選んでみました(順不同)。まずは前編



・中原浩大「自己模倣」展(9.27〜11.4 岡山県立美術館)
 1980年代〜90年代前半の日本現代美術について考える際に避けて通れない存在でありながら、90年代後半は以降狭い意味での現代美術界隈においては寡作になったこともあってか、アクチュアルな場面と絡めて語られることが少なくなった――その一方で、奇妙に伝説化もされていった――中原浩大氏。昨年の伊丹市立美術館でのドローイング展(「コーチャンは、ゴギガ?」展)に続いて開催されたこの「自己模倣」展は、そんな中原氏の80年代から近作までが一堂に会する貴重な機会となった。《海の絵》や《レゴモンスター》といった代表作クラスの作品が出ていなかったことで、回顧展としては出展作のキャッチーさに欠ける憾みがあったものの、そのことによってよりニュートラルに氏の作品に向き合えるようにしつらえられていたように、個人的には思うところ。制作年代順ではなく、フロア内を自由に回遊できるように作品が展示されていたことが、そのことをさらに際立たせている。

 で、一堂に会した作品群を見てみると、中原氏が80年代において同時代の彫刻の諸動向が前提としていた問題系をいかに解体し、別の方向に転換させていったかがおぼろげながら見えてきたわけで、その意味では個人的になかなか俺得だった。当時の彫刻界隈が――「禁欲的」と雑に言われるような――観念性、言い換えるなら「物質から「物質の状態」への関心の移行」((C)中原佑介)に支配されていた中、氏のこの時期の彫刻でもインスタレーションでもあるような作品がかかる「禁欲的」傾向=形相の優位から物質(質料)を救い出すという切実な動機から出てきたこと、かような作風が80年代後半〜90年代前半において〈身体〉を基点とした感覚の拡張として再提示されることで、物質(質料)をめぐる技芸としての彫刻をそのまま、〈身体〉が受け取るイメージの技芸へと転換させたこと――これらの意義はいくら強調しても足りないだろう。かつて椹木野衣氏は若手の美術家が(そのアティチュードのレベルにおいて)中原氏の影響下にあることを指摘していたが、この展覧会もまた、中原氏の作品の、アクチュアリティと交差した読解を強く要求していると言える。



・「ミニマル|ポストミニマル 1970年代以降の絵画と彫刻」展(2.24〜4.7 宇都宮美術館)
※出展作家:荒井経 石川順惠 薄久保香 遠藤利克 川島清 辰野登恵子 戸谷成雄 中村一美 袴田京太朗 堀浩哉

 〈もの派〉以後の1970年代後半〜80年代初頭の、いわゆる「ミニマリズム」ないし「ポストもの派」と雑駁に呼ばれる動向やそこに属するとされる作家については個人的に全く不勉強なままここまできたので(爆)、そこをピンポイントでついてきたこの展覧会は本当に勉強になった次第。中村一美氏や堀浩哉氏の絵画作品、あるいは遠藤利克氏や戸谷成雄氏の彫刻作品には、それぞれ個別にあちこちの美術館で接したことがあるけれども単体ではイマイチ理解できなかっただけに、きちんとしたパースペクティヴのもとに一堂に会した状態で見ることで、彼らに共通している(とおぼしき)問題意識が――それに対して同意するかどうかともかくとして(実際、こういった動向に対するカウンターという性格を、ニューペインティングの日本への導入などに顕著な80年代前半の諸動向は持っていたのだった)――なんとなくにせよ体感できるようにしつらえられていたのは、個人的にはきわめてポイント高。図録も谷新氏の文章を含めて読み応えのあるものとなっていたし(とは言え、会期中に何回か開催されたトークやシンポジウムの記録集はいつ出るんでしょう)。

 ところで当方が見に行った折には中村一美氏と石川順惠女史のトークショー「モダニズム絵画の現在」が開催されていたのだが、欧米における同時期の重要な動向であるミニマリズムと違った原理を自分たちがいかに絵画において探求してきたかが焦点になっており、これは中村氏&石川女史の個別の画業にとどまらない射程を持っているように、個人的には思うところ。中村氏に関しては来春国立新美術館で個展が予定されている(http://www.nact.jp/exhibition_special/2013/NAKAMURA_Kazumi/index.html)とのことだが、そこでもこのトークの中で頻出していた「(ミニマリズムの還元主義を超えた)複数性の探求」がキーワードになるのかもしれない。そういう予感&期待も含めて、今後繰り返し参照されるべき展覧会。



・「犬と歩行視part.1、part.2」展(part1: 3.16〜31、part.2: 10.5〜11.17 京都市立芸術大学ギャラリー @ KCUA)
※出展作家(part.1):林剛 井上明彦 木村秀樹 黒河和美 倉智敬子 杉山雅之 高橋悟 建畠晢 長野五郎 (part.2)林剛 中塚裕子
 60年代から京都を中心にして活動し、関西におけるコンセプチュアルアートを語る上で重要な位置を占める林剛(1936〜)氏。この「犬と歩行視」展ではそんな林氏を軸として、part.1では氏の70年代の仕事とそれに連なる(京都における)コンセプチュアルアートの現在が、part.2では氏がパートナーの中塚裕子(1951〜)女史と協働して1983年から91年にかけて京都アンデパンダン展を舞台にして制作された巨大インスタレーション作品がフィーチャーされていた。とりわけpart.2における巨大インスタレーション――会場ではその最初の作品である《The Court 天女の庭/テニスコート》(1983)が再制作されていた――は現在の目から見ても作品の規模の巨大さとともに、そこに含まれたインプリケーションの多種多様さと、それらを組み替える異例な方法論にも瞠目することしきり《「The Court 天女の庭/テニスコート」に始まる彼らの仕事は、textual(言葉の織物)とtectonic(構築設営)が相互に絡み合いながら変化してゆくダイナミックなプロセス(航海日誌)を体験させるものである。彼らの作品には、今日の鑑賞者の気に入るあらゆるものがある。子ども達、特に女の子のための本、異様で秘境的な、素晴らしいことば、格子・コード・コード解説、デッサンと写真、深い精神分析的な内容、典型になるような論理学的・言語学的形式主義、そして現実の楽しみを超えたところにある何か別のもの、意味と無意味の戯れ、カオス・宇宙。彼らが存在と概念に割り振る新しい配分方法は、今まで誰も見なかったところに境界線を引き、それを超えさせようとする力を持っている》(「犬と歩行視part.2」展フライヤーより)。

 そしてそれらを束ねる鍵として、林氏においては〈犬〉が重要な位置を占めていることにも注目する必要があるだろう。実際、part.1、2双方に「犬」と大書された平面作品が出展されており、この展覧会のアイコン状態となっていたのだが、この「犬」は任意に選ばれたものではなく、「Marcel Duchamp(マルセル・デュシャン)」に空耳するであろうフランス語「marchand du chien(犬の商人)」から来ているそうで、言葉と意味やニュアンス、音韻、歴史(美術史)などがショートカットされ、ズラされることで「今まで誰も見なかったところに境界線を引き、それを超えさせようとする力」を新たに賦活された、その象徴的な形象としての〈犬〉なのである。



・引込線2013(8.31〜9.23 旧所沢市立第二学校給食センター
※出展作家:伊藤誠 遠藤利克 荻野僚介 利部志穂 倉重光則 末永史尚 鷹野隆大 冨井大裕 戸谷成雄 登山博文 豊島康子 中山正樹 前野智彦 眞島竜男 益永梢子 水谷一 箕輪亜希子
 タイトルから「所沢ビエンナーレ」の文言が外され、会場も出展作家の人数もダウンサイジングされた形で開催された今年の引込線だが、結果として展示空間の凝集力が上がったように感じられ、個人的には見に行った甲斐があったなぁと素直に思える展覧会だった次第。出展作家の顔ぶれもそこそこ変わったことで、作品の(展示場所に対する)自立/自律性が過剰に問題視されて「ポストもの派再考状態」という揶揄も聞こえてきた前回と違い、展示場所の特性との関係の取り結び方がより繊細になった作品が多くなったように、個人的には思うところ。そのことで展覧会や出展作品から受ける印象も(核となる部分は不変ながら)また違ったものとなったような。

 出展作の中では、利部志穂女史のキレッキレぶりが好印象。今春国立新美術館で開催された「アーティストファイル」展でも非常に精度と寓意性の高いインスタレーション作品を出展していたが、この引込線2013でもクセの強い場(なにしろ、かつての設備がそのまま残されているのだ)の中でそれに寄り添いつつも溺れる事なく作品を作りこむことで、それ自体が寓意として機能する作品をものしていたわけで、これはポイント高。この他にも伊藤誠氏や冨井大裕氏、遠藤利克氏、益永梢子女史の作品が好印象だった。



・「ハイレッド・センター 直接行動の軌跡」展(11.9〜12.23 名古屋市美術館
 高松次郎、赤瀬川原平中西夏之各氏によって1960年代前半に結成され東京の街中で様々なパフォーマンスを繰り広げたハイレッド・センターHRC)は、戦後日本の現代美術を語る上で欠かすことのできない存在であるが、意外にもその活動自体の回顧展というのはこれまでなかったそうで、その意味では開催されたこと自体が意義深い展覧会であると言えよう。パフォーマンスを主とした団体(?)の回顧展であることから、基本的には記録写真が中心となっていたのだが、それらを見ても彼らの活動が当時いかにクリティカル(危機的=批評的)であったかがよく分かる。

 ところでこの展覧会、折しも反原発運動や先日可決された特定機密保護法案への反対運動としてデモが東京で頻発していた中で開催された形となり、図らずも(?)同時代性を持つ形となったわけだが、しかしHRCが突出させていた「直接行動」という要素は――とりわけ現下の反原発運動においては――見かけに反して回避・抑圧されているのもまた事実と言えば事実ではあり、その一点においてHRCと現在の(市民=国民主義的な)デモ活動との差異は、きっちりと強調される必要があろう。赤瀬川氏はかかる直接行動の一局面としての「反芸術」のクライマックスとしての千円札裁判を経て「68年革命」の重要な随伴者となっていく(余談になるが、氏のその頃の仕事である「櫻画報」が「六本木クロッシング2013 アウト・オブ・ダウト」展(森美術館)でフィーチャーされていたのは良かった)のだが、HRCの三人がそれぞれ通過していくことになる「1968年問題」((C)光田由里)は、今後の日本の現代美術を考える上でも大きな論点になろう。

「ハルトシュラ mental sketch modified」展

 難波にあるCASで開催中の「ハルトシュラ mental sketch modified」展(http://cas.or.jp/2013/JandK/index.html)。韓国人のジミン・チョン(Jimin Chun)女史と、主に関東で制作活動をしている川村元紀氏の二人展で、長谷川新氏がキュレーションを行なっている。当方、川村氏と長谷川氏とは以前から知己を得ており、とりわけ長谷川氏からはこの展覧会のコンセプチュアルな構想や美術史的パースペクティヴについていろいろ話を伺ったことがあるだけに、それが形になったこの展覧会は、以前から個人的に注目していたもので。

 かかる私事はさておき、今回は二人のインスタレーション作品がそれぞれ数点ずつ出展されていた*1インスタレーションというと、広いスペースを存分に使った大がかりな作品が連想されるところだが(←偏見)、今回は展示スペースの都合もあってか、小〜中規模のものが中心。ことに一つの展示スペースを双方のインスタレーションがシェアしている場所もあったわけで、その意味ではインスタレーションといっても、大仕掛けを見るというよりは、所与の空間内における様々なモノの設置や佇まいの妙を見るべき展覧会となっていると、さしあたっては言えるだろう。かつてインスタレーションという言葉が日本に導入された当初――長谷川氏によると、それは1970年代末だそうだが――「空間設置」や「仮設芸術」といった(今見てもこなれてない感全開な(そして実際、ほどなくして使われなくなっていく))訳語が充てられていたものだが、今回の出展作はそのような翻訳の綾として選ばれた言葉としての「設置」や「仮設」という性格を見る側に強く抱かせるものとなっていた次第。それは二人の出展作が日常品を多用していたことで、さらに増幅されていく。

 もっとも、「日常品を用いている」と一口に言っても、ジミン女史と川村氏とでは作品の表層的なありようにおいてほとんど真逆の志向性を有していることは同時に指摘しておく必要があるだろう。かいつまんで述べておくと、ジミン女史のインスタレーション作品は、どこかから持ち込んだ既製品のタペストリーを中心に壁一面に自作のドローイングや詩を描きこんだり、あるいは別室では壁面に「Life is not a dream」と貼り紙を貼ったりするなど、自身の内面性やメッセージを反映させた形で提示することに重点が置かれている一方、川村氏のインスタレーション作品は仮設の棚の上に雑多な日常品や生活雑貨――その多くはCASの近所にあるスーパーや百均などで調達されたそうだが――がそのまま並べられて棚からカラフルな糸が垂れ下がっていたり、ビニールテープで巨大なオブジェを作っていたりと、一見すると意味を取りにくい〈もの〉として提示することに重点が置かれているように、個人的には思うところ。《川村は自身の作品をかつて「日常から無意味へのルート検索」と名指した》*2そうだが、与えられた空間を自身の内面性によって染め上げていくことを(様々な詩的/私的言語(含ドローイング)を駆使して)志向するジミン女史とは対照的な志向性に貫かれていたわけで、ほよほよと見ていても、ことに双方のインスタレーションが一つの展示室をシェアしている空間においては、両氏の志向性の違いが割と見やすい形で露呈していたと言えるだろう。

 ――かような具合に、作品の表層的なありようと、そこにおいて表現されているインプリケーションのレヴェルにおいては一見すると対立をなしている両氏の作品なのだが、しかしその根底にある方法論のレヴェルにおいては、そのような見かけに反して、むしろ共通点を見出すことが重要かもしれない。インスタレーションというジャンルがその融通無碍さにおいて、あらゆる作品を(「(現代)美術」という枠組みすら超えて)単一の位相に還元してしまうことに対する脊髄反射的な反発はこれまでも手を変え品を変え論者を変えて繰り返されてきたものだが、そういった融通無碍さにもたれかかることによって見出されるような共通点ではなく、かかる手垢のついた議論の中で否定的に言及されるインスタレーションと別種のインスタレーションの可能性が、両氏の作品の方法論上の共通点において(たとえ間接的にせよ)立ち現われている――そのように考えることができるのではないか。

 その可能性の一端は(長谷川氏が名づけた)「ハルトシュラ mental sketch modified」という展覧会タイトルにおいて、既に雄弁に示されている。「ハルトシュラ」とは、言うまでもなく宮澤賢治(1896〜1933)の詩集『春と修羅』からきているのだが、この詩は「そのとほりの心象スケツチです」という詩句に典型的に現われているように、宮澤自身の心的なナマの記録であることが宣言されながら、その中盤において《正しくうつされた筈のこれらのことばがわづかその一点にも均しい明暗のうちに(あるいは修羅の十億年)すでにはやくもその組立や質を変じしかもわたくしも印刷者もそれを変らないとして感ずることは傾向としてはあり得ます》という一節に立ち至る/立ち至ってしまう。この認識上の反転を軸にしつつ、長谷川氏は次のように述べる。

 今写し取ったものが、生のまま写し取れたと思ったものが、がらりと変化しているにも関わらず、私たちはそれを変らないものとして感じているかもしれない。「そのとほりの心象風景mental sketch」は常に修正をよぎなくされるmodified。知覚し、認識したものは、すでに自分の頭のなかにあったぼんやりとしたイメージの糊にひっつくことで、イメージとしての「そのとほり」に絡め取られているかもしれない。それをただ無批判に「そのとほり」と言っているだけかもしれない。そのイメージの糊を、ものの側からはがしとることはできない。なぜなら、その糊は私たちの頭のなかだけではなく、ものの側にもついているからだ。もちろんそれをこうポジティブに言い換えることは可能だ。頭の中で考え方を変えるだけで、目の前にあるものを捉えなおすことができる、と。そしてものが持っている、当初作られた目的とは異なった在り方を見いだすこともできる、と。*3


 「正しくうつされた筈のこれらのことばがわづかその一点にも均しい明暗のうちにすでにはやくもその組立や質を変じ」ること、「「そのとほりの心象風景mental sketch」は常に修正をよぎなくされる」こと――こういった潜在的な可能性を導きの石として、「ものが持っている、当初作られた目的とは異なった在り方を見いだす」という志向性によって、この展覧会においてはジミン女史と川村氏の作品がキュレーションされているわけだが、ここから直ちに見出されるのは、両氏の作品が、結果的にせよ、インスタレーションというジャンルにとどまらず、諸物体の、空間における道具的な=当初作られた目的によって関係づけられた連関が外された状態において、なお諸物体がそれたりうるためのレッスンとして作られているということである。そしてかような態度によって、インスタレーションは、物体から〈もの〉をめぐる技芸へとその様相を変えることになるだろう。そして〈もの〉をめぐる技芸としてのインスタレーションでは「イメージとしての「そのとほり」」が、「すでに自分の頭のなかにあったぼんやりとしたイメージの糊」との対質において問題となってくる。

 こうして、〈もの〉をめぐる技芸としてのインスタレーションにおいては、物体というより「物体のイメージ」が問題となってくる。これはインスタレーションというジャンルが、総体として、物体の道具的な連関が外された状態を多かれ少なかれ志向し、思考-実践において表現していることにもかかわってくるのだが、そのような中で展開される(であろう)イメージ論とは、いったいどのようなものだろうか。言い換えるなら、物体の道具的な連関と密接にかかわることから独立したイメージとは、いったいどのようなものとして私たちの前に現われてくるのか――このことを考える上で示唆的なのが、田崎英明氏が展開するイメージ論である。

 イメージの不思議さはここにこそある。モンタージュによって、映画の中であるシーンがその前のシークエンスとのあいだでもつ関係、それは確かに力と力の関係ではあるのだけれど、力学的な関係ではないし、また、必ずしも物語的なつながりをもつわけでもない。パゾリーニなら「自由間接話法」と呼ぶような関係が、イメージの論理の基本にはある。


 社会の中の人間と人間の関係は、いわば力学的なものであって、一方が能動なら他方は受動である。これは対話であっても変わらない。一方が話しているとき、他方は聞かなければならない。ところがイメージ、とりわけ、映画の中に組み込まれることによって、作用する現在から切り離され、遂行的な力が中和されてしまったイメージは、力学的ではない力関係に入り込む。*4


 ――「イメージの不思議さ」を論ずるに当たって田崎氏が映画を範例に持ち出しているのは、きわめて重要であろう。映画の基礎をなすモンタージュにおいては、原理的には、一般的な関係性や時制とまったく無関係にシーンやカットをつなぐことができるわけだが、これは、言い換えるなら、観客はモンタージュによってつながったシーンやカット同士の関係を事後的にしか、それそのものとしてしか受容できないということである。映画においては能動/受動、原因→結果のような因果関係は中断され(「力学的ではない力関係」とは、そういうことである)、そのことによって、イメージは諸々の人間的な要素から引き剥がされて、それ自体として解放されることになるだろう*5。まさに「映画はイメージを想像力から解放した」*6のであり、そしてインスタレーションとは、この意味において、紛れもなく映画以後の技芸である。

 二人の――とりわけ自身の作品を「日常から無意味へのルート検索」と呼ぶ川村氏の――作品がインスタレーションというジャンルに対して鋭い批評性を発揮しているとすれば、それはかかる「イメージの不思議さ」を、それぞれのやり方で引き受けた上で物体を〈もの〉に変換するという、その志向性においてであろう。そのようなことを考えさせられた次第。 

*1:川村氏の出展作については、ここで見ることができる→ http://rob-art.tumblr.com/post/53284153474/motonori-kawamura-2013

*2:長谷川新「透明で幽霊で複合体なものに向けて―「ハルトシュラ mental sketch modified」―」

*3:長谷川、ibid.

*4:田崎英明『無能な者たちの共同体』(未來社、2007)、p213

*5:この解放されたイメージを、例えばドゥルーズは『シネマ』全二巻において(経験論的位相と超越論的位相を併せ持ったイメージとして)〈結晶イメージ〉という語で言い表わしている

*6:田崎、ibid. p211

当方的2012年展覧会ベスト10(後編)

当方的2012年展覧会ベスト10(前編)の続きになります。こちらは本当に簡単な感想のみ↓



・辰野登恵子・柴田敏雄「与えられた形象」展(8/8〜10/22 国立新美術館
 管見の限りにおいて、前評判と見に行った人たちの実際の評価が(もちろん良い方向に)これほどかけ離れた展覧会も昨今珍しいのではないか。当方も「具体」展のついでに見に行くかという軽い気持ちで見たのだが、終わってみれば充実したボリュームの出展作と柴田氏の写真作品の魅力にすっかりアテられてしまったわけで。



・笹川治子「Case. A」「Case. C」「Case. D」展(それぞれ6/1〜17、7/6〜7/8、9/1〜17 Yoshimi Arts)
 茨城県在住で、これまで東京を中心に活動してきた――余談ながら当方は昨年東京で開催された「floating view」展で彼女の作品に初めて接した――笹川女史の関西初個展はまさかの三部作。三つとも科学技術(の暴走)や金融バクチ資本主義、管理社会、スペクタクル社会etc……といったトピックを容易に(あるいはかろうじて)連想させるようなオブジェ群からなるインスタレーションという形でしつらえられていたのだが、正面からというより搦手から俎上に乗せた作品が多く、しかもそのヒネリの加え方もなかなか面白かった。今後にますます期待したいですね。



・「〈私〉の解体へ 柏原えつとむの場合」展(7/7〜9/30 国立国際美術館
 60年代なかば頃から欧米のコンセプチュアルアートの日本的形態として生起した「日本概念派」の一角を占める作家として知られる柏原氏。この展覧会では氏の60年代後半から70年代の代表作(《Mr. Xとは何か?》や《方法のモンロー》など)が展示されていた。60年代後半で「〈私〉の解体」というと、あぁまぁ当時はそういう時代だったらしいよなという感想が真っ先に浮かんでくるところだが、「〈私〉の解体」というモーメントが現在に与えた影響はなかなか大きいし、その淵源に遡って考え直すきっかけとしてはなかなか良質。700ページ以上という破格の厚さのカタログも超一級資料度高。



・「館長庵野秀明 特撮博物館」展(7/10〜10/8 東京都立現代美術館)
 展示されていたミニチュアや特撮の撮影技術の紹介、樋口真嗣氏監督によるスペシャルムービー『巨神兵東京に現わる』が話題になっていたが、個人的にはそれ以上に展示物のキャプションの説明文がそれにしてもこの庵野秀明氏、ノリノリである状態だったことに微笑ましくなるやら何やら(爆)。「特撮オタクはアニメオタクの三倍濃い」とは岡田斗司夫氏の弁だが、展覧会とそこに集った人たちを見て感じたのは、特撮オタクという存在が傍目には謎の屈託と韜晦を抱いているっぽいということだったり(40〜50代の特撮オタクがこの展覧会に対していかなる感想を抱いているかは普通に気になる)。例年のように「色彩の魔術師 ジブリの背景画家 誰某の世界」展をやっていた方が東京都立現代美術館的には良かったんじゃないか、とか……(^^;



・「上前智祐の自画道」展(11/3〜12/24(前期)、2013/1/5〜2/17(後期) BBプラザ美術館)
 今年は国立新美術館の「具体――ニッポンの前衛 18年の軌跡」展など、例年以上に大規模な形で「具体」を取り上げる展覧会がまま見られたのだが、ともすると画面やパフォーマンスの派手な作家(白髪一雄、元永定正嶋本昭三田中敦子etc)がフィーチャーされる中でなんとなく傍流扱いされがちだった上前氏に焦点を当てているというところに、この美術館の運営母体であるシマブンコーポレーションの関連会社に上前氏が長年勤めていたことを差し引いても、目の付け所の良さが際立っている。個人的には具体解散後に手がけるようになったという《縫立体》シリーズに瞠目しきり。日本人の平面-立体認識と近代〜現代美術におけるそれとの関係を際立ったものとしてみせるという分水嶺として、この作品は非常に重要であろう。来年早々に始まる後期にも期待。

当方的2012年展覧会ベスト10(前編)

 年末なので、当方が今年見に行った中から、個人的に良かった展覧会を現代美術限定で10+いくつか選んでみました(順不同)。

 今年は美術館での展覧会に気合の入ったものが多かった――少なくとも俺得な展覧会のほとんどが美術館でのものでした――のが特徴的だったと言えるでしょう。ここ数年貸画廊やコマーシャルギャラリーが担ってきた役割の一部が美術館に移ったと言うべきでしょうか。あと、それまでは個々の作家やギャラリスト、知識人たちの思い出話として語り継がれてきた近過去を改めて歴史的なパースペクティヴに置き直す系統の展覧会がモノグラフィ/アンソロジー問わず数多く開かれた(さらに言うと、当事者を招いてのトークショーも数多く開かれた)のが今年の大きな特徴でして、個人的には非常に勉強になった次第。内外ともに戦後史の大きな区切りを経験した後において、足下のインフラや身体的な蓄積を改めて問い直していく姿勢が、少なくとも管見の限りにおいて関東・関西問わず同時多発的に見られたわけで、主に見る側の課題として、かかる傾向からいかなる新しい動きが立ち上がってくるかを問い直していくことが今後ますます重要になってくるでしょう。

 以下、感想込みで↓



・中原浩大「コーチャンは、ゴギガ?」展(9/22〜11/4 伊丹市立美術館)
 名前と一部の作品(《海の絵》《レゴモンスター》《ナディア》……)が、本人の90年代半ば以降の寡作化もあいまって半ば伝説となり、その作品を通観する機会が意外となかった――2001年の豊田市美術館での回顧展くらいか――中原浩大氏。この展覧会ではそんな中原氏のドローイング作品に絞って、80年代から現在に至るまでを通観しており、それだけでもかなり貴重な機会となったわけで。出展されていたドローイングに対しては「社会的にも、教育的にも、試練や迫害のないまま」なされた「お絵かき」と氏が定義しているように、描かれた当時や現在のアクチュアルな状況との交叉をほとんど考慮しないままなされたものである――がゆえに、そこには多孔的/多幸的とも言えるイメージ群が乱舞していたのだが――ことが最大限強調されていたのだが、そのことによって、作者(や数年前に生まれたという娘の存在)を媒介とした絵画的な無意識の生成という方向性が際立っており、それは現在の一群の若手美術家の平面作品が目指している方向性と奇妙なほどシンクロしていたのもまた、事実と言えば事実であろう。

 かような観点から見たとき、個人的には《Night Art 夢の中でこの形を完成させなさい》というドローイング連作がなかなか興味深かった。岡山県の某小学校でのワークショップ用に作られたこの作品、未完成のドローイングを生徒全員に配り「ゆめのなかで、かたちをかんせいしよう」という形で行なわれたそうで、中原氏のドローイング作品が「夢」というものと(さらには「夢の政治学」((C)デリダ)というものと)かかわりを持っていることがこの連作では如実に示されている。このことを手がかりとしていろいろ考察していくべきことは多いのではないだろうか。



・「かげうつし 写映|遷移|伝染」展(11/3〜25 京都市立芸術大学堀川御池ギャラリー@KCUA)
※出展作家:加納俊輔 高橋耕平 松村有輝 水木塁 水野勝規/林田新(企画)
 「写し」「映し」「移し」などといった漢字を当てることができる「うつし」をキーワードに、写真や映像作品の分野で主に活躍している作家たちを集めたアンソロジー展といった趣だったこの展覧会。結果として写真や映像を(さらには絵画をも)横断する〈画像〉という新たな位相に写真や映像作品が入りつつあることをコンパクトにかつヴィヴィッドに示したものとなったように、個人的には思うところ。かような〈画像〉という位相の前面化という傾向を主題とすること自体は、昨年栃木県立美術館で開かれた「画像進化論」展や愛知県立美術館で自主企画展として開催された「イコノフォビア」展、この「かげうつし」展にも出展していた加納氏と高橋氏による「パズルと反芻」展(京都と東京で開催された)で既に行なわれていたのだが、その傾向をさらに一歩前に押し進めた意味で、〈画像〉をめぐるクリティカルな諸争点をめぐる現時点での総決算として、今後も繰り返し参照されるべき展覧会である。ところでカタログはいつ完成するんでしょうか<関係者の皆様



・「日本の70年代 1968-82」展(9/15〜11/11 埼玉県立近代美術館
 前述したように、今年は近過去を改めて歴史的なパースペクティヴのもとに再検討していくことを意図した展覧会が多かった――中でも最大のものは東京国立近代美術館で開催中の「美術にぶるっ! 第二部・実験場1950s」展であろう(当方は未見なのでアレなのだが)――が、タイトル通り1970年代にフォーカスしたこの展覧会では、美術に限らず様々な分野に思いっきり視野を広げてこの時代の(サブカルチュアや出版・広告文化も含めた)文化圏全体をカバーする勢いで取り上げられており、内容の濃さに圧倒されることしきりだった次第。ことに大阪万博のパヴィリオンの一つ“せんい館”の中で流されたという松本俊夫氏の映像作品《スペース・アコ》や、足立正生監督の映画『略称・連続射殺魔』全編が会場内で普通に流れていたのが個人的には俺得だった。カタログもコンパクトながら密度の濃い内容だったし。これで\1,300は明らかに安すぎる。

 ところでこの展覧会、70年代を(サブタイトルに現われているように)1968年から82年という、前後にやや広がりを持たせた時間的区切りの中で取り上げていることにも注目すべきであろう。1982年は、第一義的には会場の埼玉県立近代美術館の開館した年ということで特権的な年号として取り上げられていたのだが、現代美術界隈における「美術の極限化」((C)千葉成夫)が内閉と鬱屈に陥っていく中で別の動きが界隈の外側から現われてくる――それは現在の視点から「イラストレーションブーム」と呼ばれるようになるだろう――という二つの局面が交叉するのが1982年前後であったことを考慮に入れると、「68年革命」から始まって1982年で一区切りつけるという同展の史観は、もっと真剣に検討されて然るべき。



・「「記憶」をゆり動かす「いろ」」展(11/1〜11 旧川本邸(奈良県大和郡山市))
※出展作家:加賀城健 中島麦 岡本啓 前谷康太郎 野田万里子/山中俊広(キュレーター)
 昨年から10月下旬〜11月上旬の時期に奈良県各地で開催されている「なら 町家の芸術祭 HANARART」の一環として行なわれたこの展覧会。会場の旧川本邸は大正時代に遊郭として建てられ、現在は有志の手によって保存されているのだが、かかる来歴の特殊性ゆえに見る側に強い先入観を植え付けることにもなりかねないわけで、そこを会場に選んだ上に出展作を「いろ」=色彩の美的強度が前面に押し出された抽象作品に絞るという蛮勇に、個人的には驚かされた。結果として抽象作品でありながら会場固有の場所性とほどよく拮抗しつつも、見る側が作品を通して容易にそれへアクセスすることができるという幸福な関係が現出していたことは、この展覧会の特筆大書すべき美質であろう。ここにおいて「いろ」によって揺り動かされた「記憶」とは、誰かの固有な思い出ではなく、無人称の、したがって万人に開かれたアクセシブルな感覚の場の別名にほかならない――そのような場所を美術によって作ってみせるという野心的な試みとして回顧される必要があるだろう。でも次回以降この会場を使うキュレーター(HANARARTはキュレーター単位で企画が組まれるそうだ)にとってはハードルがバカ上がりしたのもまた、事実と言えば事実。



・「井田照一の版画」展(5/22〜6/24 京都国立近代美術館
 関西で長く活躍していた井田照一(1941〜2006)の60年代〜80年代の版画作品の多くが京都国立近代美術館に寄贈されたことを受けて開催されたのだが、個人的にはギャラリーなどで一点だけ見かけるという形でしか接したことのない作家だったので(爆)、まとめて見てみると作風の多様性に瞠目することしきり。「版画とは何か」という問題意識を決して手放すことなく、しかし一般的な意味での版画とはかけ離れた場所へ突き進んでいく過程を作品を通して追っていくドキュメンタリーとして興味深かった。版と転写された画面という関係性への探求に絞りつつ、そこから多形的に展開していく様に、版画がジャンルとしての隆盛をきわめていた時代の残照以上のものを見出す史的な想像力が求められているようにも見えるわけで(版画はその時代、芸術でも反芸術でもなかったという井田自身の認識は、今なおリテラルに再考される必要があるのかもしれない)。にしても京都国立近代美術館はこれで池田満寿夫と井田照一という当時のスター版画家の大コレクションを保有することになったわけで、それはなにげに大きいのではないか、
と。

(後編に続く)